2.候補を見つける
宜しくお願いします。
それから約半月後、森の中を渡り歩いた青年が大陸の南方にある大国へとたどり着いていた。
うっかり森の中で色々寄り道しつつ、のんびりしている内に国境を越えていたのを本人は知らない。
その間にも移ろった季節に覚えた肌寒さに、ようやく森から出る気になった青年は視線の先にある村へと入った。そして聞き込みと共に近くの森で採取した薬草や鉱石などを幾つか売って路銀にすると、直ぐに出て来た。
(うーん、ココには無いのか。迷宮が近くに無いらしいから仕方ないか)
目的の施設が無かった為に、溜息を零してまた歩き出す。
実は元居た森を出た所から、直ぐ近くの街道を南へ向かって居れば二日ほどで国境際の大きな街へ出れた事を彼は知らなかった。
そうして街道を辿れば良い物を
(あ、川……良い石あるかなぁ)
とふらふらと外れて、時折星の位置を確認しては南へと方角だけは間違えずに進んで行った。
(この辺り地形的に、……、あ、やっぱり、流れはコッチか。あ、獣道? かな?)
向かう方向に流れる川添いに進み、時折わき道に入って色々と採取しながら、一度の野営を挟んだ翌日、川の流れが穏やか且つ近くに湧出点が複数あり、水質が綺麗な場所に出るとポーチから衣服を取り出した。
天気も良いし、と溜まった洗濯物もついでにと洗った後に自分も水浴びを始める。
吹く風は水溜まりに氷を張りそうなほど冷え始めているものの、日差しは暖かい。長い薄茶色の髪を絞り、顔に掛かった水滴を拭うように顔を仰向かせた青年は、川向こうの崖の上を見上げて気づいた。
(あ、木の実)
腰まで水につけ、無防備に崖の途中にある木の実を見上げ採取の方法を考えていると、背後の茂みが騒がしくなった。そして大きく揺れてソコから、大きな獣が飛び出して来た。
青年はまるでそれに気づかないように上を見上げつづけていた。暫くして
「おい」
かけられた声にゆたりと振り返った。そしてそこにあった光景にまるで驚いた様子も無く、ニコリと微笑んだ。かち合う視線が戸惑うものから瞬時に警戒のものに変わるのを内心興味深く見ていた。
「ありがとうございます」
向けられる鋭い視線に怯む事も無く、またジワリとそこに居た人の足元を染めていく飛び出して来ていた獣の血に怯える事も無く、そう言って見せる青年に、向けられる視線は一段と鋭さを増した。
「お前……」
獣にとどめをさした男は、問いかける言葉を探しあぐねて言葉を切った。こんな場所で何をしているのか、と問えば見るからに水浴びだろう。例えこんな季節にわざわざ、街の近くの川でする必要性を疑問に思ったとしても、そこを問いかけるような必要も感じない。
ただ目の前の人物に、自分が仕留め損ね、追って来た獣が襲い掛かろうとしたのは事実ではある。襲い掛かる前に仕留めたものの、僅かにでも遅ければ後頭部は抉れていた。
侘びが必要か、と悩む相手に青年は浮かべた笑みをそのままに視線を先ほどまで見上げていた方向へと向けた。
「あの実をどうやって採るのが良いかと。出来れば枝ごと欲しくて」
のんびり、という表現がぴったりの声で濡れた指先でそこに生えていたものをしめす。
青年よりも年上に見える男は指先を追うように上を見て、僅かに目を瞠る。街の近くで上位の採取依頼の植物が生えていた事にか、それが季節外れに実をつけていることにか。
男は一つ剣を振り、血糊を払い落としながら川の縁にせり出した岩の上に立つと僅かに膝をため、かなりの幅のある川を飛び越え反対の縁におりると更に跳躍し、自分の身の三倍はある高さにあった枝を二本切り取って降りて来た。
元居た岩の上へと跳び戻り、その内一つ、実の多い方を青年に差し出した。
「足りるか?」
「充分です。ありがとうございます」
遠慮なく、と川淵に寄って来た青年は上を向いて手を差し出す。片膝をつき枝を際出した男は青年の白い肌に視線が吸い寄せられる気がして、目を細める。
風邪を引くと忠告を向けるべきなのだろうが、差し出された指は震えもしていない。
傷一つ無い滑らかな肌を水滴が伝う様がやけに視線をひきつける気がした。
男の手から枝が引き抜かれる感触に我にかえり、身を起こした。
青年は受け取った枝の切り口を確認して、男の腕前に感嘆したもののそれを表に出す事無く、枝についた実の状態を確認する。直ぐに処理したいが、この場では無理かとしまう為に衣服などを置いたほうへと向かう。
向けられた白い背中へ
「ココは一般人が入るとこじゃねぇ、さっさと」
ココを出ろと言いかけて、口を閉ざし、もう一度青年を見て男は言葉を切った。
どこか温かみを感じさせる茶色の長い髪が、幾束かに分かれてはりつく透けるような白い肌。枝を持つ指は綺麗に整っており、平民のような荒れも、冒険者のような傷も武器を持つごつさも無い。
晒された身体は男のものだと一目で分かる。全く鍛えていないわけでも無いが、男ほどに戦闘に向いた身体でも無い。
明らかに平民では無い。こんな所で水浴びしているのだから貴族では無いかもしれないが、上流階級の商人の息子あたりだろうか、と推測しつつ周囲を見回す。
護衛かお付きでもいないかと見るが、気配に人は見当たらない。
面倒だと思いつつも、気になってしまうのは過去の経験のせいだろう。
かけられた声にゆっくりと身体を隠すことなく半身で振り向いた姿に目を細める。
「出れるか?」
問いかけには軽く首を傾げる動作で返されて、面倒くささに一つ舌打ちをする。
コレが冒険者だったり、騎士だったり、明らかにこういった場所に慣れていそうな採取家だったりすれば声はかけなくて済んだはずだったのだ。
「こっから、街道に戻れるかって聞いてんだ」
「ええ、お気遣いありがとうございます」
「そうか」
それは良かったと、本当かと訝し気に見つめつつも面倒は御免だと剣をしまい、枝を持つのとは反対の手で獲物をむんずと掴み、踵を返した男に
「ご面倒ついでに、一つお聞きしても」
柔らかく掛けられた声に、舌打ちを一つする。
振りからずに、ただ足を止めた男に
「ここから一番近い、冒険者ギルドのある街はどちらでしょう?」
かけられた質問に、男はタップリ時間をかけてから振り返った。
眉間の皺は出会った時よりも更に深くなっている。
先ほど街道に戻れる、と言っていたのに出れば見える街――王都の方向を知らないという。明らかに迷子だろお前、何でのんびり水浴びしてんだ、などの口にしたい文句ともつかない心情を呑み込み、ただ一言答えた。
「あっち」
枝を持った手の指で示された方角を辿って見た青年は、一度空を見上げて方角を確かめてから一つ頷いた。
「ありがとうございました」
そう言って、顔にかかる濡れた髪を一度かき揚げてから、ポーチから何かを取り出し男に放る。
咄嗟に獲物を放り出して受け止めた男が、手の中の物を確認して息を呑む。本物かと凝視し、そこに宿る魔力の気配と質に確からしいと思えば更に信じられなかった。一介の商人が取り扱えるものではない。
問いかけようと顔を上げて、その場から忽然と消えていた姿に愕然とした。
思わず荷物のあった方を見ればそれも無くなっている。
自分が動く気配を全く感じなかった事に更に衝撃をうけ
「な……」
思わず零れた意味をなさない言葉を寒風に溶かして暫し呆然と立ち尽くした。
もう一度手の中を確認して、舌打ちをした男はそれを納めると他の獲物を回収する為に早足に元来た道を戻る。
(向かう場所は分かってんだ)
何となく悔しい気持ちを抱えたまま進める足はどんどんとその速度を増していた。
ありがとうございました。