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俺が支えれる背中

作者: vurebis

今回も短編です。

今長編を書いているので、筆遅くてすいません……

 テーブルに置かれたジョッキの取っ手を豪快に握った今野(こんの)君は半分ほど残ったレモンサワーを飲み干し、俺にスマホ画面を突き付ける。

「これっすよ藤本(ふじもと)さん、これ! この新人賞を取りたいんですよ僕は!」

 そんなに酒に強くない今野君は顔を真っ赤にさせ机に突っ伏す。右手で持ったスマホだけは俺の方を向いたままだ。ジョッキから離した左手は握りしめて、震えている。

 画面には『コンリュウ』と書かれたユーザーの小説ページが開かれ、数個小説のタイトルが並んでいる。

「これは、ラノベってやつやね? いっつも見せてくれとるファンタジーを送るん?」

「はい。このところずっと書いてるやつを送るんですよ」

(くれ)で言っとるやつか。あれ、おもろいし良いところまで行けると思うのよなぁ」

 今野君と俺は洋食店『呉』で働くアルバイト。二十八歳で会社を辞め、アルバイトを始めだした俺は六つ年下の今野君と仲良くなり、よくつるむようになった。

 彼が小説を書きあげる度にこうして居酒屋で読ませてもらう。そのお礼に酒を奢るのが俺と今野君の日課になっている。今日は珍しく今野君の方から誘ってきた。

「ほんとですかねぇ……」

 突っ伏したまま視線だけこちらに向ける今野君は弱々しく続ける。

「この前僕の小説に感想が届いたんです」

「なんて?」

 大きくため息を吐いた今野君は乱暴にスマホを操作する。そのままスマホ画面の文字を音読する。

「ヒロインが全然可愛くないですって……僕は一番可愛いと思って書いてるんですよ?」

 これです。とスマホを操作し小説サイトの感想ページを見せてくれる。書いてある感想は予想より厳しく書かれていて、文章の最後には「面白くない」とまで書かれていた。

「こんなに厳しく書くんか……」

 驚き、食べていた焼き鳥の咀嚼を忘れてしまう。

 こんなこと面と向かって言えるのかと書いた本人を問いただしたくなる。

「筆者にリアルタイムで感想が届く分、気に入らないところがあったら書きやすいんじゃないですかね。知らないですけど」

 いじけたように今野君は呼び出しボタンを押す。店員がすぐに来る。

「すいません。レモンサワーください」

「今野君、その辺にしとき?」

 興奮が収まり、真っ赤になっていた顔は普段の色に戻っているが、いつもなら止める頃合いだ。トロンとし出した目はゆっくりと俺に向けられる。

「今日は許してくださいよ。新人賞の前祝ですよ。前祝」

「もう大賞取るつもりやん」

 自信作なのであろう。酔っているとは言え、自分が書く作品の自信は大したものだ。

 つい微笑んでしまう。こういうところが今野君の良いところかもしれない。まっすぐに目標に向かって突き進んでいる。俺はそんな今野君を見るのが好きだ。

「絶対こいつ見返してやるんすよ」

 今野君はテーブルに置いた感想のページを開いたままのスマホ画面をコツコツと指で叩く。

 今野君から感じる悔しさと、若さとを俺は少し羨ましく思いながら酒を口に含む。

 今までの俺にはこんな夢中になれるもんあったかな……と心の中の独り言がチクリと俺に刺さる。

「ええね。その意気や」

 今野君から目線を外し、微笑みながら酒を飲む。俺には眩しすぎる存在。目をそらさないとまともに酒を飲める気もしない。

 しかし、こういう姿を見れるから今野君との飲みはやめられない。彼から活力を貰える気分になるからだ。

 届いたレモンサワーを一気に飲んだ今野君は帰るまでずっとしゃべり続けていた。

 帰り道、冬の寒さが酔った体を冷やしてくれたのか、今野君は「自分ばっかり喋ってすいません」と言い続けるのだった。


「お疲れです」

 時間帯責任者の黒いベストを着用した今野君が水の入ったコップを持ってくる。

「ありがとう。助かるよ」

 頷いた今野君は水を飲む。俺も水を口に含む。二時間近く厨房にこもって汗だくになった体が冷えてくる。俺と今野君は調理台に寄り掛かり話す。

「あの、ちょっと元SEに聞きたいことがあるんですけど」

「なんや?」

 俺は三年ほどSEをやっていた。今は退職し、アルバイトで生計を立てているが、同じアルバイトでそのことを知っているのは今野君だけだ。

「ワードとかってSEとは関係ないですよね」

「あんまり関係ないけど多少は分かるよ」

 今野は素早く首をこちらに向ける。

「マジっすか! ちょっと聞きたいことあるんですけど」

 見開いた瞳は俺を捉え輝いている。

 彼が何を問いたいのかは手に取るように分かる。昨晩小説を書いたときに何か問題が起こったのだろう。

「また小説?」

 この質問は今野君には無意味かもしれない。しかし聞かなければ俺の気が済まない。

「そうっすね。恥ずかしいんですけど使いこなせなくて」

「任せい。この前のやつ、書いとるん?」

「はい。例の新人賞書いてます」

 目線を下に向け、照れくさそうに微笑む今野君は水を一気に飲み干す。

「また読ませてな」

 今野君に合わせ水を飲み干した俺は今野君からコップを預かり、俺のコップと一緒に食洗器に入れる。

「了解っす」

 微笑みながら今野君はカウンター側へと消えていく。

「ええなぁ。熱中できるもんがある奴は」

 注文が入り、また俺は作業を始める。

 夢中になれる物がある今野君は正直羨ましいし、尊敬する。

 俺にもあんな時期があったのだろうか。もしあったとしたら、その時の俺は今の俺を見て何と言うのだろうか。

 そんなことを思いながら片手間に調理を続けた。


「じゃ、今野君お疲れ」

「お疲れ様です」

 今野君と店を閉めた後、俺たちは牛丼屋によった。その間ももちろん小説の話。今日は好きな小説の話をし続けた。今まであまり小説を読んでいなかったので為になる。

「本当に読んでくださいね? めっちゃいいですからっ! 人の心っていうか、感情が溢れてくるんですよ。あー僕もこんな書き方したいなって思いましたね」

「そんなに力説されたら買うしかないな。明日バイト前に買うわ。今野君のおすすめなら信用できるしね」

 小説の話をしている時の今野君はとてもいい顔をする。

 好きなものをとことん突き詰めるということは、俺が思っているより素晴らしいものかもしれない。俺まで詳しくなった気分だ。

 それと同時にここまで夢中になれる物が無い俺が空っぽだと感じて仕方がない。今野君の前では絶対に見せたくないが、話している間も心の中の俺が常に自分に問いかけてくる。


―――お前はこんな人間になれるのか?


 今野君と別れた帰り道。歩いて数分だけだが今日はなんだか帰る気になれず近所の公園に寄った。昼間は子供たちの声がよく響くが、夜は街灯が一つポツンと寂しそうに遊具を照らしている。

 時々この公園に来るが、今野君の小説について話をするようになってから回数が増えているように思う。

 理由は何となく分かってはいるけど、自分の弱さとか、醜さとか全部見てしまいそうで、それを見たくなくて、はっきり意識することを拒んでいる。

 ふうっと息を一つ吐き空を見上げる。都心側の空は星も見えないほど明るく照らされている。  ぼーっとそれを見つめながら重い足取りで公園の置くまで進む。

 奥の屋根付きのベンチまで進み、腰を下ろす。ひんやりと冷たい鉄製のベンチはゆっくりと沈んでいく心を更に静かに、冷たく確実に沈めていくようだ。

 まるで深海に居るみたいだな……とふと思った。

 周りも見えていて、自由に動けて、空気も吸えて、何も困っていないのに、不安になる。足がついていない水中で力を入れても何も起こらない様に、今の俺も何に力を注いでもまるで駄目。空回りするだけで上手くいった試しがない。

 それがとても怖くて身震いして、寒い。俺には何か輝けるものはあるだろうか。心の深海を明るく照らし、柔らかく暖めるものが。

 思い出したようにポケットからスマホを出してメモアプリを起動する。会社を辞めて何となくアルバイトで働いているが、どうも何をしていいのか分からないし、自分が何をしたいか分からない。

 それは今になって始まったことじゃなくて、気が付くとずっとそうだった。周りに流され何となく生き過ぎたと気付いた時にはもう就職していて、ある程度の役職に就いていた。

 毎日同じ時間に出勤して、決まった仕事をやり続ける事にやりがいを見出す同僚もいたが、俺はそれが何となく許せなかった。

 このまま歯車のままでいいのかとふと思っていたのだ。

 しかし会社を辞めてからそんな考えを俺が持つべきではないと痛感した。

 仕事を辞めた後、やりたい事も決められない俺には、ただ仕事を辞めただけのただの男になった。何の原動力もなくなったのだ。

 今の俺には、今野君の様に何かをしたいから、目標があるから頑張る。なんて事出来る訳がない。

 画面の最上部には『やりたい事リスト』と書かれているがそれから下は何も埋まっていない。

「今野君今頃書いてるんかな。ようやるわ」

 身近にやりたい事をやって、あんなに輝いている奴が居るのは楽しい半面、自分が何もない奴だということを突き付けられているように思う。

 吐いたため息が白くなって、宙に舞って消える。

 俺の存在って、こんな物なのかなと考えてしまう。

 吐いた瞬間は見えるがどんどん薄くなってやがて消えていく。今まで会って、話した人たちにとって俺は白い息なのだろうか。それとも白い息にすらなっていないのだろうか。

 答えの出ない自問自答を繰り返し続け、だんだん意識が遠くなってくる。

「帰ろか」

 答えが出ない頭をリセットするように声を出し、ゆっくりと歩く。

 結局やりたいことリストは埋められないまま数分を歩いた。


 家に帰り、ベッドで横になる。ワンルームにテーブルとベッドを置いただけの自室は、部屋というより箱の様に感じる。

 俺と同じ年の人なら、アニメのフィギュアや、流行りの音楽のCDなんかを置いて、もっと飾り気のある部屋に仕上がるのだろうが、風呂に入って、寝て、バイトに行く為の箱。飼育小屋みたいだ。

 見慣れた景色なはずなのに何故か今日は無性に腹が立った。こんなにも何もない人間だと帰ってからも思わないといけないのかと感じた。

「俺もなんか始めようかな」

 服を脱ぎ捨て、独り言を呟きながらタブレットの電源を入れる。ダメだとは分かってはいるけど、何もすることなく眠たくなるまで動画を見て過ごしてしまう。今日もこうしてこのまま寝てしまうのだろう。

 何か趣味を見つけよう。とにかく自分を肯定できる様になりたい。何もない奴だと自分で認めたくない。

 何を始めようか。何かゲームにでも熱中してみようか。写真を撮り始めるのも悪くはないだろう。幸い会社員時代の貯金には手を出していない。

 スマホの検索アプリを起動しようとした時、電源が入ったタブレットに一つ通知が来る。見てみると通知が来たのはイラストアプリ。

 会社に行っている頃、休憩の暇つぶしにと入れたアプリだ。何となく懐かしくなり起動する。

 起動した画面には、これまで書いた景色の絵だったり、アニメのキャラクターの模写だったりが並ぶ。下にスライドすればかなり古い絵まで出てくる。

 誰に習うでもなく始めた絵はお世辞にも上手いとは言えないだろう。

「それにしても、下手やなぁ」

 研究職を目指し入学した大学を卒業し、学んできた事と全く関係ない会社に入っていた五年間。その間特に何か力を入れた事も無いがこの絵だけは唯一行っていた俺の趣味とも言えるものかもしれない。

「またやってみるかな」

 何となく棚からタブレット用のペンを取り出し、絵を描き始める。

 さっとペンを走らせるとタブレットに線が入る。五年間ずっとやってきた作業なのに一年空くだけで新鮮に感じる。

 描きたいものを描くということは俺を表現できる事なのかもしれない。そんなことがふと頭によぎった。今野君はこれに楽しみを見出したのだろうか。やっている事の本質は創作という点で変わらないが、目的が違うだけで、こうも違うのか。

 もしかしたら今こうやって自主的に描くことは、生きがいも無くただ過ごしていただけだった過去の俺の否定になり得るかもしれない。

 そう思うと絵を描くことに少し楽しみが持てるような気がした。

 大声で「今の俺は違う」と叫べるような。

 喉の渇きも感じない程、俺は黙々と描き続けた。一年ほど描いていなかったせいか、さっき見た自分の絵とは程遠い出来だった。

「書けた……相変わらずやなぁ」

 苦笑いをしながら絵をまじまじ見る。

 昔見たアニメのキャラクターを一体描いてみた。曲がりまくった輪郭と、それからはみ出した色。目の焦点も何となく合っていない様にも見える。一番ひどいのは髪の毛で、まるでカツラを乗せている様だ。

 小学生が書いたと言っても納得する人の方が多いだろう。

 でも楽しかった。

 時計を見ることなく書き続け、気が付くといつもならとっくに寝ている時間になっていた。

「もうちょい描こうか……」

 俺はまた新しいフォルダを開き、真っ白なページを出す。

 次は風景の絵を描こう。俺は帰ってきた時に脱ぎ捨てた上着を羽織り、外に出た。

 歩いて数分で着いたのはさっきまで居た公園。街灯が一つだけの簡素な公園だがやっぱり静かで、とても落ち着く。

「よいしょっと」

 ゆっくりとベンチに座り遊具を見る。家に帰り、絵を描くまでは、寂しい気がして、一人でいると気分が落ちるだけだったが、今は違う。

 真っ暗な公園に一つ灯るあのライトの様に、俺の人生の、光る何かを掴みかけている気がして、それに向かう為に今すべきことを見つけられた。それだけで心が躍る。

 ペンを握る俺は気が付くと笑っていた。

 ふと、今野君もこんな感じで小説を書いているのかな、と思った。俺の憧れた今野君に少しでも近づけたかな……と。

 でも、心の中で少し「今野君のスタート地点に立っただけ、とっくに置いて行かれている」 

 と冷静に俺に言ってくる俺も居て、それがなんだか悔しくて、ペンを握る力が強くなった気がした。

「描かな」

 自分に言い聞かせるように一言呟き、再びペンを走らせる。やっぱりこの場所は良いなと考えながら風景を描いた。


「いらっしゃいませ!」

 次の日。やけに機嫌のいい今野君は、いつになく丁寧に素早く客を捌いている。

 周りに振りまく笑顔も、いつも以上に見え、声のトーンも高い。

「次、三名入ります!」

「はいよぉ!」

 厨房に顔を覗かせる今野君は忙しそうに客の入りを伝える。それに答えるように俺を含めた厨房スタッフは返事をする。

 今野君の声に反応するように俺の声も大きくなる。今日は仕事が楽しくなりそうだ。

「今野君今日はえらい気合入ってんなぁ」

 料理を盛り付けつつ、笑顔の今野君に声をかける。その表情は心なしか嬉しそうに見える。

「いい事あったんで! また後で話しましょ」

 そう言って今野君は飛ぶように各席へと向かっていった。

「何やろうな」

「彼女でも出来たとか?」

 隣でフライパンを振る森本が呟く。同じ時期に働き始めた森本は年も近く、同期としていい仕事仲間だ。フライパンから目を離さずに淡々と思いもしなかったことを言う。適当言うにしてももう少しオブラートにだな……。

「ほんまに?」

 心ではそう思いながら森本から目が離せずにいる。

 マジで? その情報はドコから? 覗き込むように凝視する。

「いや分かんないけどね? あんなに浮かれるのは女が出来たからって言った方が納得いきそうかなって。はいよ」

 そう言って森本は出来上がった料理を受け取り調理台に置く。相変わらず表情を変えない奴だ。

「いや知らんのかい……。まぁ、分からんでもないけども」

 盛り付けの仕上げを終え新しい食器を出す。

「でも今野君からあんまり浮いた話聞かんけどなぁ。はい、五番さん持ってってー」


「で? 今日はどしたん?」

 閉店時間を迎え、厨房の片づけをしながら客席の掃除を終えた今野君に今日のことを聞く。

 彼女が出来たなら素直に祝う心の準備は出来てる。

 まるで自分の事に祝う事だろう。きっといつもの居酒屋に行って日付が変わっても呑み続けるだろう。

 ちょっと奮発して美味い店に行くのも良いかもしれない。

 今野君は何が好きだろうか……。やっぱり若いし肉が良いかな。次の日の胃もたれも覚悟しなければいけないだろう。

「あ、そういえばまだ言ってませんでしたね。昨日藤本さんと別れた後のことなんですけど、僕が投稿してる小説に感想が届きまして、めちゃくちゃ褒めてくれてる感想で嬉しくなっちゃいまして」

 報告してくれる今野君はいい笑顔だ。一日中この笑顔を客に振りまいたのだろう、こちらの気持ちの軽くなる。

「え……感想? 彼女じゃなくて?」

 何回か頭の中で今野君の言葉を反芻する。やっぱりこの男、小説バカだ……。

 森本に言われ、勝手に勘違いした俺が恥ずかしい。

「彼女? 僕イコール年齢ですよ?」

 どんどん羞恥で顔が熱くなる俺を、きょとんと首を傾げ微笑む今野君。

 数秒、厨房に静寂が訪れる。

「や、やったじゃん。やっぱ今野君はいい小説書くもんなぁ!」

 堪らず声を大きくして今野君を讃える。

 いつも読んで面白いと感じている彼の小説を評価されるのは俺も素直に嬉しい。

 これはこれでお祝いモノだろう。早く呑みの予定を立てなくては。

「でも最後に挿絵があったらなぁって書いてあるのが引っかかって……」

 今野君は声のトーンを落とし、スマホを取り出して感想ページを見せてくれる。

『展開が早く、中盤の山場も読みごたえがあった。話がしっかり作られているので展開が早くても流し読みの様になることも無いのが好印象だった。ただ挿絵が欲しくなる。キャラクターをイメージすることの助けになると思います』

 送り主のユーザーネームはアセスメントと表示されている。スマホ画面から目線を上げた時、今野君の表情は暗くなる。

 小説以外で評価が下がってしまうのは俺には理解が出来なかった。

「挿絵ねぇ……最近の小説は挿絵が無いと読んでくれんの?」

「まぁ、挿絵がある小説もありますし、あれば良いんでしょうけどね……」

 その人の言う通りイメージの助けのもなりますし。とため息を吐く。

「なんか上から目線で腹立つこと書くなぁこいつ。絵さえありゃこいつを見返せるんかな」

 まるで自分の事のように腹が立つ。どうして小説を書く人に絵を求めるのだろうか。

「見返したいのもありますけど、僕の小説で喜んでくれる人が居るなら、絵も描いてみようかなって思いまして」

 まさか今野君は今から絵を描こうとしているのだろうか。

「そんなことしたら小説書く時間減らん?」

「……減りますけど仕方ない事ですよ。見る人の求めるものを作りたいんです僕は」

 俺をまっすぐ見つめる今野君の目は本気だ。何度も見た事があるが、こうなった今野君は止まらない。

 だが俺には少し引っかかる。プロにもなってない今野君の小説を読者たちが捻じ曲げてもいいのだろうか。今、今野君がしようとしている事は本当に今野君のしたい事なのだろうか。

「それは少し違うんじゃない?」

 あぁ、また俺の心にトゲが刺さる。

「え、どういう事ですか?」

 今野君は驚き目を見開く。

「絵を描くことは本当に今野君のしたい事か? 違うじゃろ」

 目の前の今野君は昔の自分と重なって見えた。

 好きなものを追いかけ続けた大学時代。目の前の事に夢中になっていたが、気づけば教授の雑用係になり、追い求めていた事とは離れていくような感覚に陥っていた。

 そして社会人になり、振られてきた仕事をこなせばいいだけの毎日に疲れ辞め、今はアルバイト。あの時、研究に参加させてもらうよう言えば少しは違っていたのかもしれない。だが俺は教授の機嫌を取ることを優先した。人の様子を窺うことばかりに集中してしまった。

 だが夢に向かって輝く今野君がこんな目に遭うのは見ていられない。

「違いますけど……」

 今野君は俯き黙る。

 またチクリと心が痛む。そんな顔をしないでくれ、今野君。俺は君を支えたいだけで、追い込みたい訳じゃない。

「……絵、俺が描こうか」

 だが、俺なら出来るかもしれない。今野君をずっと見てきた俺なら、もしかしたら。

「え⁉ 藤本さんがですか?」

 俯いた顔を勢いよくこちらに向ける。

 俺を捉えて離さない瞳は藁にもすがる思いが伝わってくる。

「びっくりしたぁ。ちょっと描いてた時期があってな。下手でよければじゃけど」

「本当に、いいんですか?」

 自分が息抜きで始めたものが誰かの助けになるとは思わなかった。

 何も無く、生み出す物も無かった俺の生活が動き出しそうな予感がする。

 これは俺にとってはチャンスかもしれない。

「ええに決まっとるじゃろうが」

 今野君がどんな話を書いて、どういう風にキャラクターを魅せたいか、いつも聞いている。だから他の誰よりも分かる。

「明日までに一枚くらい書いてくるからちょっと見てみてや」

「は、はい! ありがとうございます」

 帰ってすぐに仕上げよう。今野君の期待以上の絵を仕上げてやろう。彼の小説をより良いものにしてやろう。

「そうと決まればすぐに片付けんとな」

 その後、いつもの半分の時間で閉店作業を終えた。いつもの公園には寄る気にもならない。やっと見つけた。俺のやりたい事。八時間働き、疲れて帰るはずの体も軽い。上がった口角も下がりそうにない。

 帰宅しすぐにタブレットを起動し書き始める。携帯で今野君の小説を見ながらキャラクターの特徴を頭に刻む。頭の中で浮かんでいる顔をそのまま描く。一度に握ったペンを止まらせた頃には二人の絵が出来ていた。まだ色を塗ってはいないが中々良く描けたと思う。

「出来た」

 ペンを置いて保存をする。携帯を見ると今野君から何通かメッセージが届いている。

『藤本さん。今日はありがとうございます。まさか僕の小説の絵を描いてもらえるなんて思ってもみませんでした』

『寝てしまいましたかね? もし寝る前にこれ見たら電話ください』

 机に置いた時計を見る。時刻は二時。いつもなら寝ている時間だが今野君は起きているだろうか。

『ごめん。今見たわ。まだ起きとる?』

『全然起きてます! まさかこの時間まで描いてたんですか⁉』

『描き出したら止まらんくてな。今から電話大丈夫?』

 今野君の反応が一旦途切れる。

『大丈夫そう?』

『すいません! 今からかけます』

 メッセージが届いた瞬間今野君から電話がかかる。

「もしもし、今野君?」

「あ、藤本さん。すいません夜遅くに」

 今野君の声はいつもより明るい。

「ええのええの。で、話って?」

「あ、絵の事なんですけど、明日空いてます? 僕早上がりなんで藤本さんが良ければファミレスでも言って話したいな。と思いまして」

「お、なんか打ち合わせみたいでええね。俺明日休みだし大丈夫よ」

「ほんとですか⁉ やった。じゃ夜の八時から駅前のジャストでどうですか。ドリンクバーもありますし」

「オッケー了解。先入って描いとくわ」

「お願いします!」


 次の日。六時から時間が出来た俺は早めにジャストに向かい、テーブル席を取った。今野君が来るまで二時間ほど。この間に絵を描こう。

「そう言えば今野君ってツイッターとかしてんのかな」

 今野君のペンネームをツイッターの検索バーに入力する。

「確かコンリュウだっけか?」

 何人か同じ名前のアカウントが出てきたがプロフィールを見るとすぐに見つけれた。幾つかのツイートと小説の更新のお知らせが出てくる。思ったより反応も良い。

「俺もつくった方がいいんかなぁ」

 いつも使ってるアカウントは愚痴ばっかり呟いている。新しく作った方が良いだろう。

「名前……適当でいいか」

 富士本と自分の名前をもじっただけの名前にし、新しく作った。コンリュウだけフォローをし、ツイッターを閉じる。

 時刻は六時二十分。色を塗って待とう。

 八時を回った頃、何とか納得のいく絵になった。これなら今野君も喜んでくれるだろう。

「藤本さん。遅れましたすいません」

 五分後、今野君が来た。急いで来たのだろう肩で息をしながら向かいの席に座る。

「待っとったよ。何頼む?」

 渡したメニュー表を受け取り、軽く目を通す。

「ドリンクバーだけで大丈夫ですかね。賄い食ったんで」

「ドリンクバーならもう頼んどるから大丈夫」

「あ、ありがとうございます」

 立ち上がって飲み物を取ってくる今野君を見送ってから、書いたイラストの準備をする。

「お待たせしました」

「よし、早速見てもらおうか」

「お願いします」

「とりあえず二キャラ書いたんやけど今野君のイメージと合っとるじゃろうか」

 上手く描けたとはいえ、俺の絵だ。アニメや小説の挿絵のとは程遠い。この絵を好いてくれるだろうか、今野君の読者は喜ぶのだろうか。考えれば考える程心臓がうるさく、早くなる。

 自分の描いたものを人に見せるのはこんなにも緊張するか。今野君もこんな思いで俺に見せていたのだろうか。

 そう思えば思うほど今野君は凄い奴だと実感する。

 タブレットを受け取り、俺の絵を見た瞬間、今野君はものすごいスピードで椅子から立ち上がった。

「藤本さん……」

「え?」

 タブレットから目を離さずにスワイプし、呟くように続ける。

「僕の頭の中のままです。これ……」

 目線を上げ俺の顔を見つめる今野君。

「お世辞でも嬉しいわぁ。何も文句ないん?」

「ええ! この絵に文句は出ませんよ!」

 興奮しっぱなしの今野君はやっとタブレットを返してくれる。

「すぐにでもこの絵、投稿していいですか⁉」

 慌ててポケットからスマホを取り出し操作する。

「う、うん。ええけど今野君マジで?」

 自分が作ったものをそんなに喜んでもらえるなんて正直思いもしなかった。

「何がです?」

「いや、俺絵描くの久々やし、他の人と比べると大したこと無いと思うっていうか」

 今野君は目を丸くして口角を上げる。

「藤本さん珍しいですよ? そんなに弱気なの」

 今まで今野君に向けられたことのない顔をされて更に恥ずかしくなる。

「なんよ。しゃーないじゃろ、絵描きよったの社会人のころよ? 自信なんてあるわけないじゃろうか」

 コップに注いだコーラを一気に飲み、頭を掻く。

「僕は思ったこと言ってるだけですよ? そんなに必死にならなくても」

 ふふふと笑う今野君は机に置いたタブレットに携帯を向ける。

「みんなに見せたいですし絵ください」

「お、おう分かった」

 メッセージでイラストを送る。

「送ったで」

「あ、来ました。ツイッターの反応楽しみですね」

 スマホ画面を触る今野君の指が止まる。

「あれ、もしかして藤本さん僕の事フォローしました?」

 これ、と画面を見せてくれる。さっき俺が作ったアカウントが表示されている。

「うん。さっき今野君を待ってる間に作ったんよ」

「そうだったんですね! 返しときますね」

 すぐに俺のスマホに通知が来る。

「これでツイート出来ました。あとは投稿サイトに投稿するだけですね」

 自分のスマホでコンリュウのツイートを確認する。

『僕の小説に挿絵を描いて下さいました! 僕の頭にある人物像通りで驚きです。これからも読んでくださいね! イラスト→@fuzimoto』

 二つの画像を添えたツイートには早速複数のいいねが付いている。それと同時に何人かが俺をフォローしているようだ。通知が来ている。

「今野君すごいな。俺のアカウントのフォローまで来だしたで」

 さっきまで一しかなかったフォロワーが短時間で増えている。信じられない光景だ。

「みんな藤本さんの絵が素敵って思ってるんですよ! 僕もなかなか無いですよこんなに反応が早いなんて。ほんとにありがとうございます」

 今野君は頭を下げて感謝してくれている。俺は焦った。

「いや、俺が勝手にコメントした読者に腹が立って描き出しただけや! そんな頭なんて下げんでくれって」

 今野君はゆっくりと頭を上げる。俺を見る目には涙が浮かんでいる。

「え⁉ 今野君なんで泣いとるん⁉」

「だって、あのコメントが来たとき、すごい怖かったんですもん。絵なんて描けないしあのコメントを見た人が気分悪くなって見なくなるかもしれないって思ってましたし……」

 指で涙を拭きながら今野君は続ける

「僕が書いた小説を目の前で読んで、すぐに感想をくれるだけでも嬉しいのに絵まで描いてくれるなんて嬉しすぎて……すいません。ふふっ、変ですよね」

 泣きながら笑う今野君を見て俺は。

「こんなに喜んで貰えるなんて俺も嬉しいよ」

 こんな言葉しか言えなかった。強く見えた今野君が今は俺の知らない小さい今野君に見える。

 その小さい今野君を俺が一度は捨てた絵で救ったと思うと胸が熱くなって来る。憧れていた眩しい今野君に追いついたようなそんな気がした。

「これからも今野君の小説の絵描いてええ?」

 まだこれから先も描きたい。今野君の背中を追い続けたいと心から思う。

「こちらこそお願いします。藤本さんと出会えて良かったですっ……」

 それから俺たちは閉店時間を迎えるまで今後の展開や、絵のキャラクターのデザインを話し続けた。


「お疲れです」

 時間帯責任者の黒いベストを着用した今野君が水の入ったコップを持ってくる。

「ありがとう。助かるよ」

 ピークが過ぎた昼過ぎ、調理台に寄り掛かって話す。

「そういえば、藤本さんに見せたいものがあるんですよ!」

 そう言って今野君はポケットからスマホを取り出す。普段は仕事中にスマホを取り出すことなど絶対に無いがそれほど良い事なのだろう。

「これ! 見てくださいよ‼」

 今野君が見せてくれたのは小説サイトの感想ページ。そこには一件の感想が届いていた。

『挿絵が入ったことで物語への没入感が増したと思う。挿絵がもともと良かった小説をよりよくしていると感じた』

 感想を書いたアカウントはアセスメント。

 読んだ途端笑いが込み上げてくる。たまらず俺は笑いだしてしまう。

「あはっはっはっは! やったじゃん今野君! 大成功やん!」

「もうめちゃくちゃ嬉しかったですよ‼ 最高の気分です」

 今野君も俺も笑う。すっきりした気持ちだ。

 俺の力が認められるとか、そんな事はどうでも良かった。俺が今野君の支えになれたことが何よりも嬉しい。

「あの、そういえば藤本さん、この前言った新人賞なんですけど」

「うん?」

 いったん落ち着いたところで今野君は言う。

「あれの大賞を取ったら挿絵のイラストレーターを自由に選べれるんですって」

「マジか」

 あれからツイッターでイラストレーターをいくつかフォローをし見てみたが、どれもこれも俺とはレベルが違いすぎる。プロの凄さを思い知った。今野君にも好きなイラストレーターは居るのだろうか。

「みんな絵描くんウマいからなぁ。好きな人選べるのは凄いな」

「何言ってるんですか藤本さん」

「え? 何が?」

 今野君は俺をしっかりと見つめる。

「僕が大賞を取るまで絵描くの辞めないでくださいよ?」

 そういって今野君は厨房を出て客席に向かっていった。


                                       終わり


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