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地獄 1

「お前、余の妻になれ」

「……。はい?」


 目を開けたら牙を生やした目つきの悪い男に睨まれていた。そして発した一言が妻になれ、だ。意味が分からない。


 玻璃(はり)鏡子(きょうこ)は司法試験の会場に行く途中だった。

 会場は日本橋にあるビル。日本橋交番の手前を左に曲がり、直線に歩いていけば着くはずだった。だが、交番の手前を曲がろうと横断歩道を渡ったところから記憶が一切ない。


 鏡子は牙の生えた人物をマジマジと見つめる。紅蓮色の烏帽子と着物。細長い目。そしてその人物の左右にはニコニコと愛想よく笑っている男性と、おでこに手を当て困り果てている男性が控えている。


「返事は?」


 男に低い声で尋ねられる。が、尋ねられた鏡子は発する言葉の意味もここにいる理由も分からない。


 落ち着け、落ち着け。裁判官に必要な要素は冷静さ、よ。


 鏡子は自身を落ち着かせながら周りを見渡す。部屋の造りは机と椅子が一つだけ。その机には大量の本と資料。そして一番の特徴は部屋に沿って本棚がびっしりと並んでいるところだった。


 ここは仕事部屋、なのかしら。などと考えていると男から「返事は?」とまた催促される。


「いきなり妻になれ、なんて言われても頷けません。だいたいここはどこなんですか。私、用事があるんです」

「ほう、覚えていないのか」


 男は一度鏡子に背を向けて椅子に座る。そしてめんどくさそうに椅子に仰け反る。


「まずここは地獄、だ」

「……。はい?」


 妻になれだの、地獄だの。さっきから状況に追いついていけない。それにもしここが地獄であるならば――。


「私は死んだことになりますよね」

「ああ。その通りだ」

「ええ?」


 あまりにもあっさりと返された。


 死んだ……。死んだ? それは困る。それじゃあ司法試験は、私の裁判官になるという夢はどうなる。叶えられないままじゃない。


 鏡子は男を鋭く睨みつける。


「私、帰ります」

「君はもう死んだと言っているだろう。どこに帰るんだ、玻璃鏡子」

「っ、どうして私の名前を」


 男は椅子に仰け反るのを止めて、鏡子を見つめる。そしてニコリとも笑わない仏頂面のまま口を開いた。


「それは余が俗に言う閻魔大王と呼ばれる存在だからだ」


 紅蓮色の烏帽子に着物。そして口から覗く牙。言われてみればイメージにある閻魔大王に合致するが。


 鏡子は死んだ、という事実が受け入れられず大きく頭を振った。そして閻魔大王、と呼ばれる存在から背を向け、部屋の扉を目がけて走る。


 冗談じゃない。私は帰るんだ。そして司法試験を受ける。


 思い切り扉を開けて外に出る。が、外に出て一歩踏み出した瞬間に立ち止まった。異形の存在が数えきれないほどいたからだ。鏡子よりはるかに背が低く体がやけに痩せ細っている緑の生き物、反対に背が高く角が生え明らかに鬼だと分かる物まで。

 ただ一つ共通していたのはそれらの異形の存在、鬼が――人を殺している、ということだけ。


 ある鬼は人を大きな包丁で切り刻み、またある鬼は大きな鍋で人を茹で、中には針の山に人を突き落としている鬼もいる。


 鏡子は思わず口を手で覆った。そしてまた大きく頭を振る。


 これは夢、夢よ。早く起きなきゃ。きっと今の私はまだ家の布団の中だ。司法試験が受かるかどうか心配すぎて、こんな悪魔を見ているんだ。


 そう言い聞かせるも目の前では次々と鬼が人を殺し続けている。


 思わず後ずさる。ミシッと派手に床が鳴った。その瞬間、小さな緑の鬼がこちらに目を移す。

 一瞬の間。――目が合った。


「っ!」


 緑の鬼は落ちていた大きな包丁を手にし、鏡子に一歩一歩と迫ってくる。鬼の目は爛々と黒光りし、楽しそうに鏡子を目で捉えている。


「や、やめて!」


 早く覚めろ、覚めろ、覚めろ。そう心で叫んでいるのに一向に目覚める気配はない。


 逃げなきゃとは思っているものの、鏡子の足は後ずさるばかりだ。にも関わらず鬼は着々と距離を詰めていく。

 あと一歩のところまで鬼に追いつめられる。包丁の先が迫ってくるのがやけにゆっくりに見えた。


 包丁の先が……。目の前まで……。


 お願いだから。夢なら早く覚めてっ。


 ギュッと力強く目をつむった。その瞬間、肩を掴まれグッと後ろに体を引かれる。


「やめないか。それは余の妻となる女だぞ」


 閻魔大王がピタリと鏡子の後ろについていた。


 緑の鬼は閻魔大王を鏡子の後ろに見つけるとワナワナと小刻みに震え、そして大きく一礼した後猛スピードでその場から逃げ出した。


「どうだ? 地獄だとよく分かっただろう」

「……」

「とりあえずは余の話を聞いてもらおうか。なに、お前を傷つけることはせぬさ」


 閻魔大王は不敵に笑う。


閻魔大王は元々ヒンドゥー教から来ていて、「人で最初の死者となり亡者の国の王となったと言われる神」だそうですよ。

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