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4.東京の男の子とのデート

 5月の中間テストが終わって、6月入ったある日、3者面談があった。


 さくらはひとり、教室の自分の席に越しかけて、雨根村の名物である、梅雨のしとしと雨、が降るのを、片手をついて眺めていた。


 3者面談であったが、さくらのお母さんは病気で、来ることができなかった。


「さくらさん、次だよ。私終わったからね」


  友達の知美が教室のドアからひょっこり顔をだした。おおきなレンズの黒ぶち眼鏡がよく似合っている、勉強が大好きな女の子だ。クラスで成績がトップのさくらを、いつもライバル視している。とはいっても、二人は仲良しだった。


 知美とその母親の声が遠ざかり、教室は再び静かになる。


 さくらは、よっと腰をあげて、教室を出て、階段を上った2階の職員室の隣にある、進路相談室のドアをノックした。


 中に入ると、窓際に机がおかれており、そこに担任の、前原先生が座っていた。


 さくらはお辞儀をしてから、促されるようにして、先生の前に越しかけた。


 目の前の机には、生徒のひとりひとりの資料を綴ったらしきバインダーファイルが置かれている。


 さくらが窓のそとに目をやると、2つの傘が揺れながら、校庭を出口に向かって歩いていた。


 きっと知美と、知美のお母さんだろう。前原先生は、さくらの資料に目をおとして、


「さてと。さくらさんは、8月の東京の高校へ編入する試験を受けたいのでしたね」


「はい、そうです」


 さくらは前原先生をみつめて、はっきりとうなずいた。自分でも理由はわからなかったけど、どうしてもその試験に合格して、東京へ行きたい。


「試験は大学受験レベルで、なおかつ論文、面接試験もあって、昨年は6000人が受験して、合格したのは30人だけ。倍率に直すと200倍ですね、でも…」


 先生は資料から目をあげて、さくらを見た。


「さくらさんなら、きっと合格できると思います」


 前原先生はさくらに笑顔を見せた。それには根拠があった。

 

 さくらは、5月の中間テストでは満点だったし、さくらが東京編入試験を希望していることを知った先生が、試しにやらせてみた編入試験の過去問題もすらすら解いて見せて、さらには間違いもほとんどなく、満点に近かった。


 間違えた数学の問題についても、途中の計算式を省略しすぎたために減点になっただけで、答は合っていた。


 テスト中は当然、脳内情報処理装置を利用することは許されないから、テストの結果はさくらの実力だった。


 さくらの前には、中間テストの結果と、編入試験の模擬試験の結果がプリントされた紙がおかれていた。


 テストの結果は申し分なかったけど、さくらには気掛かりなことがあった。


 仮に編入試験して編入した場合、東京の高校への入学金と学費及び寮費さらには、東京へ居住する権利を得るための保証金が必要になる。


 さくらが旅館のアルバイトを始めたのは、病院から帰ってきてからの春休みからだったから、いまいくらもお金は貯まっていない。


 この雨根村の高校への入学金と学費だって、お母さんが生活保護を受けているから、ある程度支払いを免除されているのだが、それをこれからすこしずつ、さくらのアルバイトのお給料で払っていくつもりだった。


 でも、東京で生活をはじめて、そして東京の大学を卒業してどこかの政府機関に就職できたら、それらを補ってあまりあるほどの給料と待遇を得られる。


 お母さんだって、東京へ呼び寄せて、こんな田舎の病院より、もっといい病院にかかることもできのだった。


 さくらが考え込んでいるのを、前原先生はどう思ったのだろう。さくらの家の事情は、もちろん把握しているはずである。


「とりあえず、受験するなら応援するから、まずはお母さんと相談してね」


 さくらはこっくりとうなずいた。


「それじゃ、次の、えーっと、みちおさん呼んできてくれるかしら」


 さくらが進路相談室から出ると、廊下に並べられた椅子に、もうみちおが座っていた。


 みちおは、さくらと目があると、やあというように手をあげてきた。


「みちおくん、次だよ」


 さくらが手の平を入口に向けると、みちおはゆっくり立ち上がった。


「みちおくんも、ひとりなの? ご両親は?」


「そうなんだ。その方が気分が楽だよ」


 みちおは、さくらの二つ目の質問には答えず、そう言って笑った。


「さくらさんも、ひとりだよね」


「うん、お母さん、家にいるから」


 さくらは、病気で、とは言わないことにした。


「そっか、家にいるんだね。いいなぁ…」


 みちおはふと遠くを見るような目になった。どういう意味なんだろう。みちおはひとりでわざわざこんな田舎の高校へ入学するために一人暮らしをしているのだろうか。それとも…。


「それじゃ、また明日ね」


 みちおはさくらに向かって片手をあげて、進路相談室へ入って行った。


 雨の降っている窓の外は夕方近くなって、鉛色の雲は暗さを増していた。廊下をところどころ白いLEDの明かりがひんやりと照らしている。耳を済ませると、静かな雨の音が聞こえて来るみたいだ。


 さくらは、さっきまでみちおが座っていた廊下に椅子に腰掛けて、そっと目を閉じた。


 しばらくして、ドアの向こうから、先生とみちおの話し声が漏れ聞こえてきた。内容まではわからなかった。


 さくらは傘をさして、学校を後にした。

 

 いつもの道を通り、温泉街前の交差点へやってくる。それから、温泉街を抜けて、さくらの住んでいる1階建ての村営住宅についた。

 

「ただいま」


 と玄関を開けるやいなやさくらは、カーテンで仕切られているだけの自分の部屋、というよりスペースへ駆け込んだ。


 約束の時間まであと少しもなかった。お客様の男性の到着を、バス停で待っていなければならないのだ。



「おかえり、三者面談どうだった? 行けなくてごめんね」


 カーテンの向こうで、お母さんの声がする。さくらは、制服を脱いで下着姿になって、たんすを漁って今日着ていく服を選んでいた。


「うん、まあまあだったよ」


 何がまあまあなのか、さくら自身もわからないが、洋服選びに夢中だった。お母さんはそれ以上聞いてこなかった。


「そっか」


 と申し訳なさそうな声がした。

 さくらは白色の、フリルがたくさんついたドレスのような服を着ていくことにした。


 ついでに、頭には白い大きめのリボンを紙留めにあしらった。そしてピンク色の手提げかばんを腕に引っ掛けた。


 鏡の前で、毎日しているように笑顔をつくり、コーディネートの最終チェックをした。


 いつものように、両方の耳には、さくらんぼのピアスが揺れている。なぜか、これだけは、外す気になれなかった。さくらのお気に入りであり、お守りだったから。


 さくらは狭い家のなかをバタバタ走り、玄関で真っ白のスニーカーを履いて、ドアノブに手をかけた。


「お母さん、行ってきます。今日も、遅くなるから、先に寝ててね」


 リビングでお母さんが返事をするのが聞こえて、さくらは安心して家を出た。


 傘をさして、玄関を飛び出すと、走りながら時計を見る。なんとか間に合いそうである。


 白いドレス姿のさくらは、スカートをひらひらさせながら、温泉街を駆け抜けていった。


 落ち着いた色彩が多い温泉街の建物に、さくらの白いドレスはよく目立つ。同級生にあったらどうしようと、さくらは心配していた。


 さくらにしてみれば、わがままが許されるならば、旅館でしている副業は、道端ですれ違った人の顔がはっきりとわからないくらい、暗くなってからの方がよかった。


 副業というのは、東京からさくらの旅館にやってくる人との、夜の付き合い含めたデートのことである。


 夜の付き合いだけ、というプランもあれば、今回のようにデートをして夕食を一緒に食べてから旅館で…、というのもあった。


 バス停についたさくらは、立ち止まり、胸を押さえて、呼吸を整えた。まだバスは来ていなかった。間に合ったみたい。


 雨根村のバス停は学校からも、温泉街からも、そして村の中心地からも離れた場所にあった。


 鉄道が廃線になり、以前駅だった場所に、そのままバス停が設置されたからだと思う。


 少し離れて不便だったけど、旧駅舎をそのままバスの待合室に利用できたので、雨の日も安心だった。


 さくらは駅舎に入って、誰もいない改札を抜けて、ホームへ出た。


 コンクリートがところどころ日々割れて、あちらこちらから雑草が顔をのぞかせていた。


 線路は残っていたが、枕木は朽ち果てて、レールは茶色く錆びていた。

 

 さくらは、傘をさしながら、線路の先を眺めていた。

 

 腕時計を見ると、バスの到着時間が近づいていたので、駅舎へ戻る。

 

 駅舎の側にあるバス停の横に立った。ひさしがあるので、傘は必要ない。

 

 道の向こうから、バスのヘッドライトか近づいてきて、エンジンの音と臭いをさせながら、さくらの前に停車した。

 

 前のドアが開いて、ズボンの足が見えた。そして、高校生くらいの男の子が姿を見せた。

 

 その男の子はしばらくあたりを見回していたが、不意にじっとみつめていたさくらと目があった。

 

 さくらは笑顔を作って駆け寄ると、傘をさしてあげた。お互いの服装の特徴は事前に伝えてある。さくらのドレスのようなワンピースと白いリボンのことも。

 

 その男の子は、ジーパンに黒のスニーカー、そして上は茶色のジャケットに白いシャツを着ている。

 

 これまで、おじさんが多かったから、さくらはすこし気が楽になった。優しそうな男の子だし、今日はさくらんぼでおなじないをしなくても、だいじょうぶかもしれない。


「いま、タクシーを呼んで来るからね」

 

 さくらは、バス停の前で男の子を待たせて、自分はそっと目を閉じて、脳内情報処理装置にアクセスした。

 

 すると、ほどなくて、自動運転タクシーが駅舎の前にやってきた。そして、さくらはタクシーの運転手がするように、後部ドアに手をかけて、


「どうぞ」


 と、それを開けた。


 男の子は照れたように乗り込むと、さくらもそれに続いて後部座席に乗り込んだ。


「高級レストラン雨根までお願いします」


 相手は機械なのに、さくらは人にするように、敬語で誰も座っていない運転席へ話しかけた。


 さくらたちが、レストラン雨根でフランス料理のフルコースを食べ終えた頃には、午後8時前になっていた。さくらはテーブルに残っていた、自分のぶどうジュースを飲み干して、


「疲れましたよね、そろそろ旅館へ戻りましょうか」


 さくらはレシートを手にとり、会計を済ませてからテーブルの男の子と一緒に、店を出た。

 

 そこで、みちおと出会った。みちおはひとりだった。

 

 みちおは、男の子と一緒のさくらをみて、すこし表情を変えたものの、すぐに事情を察したのか、さくらにしかわからないくらい、かすかな会釈をしてから、お店へ入って行った。

 

 どうしよう、不純異性交遊が学校にバレたら、あたりまえだけと、東京の高校への推薦を

受けられなくなって、受験資格を失ってしまう。


 それに、じつは不純異性交遊だけではなくて、これがパパ活だと知られたら、高校を退学させられてしまうかもしれない。でも、うちはお金がないから仕方ないんだ。だから、すぐにでも、みちおに事情を説明したい。


 さくらは首筋に冷や汗をかいているのがわかった。心臓の動悸が激しくなってきて苦しくなり、それをなだめようとして、そっと片手で胸をおさえた。


「どうしたの?」


 立ち止まったさくらに、男の子が顔を向ける。


「た、タクシーを呼ぶね。待ってて…」


 さくらは2、3歩すすんで、自分を落ち着かせようと目を閉じた。

 

 こんな不安な気持ちじゃ、旅館に着いてから、この男の子と一緒に布団に入るなんてできない。でも、もし仕事をキャンセルすると罰金が課せられてしまう。

 

 さくらは、手をふるわせながら、さくらんぼのおまじない、をするために、そっと右耳に右手を添えた。


(つづく)

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