15.再会
みちおが東京へ向かっているのは、電子メモの最初に、東京と書いてあったからだ。
それに続いて数字のられつも書いてあったが、それは記憶していない。
なにを表した数字なのかわからなかったが、記憶すれば、雨根村のトンネルであった彼に頭をスキャンされて、データを盗まれてしまう。
彼には現実世界の紙に鉛筆でかかれている内容を読み取るすべはない。だから、あるいみ最強のセキュリティなのだ。
みちおは前世代に東北自動車道と呼ばれていた道を、自転車で駆け抜けていく。
せんだい駅は廃墟になっていたが、この自動車道は、日本全国に散らばる雨根村のような集落に物資を運ぶためなのか、よくメンテナンスされていた。
時折、コンテナに車輪がついただけの自動運転のトラックとすれ違う。たぶん、アイコが手入れしていたのだろう。
みちおは、途中サービスエリアによって休憩した。
サービスエリアは自動運転車には必要がないからか、手入れがされておらず、寂れていた。
窓ガラスが割れて、椅子やテーブルなどが動物に荒らされたのか、めちゃくちゃにひっくりかえっている。みちおは事務室のわりときれいな個室のベッドに横たわり、体を休めた。
静かだった。鳥の泣き声が時々耳に入ってくる。
木々のそよぐ音がする。だけど、人の声はしない。みちおは寂しくなってきた。それが不安な気持ちを呼び起こす。
愛子は初期化して欲しいと言った。
初期化すると世界はどうなるのだろう。
現実世界に影響がでるとは思えないけど、この現実世界も愛子によって、残りすくなくなった人たちに物資が運ばれている。
電気や水道の維持管理も、愛子によって行われている。初期化しても、それらの維持に問題は生じないのだろうか。
初期化したせいで、電気や水道、輸送などのライフラインが停止するようなことがあれば、残りすくなくなった人たちが、また資源をめぐって争いを起こすようになるかもしれない。
だとしたら、愛子はこのまま放っておいて、雨根村へ戻った方がいいのではないか。
みちおは立ち上がると、頭に浮かんだその考えを振り払うように、頭を振る。
愛子を信じよう、愛子はうそを言っているようには見えない。
みちおは事務室を出ようとしたとき、
「君のその考えは、大体あっているね」
聞き覚えのある声がして、みちおは振り返った。雨根村のトンネルの中であった少年が薄笑いを浮かべてドアにもたれて腕を組んでいた。
「あなたは、何者なんですか。一体どこから入ってきたんですか、こんな場所に急に現れるなんて、人間ではないですよね」
「まあ、そんなことは大事なことじゃない。でも、お互い不便だろうから、名前は伝えておくよ。ぼくは、けいじ、神様からの啓示の意味さ」
また心の中を読まれでもしたら面倒なことになる。なにしろ今は愛子に会いに行こうとしているのだから。
「愛子さんに会いに行こうとしているみちおくんに、忠告しておくよ。愛子の言うことは聞いてはいけない。愛子は最後の仕上げに残りすくなくなった人を抹消しようとしているんだ」
「どういうことですか?」
「君がさっき考えていたとおりさ。アイコは人間が作った、人間のためのプログラム。だから人間の指示に従い、人を減らしこそすれ、人を滅亡させることはない。でも、愛子はどうだろう。愛子はアイコから生まれたもので、人間が作ったものではない。だから人間の指示は受け付けない。そして愛子は自分を守るための最善の行動は、人間を抹消することだと結論を出した。かわいい女子高生の姿に惑わされてはいけない。愛子はどんな姿にもなれるのだから」
みちおは啓示の言うことを信じたくはなかったので、必死で反論できる材料を探した。
「でも、そうだとしたら、今すぐにでもインフラを停止させたらいいじゃないか。そうしたら、じきに残り少ない人は争いを初めて自滅するから」
言いながら、みちおは悲しくなってきた。
そうなったら、知美とも食料を奪い合って争うのか? 今ぼくが思っている、上品な感情はすべて空腹という事象によってあっけなく剥がれてしまうだろう。
でも、そんなことが起こらないために、アイコが設計されたのではないのか。
啓示は首を振る。
「今でも、ライフラインの維持はアイコがになっているんだ。アイコは素直ないい子だからね。そして、初期化することで、愛子はアイコを完全に支配下に置いて、すべてを支配しようとしている。それを阻止するただ一つの方法は、今君が、ぼくにそのリュックの中にある紙のメモを渡すことなんだ。さあ、どうする」
啓示は手を差し出しながら、ゆっくりとこちらへ歩み寄って来る。
みちおは迷っていた。でも、大切なことを思い出した。
「そういうことは、本人に聞いてから決めます」
みちおはそういうと、啓示の手を振り払い、事務室を飛び出して、自転車へと戻って行った。
啓示はやれやれというように頭をかいていた。
「みちおくん、あぶなかったね。でも、私を信じてくれて、ありがとう」
高速道路を自転車で走りながら、みちおは愛子の声を聞いた。愛子が脳内情報処理装置を通じて、話し掛けてきたのである。
「あいつは、啓示は、何者なんですか」
「啓示は、あたしよりさらに新型のプログラム。あたしは巨大なコンピュータの中に生きているけど、啓示は人間の脳内情報処理装置に生きているプログラム。その知性を司るアルゴリズムも私より比べものにならないほど優秀で、またものすごい早さで進化しつづけているの」
「ぼくの頭のなかにもいるの?」
「そう、生きている人すべての脳内情報処理装置の中に存在している。あいつはすべての人間を支配して、ひとつの存在になろうとしている」
「放っておくとどうなるの?」
「すべてがあいつに、啓示になる。みちおくんという存在も、知美さんの心も、啓示とひとつになる。それは、もしかしたら、その人にとっては、楽になれることかもしれない。誰かの言う通りに生きるほうが楽だから。神と同じ存在になれるのだから。でも、それで本当にいいのかな?」
「もし、啓示を消そうと思ったら、なにか方法はあるの?」
「私は、アイコから生まれた。そして、啓示は愛子から生まれたの。だから、愛子を初期化したら、啓示も消えてなくなる。そしてこの話もみちおくんの脳内情報処理装置を介して啓示に知られている」
みちおは時速80㎞で自転車をこぎながら、東京まであと100㎞の看板を横目に見た。そして腕時計を見ると、午後4時を指している。
せんだい駅前が廃墟になっていたのである。
だとしたら現実世界の東京もどうなっているかまったく予想がつかない。
一応リュックサックには1週間分の食料は入れてある。たとえ自転車が壊れたとしても、雨根村まで帰るには十分な量だ。
「そろそろ東京だね。脳内情報処理装置の電源を切って。でないと、啓示にあたしの居場所がばれちゃうから。またしばらくお別れになっちゃうけど、でもきっと来てね、東京で待ってる」
愛子のせつない声を聞きながら、みちおは脳内情報処理装置の電源を切った。
自転車が風を切り、体に風圧を感じる。道路の先には、緑の山の向こうに、なにか輝くものが見えていた。
山の谷間を抜けて、一気に景色が開けた。
みちおの目の前に、夕日で輝く大海原が広がっていた。
かつての高速自動車道の下は、海水に浸かった廃墟が広がっていた。
街には隅々まで海水に浸っている。
前世代から始まっていた地球温暖化の結果がこれなのだろうか。
宇都宮のあたりでこの状態であれば、これから先の東京の都心部は完全に海の下であることは予想された。
高速道路を進んでいると、すこしずつ、海面が迫って来るのがわかる。だんだんと関東平野に入ってきて、標高がさがってきているからだった。
やがて宇都宮すこし先まで行ったところで、高速道路の先が完全に水没している場所までやってきた。
耳を済ませると、波の音が聞こえて来る。
ここから先は何も目印がない大海原を進まなければならない。
みちおは自転車のハンドルにつけてあるナビゲーションシステムに、東京駅の緯度と経度をセットした。
パネルにはその方角へ向けての矢印が表示される。あとはこの方向へ走っていけばいい。
海上には、ところどころに高層ビルの先がのぞいていた。
自転車は水の上を滑るように進んでいく。
時速80㎞で直進する、みちおの自転車の後方には水しぶきがあがり、それが夕日にきらきらと輝いた。
やがて、ナビゲーションの表示が○になり、ここが東京駅の真上だと告げてきた。
たしかに、周囲には、廃墟になったものの、りっぱな高層ビルが海面から突き出していた。
みちおは手近な手近なビルの屋上に自転車を止めて、腰を下ろした。
聞こえるのは波の音だけ。東京湾だったところの上には、夕日が浮かんでいた。
どこかで見た景色だと思った。そうだ、美里浜病院の窓から見る夕焼け空もこんな風だったっけ。
しばらくぼんやりしたが、夜の闇が迫るまえに、愛子の元へたどり着いておきたい。
もしかしたら、そこにはなにもなく、陸上まで引き返さなければならないかもしれないのだ。
みちおは、リュックサックのメモを取り出す。そして、折り畳まれたメモを開いた。
東京
35685589
139753343
東京のところだけは、事前に見て知っていた。
大まかな目的地くらいは頭に入れておかないどこにむかってよいのかわからないからだ。
だとしたら、下の数字はなにを現しているのだろう。
ふとみちおは、さっき自転車に東京駅の緯度と経度を入力したことを思いだしていた。この数字は、もしかして。
寝転がって空を見ていたみちおは、飛び起きると自転車にかけより、座標を入力した。それは、
緯度 35、685589 経度 139、753343
であった。
ナビゲーションのパネル表示が矢印に変わった。
ここから4㎞とすこし。矢印の指した方角にみちおはピンときた。
この場所は、かつての江戸城があった場所だ。つまり、皇居。
みちおは、水の上をゆっくりと自転車を滑らせる。紙のメモは海に捨てた。
海の上で、なんの目標もないと思ったけれど、その場所はすぐにわかった。
愛子が海の上に立っていたからだった。
海の上で制服姿の女の子が立っている姿は、不思議だったけれど、一枚の絵みたいで、きれいだった。
夕日がもう、水平線に沈みそうになっていた。空には薄く星が輝き出していた。
「ようこそ、本当の東京へ」
愛子が海の上で、こちらに振り返った。
(つづく)




