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11.変わっていく私

 さくらは、自分の部屋で、裾にフリルのついた、薄いグレーのロング丈のワンピースを着て、鏡に写ったきれいな自分を見つめていた。


 髪は、相変わらずのおさげの三つ編みを、両方の肩から大きな胸のさらに下まで伸ばしていたが、それは薄茶色に染められていた。


 色白の頬に薄いピンクのファンデーションをのせて、赤い口紅を差していた。


 この鏡に映っている女の子を、もっときれいに、もっとかわいくしてあげたい。


 そう願うさくらの欲望は際限がなかった。でも、今日はさくらんぼのイヤリングは付けなかった。


「あたしも行きたい!」


 私ってかわいい…、さくらが鏡の前で、うっとりしていると不意に、カーテンが開いて、愛子が姿をあらわした。


 今日さくらは、雨根村から、みちおと知美が来て、一緒に遊ぶことになっていて、これから出かけるところだったのだ。


「えっ、やだよ、向こうは、愛子のこと知らないし」


 さくらは、あまり、愛子に東京に来る前の自分について、知ってほしくなかったのだった。でも、愛子はしつこかった。


「いいじゃない。まだ知らないから、お友達になりにいくんだよ」


 愛子に押し切られる形で、さくらはしぶしぶOKした。



 

 東京駅へ向かう地下鉄の中で、さくらはまた痴漢にあった。

 さくらの後ろに立っていた40代の男性が、さりげなくお尻と太ももを、彼の手の平で撫でてきた。でも、


「一緒に来てください」


 さくらはためらうことなく、自分のお尻にふれていた彼の手首をとって、静かにつぶやいた。

男性はさくらの手を振りほどくと、


「なんだお前、いいがかりか? オレはお前の体なんてふれてない、お前が押し付けてきたんじゃないか。だいだいこんなに混雑してるんだ、お互いさまだろ!」


「警察に行きたいんですか? 話し合いで許してあげようと思っていたのに」


 さくらが冷静につぶやくと、男性は押し黙った。そして、東京駅構内の喫茶店で「話し合い」が持たれた。


 さくらと愛子、そして男性がテーブルで向き合った。


 制服姿の愛子はひやひやした表情で、さくらとその男性を交互に見比べた。


 男性は相変わらず動揺していたが、さくらは涼しい顔だった。だって、こういうことは、今回が初めてじゃなかったから。


 結局、男性側から20万円を支払うことで、示談が成立した。


 当事者以外の目撃者として愛子もいるので、言い逃れはできないと思ったのだろう。


 男性は20万円をさくらにチャージすると、この不愉快な場からそうそうに立ち去ろうとしたが、さくらは男性を見上げて、


「忘れ物」


 と、テーブルのレシートを指差した。


 男性はそれを引っつかむと、会計を済ませて出て行った。


 窓の向こうから、死んじまえ! くそ女、と叫んでいるような声が聞こえた。


 さくらは、くそ女と言われたことが、なぜか嬉しかった。そう、自分は女性なんだって思えたから。


「やったね愛子、今日も害虫を駆除したよ!」


 さくらはとなりの愛子に、今し方20万円チャージされた、自身のマイナンバーカードをひらひらさせて笑顔を見せた。


 そんなさくらに、愛子は複雑な表情を向けて、あいまいな笑顔を見せた。


─このままでいいのかなぁ。




 東京駅の改札までやってきた。


 もうみちおと知美は、この東京駅に到着しているはず。さくらは脳内情報処理装置で、2人の居場所を検索しようとしたら、


「さくらさーん」


 行き交う人の流れの向こうで、見覚えのある雨根村高校の制服姿の知美が、ちいさく飛び跳ねながら、こちらに向かって両手を振っていた。


 となりには、私服姿のみちおも立っていた。さくらはそれをみて、急いで駆け寄る。知美はさくらの手をとって、


「久しぶりだね、会いたかった」


「こちらこそ」


「さくらさん、雰囲気が変わった。やっぱり東京ってすごいんだね」


 と、知美は少々おしゃれになって、おさげも茶色くして、眉毛も手入れをして薄く化粧をしているさくらを見て驚いていた。


「うん? 東京では、これが普通だよ。あ、紹介するね。高校で友達になった愛子さん。寮の部屋も同じなんだ」


「はじめまして。愛子です」


 愛子は、雨根村の二人に頭を下げる。愛子は知美と同じ制服姿だった。もちろん、デザインは違うけど。


「みちおくんも、お久しぶり」


 さくらはみちおに会釈をすると、みちおも照れ臭そうに、壁にも背中から持たれながら、片手をあげた。


 すっかり変わってしまったさくらの姿に、戸惑っていた。そして、さくらの両耳にいつもさくらがしていた、さくらんぼのイヤリングが揺れていないことに気がついた。


「じゃ、行こうか」


 それから、さくらたちは、駅の有人改札で、雨根村からきた二人の一時東京入場許可証の発行を受けて、改札を抜けた。




「わー、初めてきたよ、東京はすごいね」


 駅から出ると、知美があたりをきょろきょろして、すごいねを連発していた。そんな知美を見て、さくらとみちおは笑っていた。


「そうだ、愛子、またあの街へ行こうよ」


 さくらの提案に、愛子は、いいよと頷いた。そして、


「ついてきて」


 と先頭に立って、歩きはじめた。


 その間、知美は物珍しそうに東京の街を眺めていた。


 さくらとみちおは並んで歩いていたけど、二人とも口数は少なかった。


 さくらは、みちおに大きな借りがある。東京の清風高校の入学金や授業料及び生活費を援助してもらった。だから、なんとなく引け目を感じて話ずらかった。


 みちおは、さくらの大人っぽく薄化粧をした顔、茶髪の三つ編み、服の下から大きく突き出した胸とお尻のふくらみ、そしてすらりと伸びた手足を見て、落ち着かない気持ちになっていた。


 女の子のみちよだった頃には感じたことのない気持ちだった。自分を抑えるのが辛かった。


 そんな目でみちおから見られているのを、しってかしらずか、さくらは、澄ました表情で前を見つめて歩いていた。


「ここだよ、入ろう」


 愛子が向かって言ったのは、前にさくらが愛子と入った、地下鉄駅の入口だった。昼間の日差しの中でみると、看板の文字は薄汚れて、コンクリートもくすんでいた。


「え、なんだか薄ぐらいよ、だいじょうぶかな」


 知美は地下へ下りる階段の前で立ち止まった。愛子はすでに階段を下りはじめている。さくらは不安そうな知美に歩み寄ると、手を繋いで、


「一緒に行こう」


 と導いた。みちおは、一番後ろで、その様子を眺めていた。




 階段を降りきったところで、前を歩いていた愛子が突然、


「あ! あれはなんだ!」


 と振り返り、他の3人の後ろを指して叫んだ。3人は釣られて一斉に後ろを見る。そこには、薄ぐらい通路があるだけで、何もない。


「気のせいだったみたい、行こう」


 愛子の言葉に、3人が愛子の方に向き直ると、を開けると、そこには地下道にあふれる光と、地下鉄の改札を抜けるたくさんの人たち、それに電車の音が混じり合った喧騒がそこにあった。

「すごく混んでるね」


 雨根村ではありえないほどの人込みに、知美はぽかんとしていた。




 地下鉄に乗り、次の駅で降りて、地下通路から外に出ると、青空が飛び込んできた。


 そして、昼間の街は人であふれていた。


「うわー、賑やかなところだね。おいしそうなお店もいっぱいあるよ」


 知美がガイドブックを見はじめると、さくらはそれを取り上げて、


「そんなの、役に立たないよ、私たちが案内してあげる。ね、愛子」


 さくらは愛子の方を見ると、愛子はうなずいてくれた。


 さくらはふと、みちおの方を見た。みちおは、どこか懐かしそうな表情で、街の景色を眺めていた。さくらは、そんなみちおが気になって、


「どうしたの? この場所に来たことがあるの?」


「うん…、ずっとずっと昔に、見たことがあるような気がするだけ。でも、気のせいかも。前に似たような景色をどこかで見て、それと錯覚しているだけなのかもしれない。よくあることらしいから」


 そういって、みちおは笑った。その笑顔は、どこかみちよさんの面影があって、さくらは懐かしく感じた。




 それから、その街でさくらたち4人は楽しい時間を過ごした。


 東京駅付近より、たくさんの飲食店やブランドショップ、レジャー施設も豊富にあった。そしてなにより、人がたくさんいて活気があり賑やかだった。


 東京の美味しいランチに、最新のブランドショップをめぐり、ゲームセンターへ行き、カラオケショップを出る頃には、もうすっかり日がくれて、雨根村の二人が帰る時間が近づいてきた。


 知美と愛子はすっかり意気投合して、お揃いの服を買ったり、カラオケでデュエットしたりと楽しそうだった。でも、さくらとみちおはなんとなくぎこちない時間を過ごしていた。




「じゃあね、きっとまた来るよ、お小遣が貯まるまで時間がかかるけどね」


 知美は、リニアのホームで、見送りに来ていたさくらと愛子にお別れを言った。


「いい友達も出来たし」


 と、知美は愛子の方を見た。愛子は、知美に抱きついて、


「ともみ~、さみしいよ、きっとまた来てね、待ってるから」


「あたしも、またメール送ってね」


「うん、きっと」


 さくらはそんな知美たちを寂しそうな表情で見つめていた。さくらのそんな様子に気づいたのか、知美はあわてて、


「あ! さくらさんも、一緒だよ」


「さくらさん、も、だって、失礼だなぁ」


 さくらも二人に混じって、キャーキャーはしゃぎながら、別れを惜しんだ。


 そして、駅のアナウンスが、仙台行きのリニアが間もなく出発することを告げはじめた。


 それを聞いたさくらは、なかなか決心がつかなかったけど、リニアの発射のベルに背中を押されるようにして、リニアの乗車口に足をかけたみちおに歩み寄った。


「あ、さくらさん、またね」


 さくらは、みちおの言葉には答えず、かばんの中から薄いピンクの封筒を取り出した。


 それは、さくらんぼのシールで封がしてあった。その封筒には、2つのちいさな出っ張りがあった。


「みちおくん、もう、私のこと、さくらのことは、忘れてほしいの」


「え、なんで…」


 みちおは発車間際にさくらから突然告げられて、戸惑ってしまった。駅員がマイクで9号車付近の方は車両から離れてくださいと叫んでいた。


「私には、もうあまり時間がないの。理由は、その手紙に書いてあるから、だから、きっと読んでね、じゃあね」


 そして、さくらは、みちおに、今日見せたことがない、今日一番のとびっきりの笑顔を見せた。


 髪を染めて、化粧も濃くなって、体も女性っぽくなっていたけど、みちおには、雨根村のさくらがそこで笑っているように見えていた。それは、脳内情報処理装置の見せる幻ではなかった。


 リニアのドアが閉じられて、みちおの視界を遮った。リニアはゆっくりと動きはじめた。


 さくらはリニアが加速するに連れ小走りになり、そしてホームの端で足を止めた。


 トンネルの向こうへ走り去っていくリニアの明かりを、それが見えなくなるまでずっと手を振っていた。


 そんなさくらの様子を、ずっと後ろから愛子が見つめていた。




 みちおは席に戻ると、さくらからもらった封筒を手にとって眺めた。となりでは、すっかり遊び疲れたのか、知美はすやすやと寝息を立てていた。


 みちおは封筒を開けようとして、ためらった。


 書いてあることが怖くて、今は勇気が出なかったのだ。


 だから、家でゆっくり読もうと思い、それをリュックサックのポケットに大切しまい込んだのだった。


 その時は、それが消えてしまうなんて知らずに。


(つづく)


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