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1.愛子さんとの出会い

 ナイフを首に刺して自殺したはずの私は、暖かくて、心地よいところに浮かんでいた。

 

 お母さんの子宮に浮かんでいる赤ちゃんはこんな感覚なんだろうかと、私は想像した。

 

 目を開けると、私はベッドに寝かされていた。

 

 ふと自分の体を見ると、ピンク色のゆったりした院内着に着せ替えられていた。そして、胸も膨らんでいた。それは女性の乳房そのものであった。私はすっかりふくらんだ自分のそれを無意識のうちに揉んでいた。

 

 すると、不意にカーテンが開いて、女の子が顔をのぞかせた。女子高校生くらいだろうか。見たことがない顔だった。その女の子は、胸をつかんで固まっている私にむかって、笑いかけた。


「あ、よかった、やっと、起きたんだ」


 その女の子は私と目があうと、たちあがって、スカートをひらひらさせながら側までやってきた。


「おはよう、人殺しさん。私は愛子といいます。よろしく」


 私と目が会うと、愛子は、やあ、とあいさつするように、右の手の平を顔の横に上げた。


「わ、私は殺してなんか…」


いない、と言いたかったが、声が小さくなる。あの状況では、記憶がない私ですら、殺したのはわたしなのだと思わざるを得ない。


「でも、そんなことは、どうだっていいの」


と愛子は言って、それから、ベッドに横になっていた私に手を差し出して、


「ちょっと、こっちにいらっしゃい」


と、うながした。私は言われるままに、ベッドからおりて、スリッパをはき、病室にある洗面台の鏡の前に立って、自分を見た。

 

 見ると、そこには、ピンクの院内着姿をして、胸元が大きく膨らみ、肩まで黒髪を伸ばしている、女性の姿がそこにあった。鏡の中にいる彼女は中学生か高校生くらいに見えた。

 

 見下ろすと、自分の足元が、膨らんだ胸に遮られてよく見えなくなっている。

 

 体に起こった変化はそれだけではなかった。体全体が透き通るように白く、やわらかい丸みを帯びていた。

 

 手の指先はすらりと細くのびて、爪は女性らしく小さくなっていた。

 

 私は、思わず愛子を見た。状況を説明してほしかったのだと思う。


「うふふ、あなたが自殺して捨てようとした体を、拾った私がどうしようと自由でしょ」


と楽しそうに笑った。


「あとで説明するから、そんなにじっと見つめられると、同性でもてれちゃうよ」


 愛子は顔を赤らめて、私から目を背けた。

 

 ひんやりして、私は思わずくしゃみをした。そのくしゃみも、女性のような高い声になっていた。

 

 胸の膨らみを意識して、恥ずかしくなり、おもわず両手で押さえてしまう。

 

 それを見た愛子は、


「せっかくお望みどおり、かわいい女子にしてあげたのに、もっとそのでかい胸をはって、堂々としたら?」


と楽しそうに笑った。


「あなたはこの病院に、1年間入っていたの。体全体を作り変えるためにね。だって、もとのあなたは殺人の罪で警察に追われているんだから」


と、私の手をとり、ソファーへと促した。あれはやっぱり夢ではなかったようだ。そして愛子と私はソファーに並んで越しかけた。

 

 目の前におかれた小さなテーブルには、コーヒーカップが2つ置いてある。愛子はそれを手に取ると、自分で飲み始めた。

 

 起きたばかりでしばらくの間はぼんやりしていたが、次第に意識がはっきりしてくるにつれて、私は現状を正しく把握したいと思うようになった。

 

 私はコーヒーを飲みながら、機嫌よさそうにハミングしている愛子の方を向いて、


「まず、いろんなことを説明してください。ここはどこなのか、どうして私を…、こんな女の子に変えたのか」


 自分の口から出た、その小鳥のさえずりのような、きれいなで甘えたような声は、どこからか別の場所から聞こえて来るようだった。

 

 愛子はハミングをやめると、


「そうだね。まず、女の子になってもらったのは、その方があたしの目的を実現するために、いろいろ都合がいいから。今は、女の子の方が、有利なんだ。「東京適性試験」」


 東京、私の時代の東京には、入場および定住に制限がある。それが「東京適性試験」である。

 

 温暖化による世界的な食料生産の減少や石油資源の枯渇といった要因のせいで、21世紀前半に70億人まで増えすぎた世界人口を養うのは困難になっていた。そして、70億人全員は当然の権利として先進国と同等の豊かさへと突き進んでいったので、世界中で資源や食料が不足し、各地で争いが起こりはじめた。

 

 それで日本では食料の奪い合いで争いが起こるのを避けるため、増えすぎた人口の方を抑制することにしたのだった。そして人口過密であった東京には、これ以上の過密化の防止のために、入場制限が設けられた。

 

 もともと人口が減少傾向にあった日本では、この政策はとてもうまく生き、私の時代においては、人口は1億人から大きく減少して、100万人ほどになっていた。3000万人ほどの東京エリアの人口も、10万人にまで減少した。

 

 そうであれば、もう人口抑制政策及び東京への入場制限を解除してもいいはずである。

 

 だが、東京への入場制限のおかげで、東京は人口が減少した変わりに緑の空間の増えて、快適になり住みやすくなっていた。

 

 さらに、入場制限で東京への居住者を厳しく選別したおかげで、品行方正で礼儀正しく、優しさと愛情に満ちた人々だけが生活するようになっていたので、犯罪はほとんど起こらなくなった。

 

 それで、東京に生活している人たちの強い希望で、規制は引き続き維持されたのであった。

 

 ちなみに東京の人口は10万人ほど、地方には90万人が以前、政令指定都市と呼ばれていた地区に住んでいる。地方に済むということは、東京に住む人が、愛と希望に満ちた生活をするための資源を生み出すために、一生単純労働をして生きていかねばならないということである。

 

 地方に住んでいるひとは、一生東京の人の奴隷ということになる。

 

 東京へ行くためには、東京で生まれるか、あるいは高校卒業までの間に、「東京適性試験」に合格しなければならない。

 

 それまでに合格しなければ、一生単純労働をして暮らすことになる。


 ─私が学校で習ったのは、だいたいこのような内容だった、と記憶している。


「いますこし東京の男女構成に偏りが出ているの。男性の方が少し多くなってるの。そのおかげで、

東京は女性を欲しがっているから、試験に合格しやすいってわけ。それに、女子の方が面接官の受けもいいからね。なんだかんだいっても、人の評価は見た目につられちゃうんだね」


愛子は楽しそうに笑った。そして、


「なにより、君が女の子になりたがっていたから」


と付け加えた。


「それで、東京へいって、私はどうしたらいいの? 女子高生として楽しい人生を送ったらいいの? まさか、そんなわけないよね」


愛子は警戒するように当たりを見回してから、ぼくの耳元でささやいた。


「東京を破壊して欲しいの」

「どうやって?」


愛子につられて、私も声のトーンを押さえた。


「あなたは「東京適性試験」に合格して東京での生活を始めたら、東京エリアを維持管理している「中枢コンピュータ」を探し出して。そしたらそこで…」


愛子は少しためらうような素振りを見せて、お願いしますというふうに頭を下げると、


「そこで、君の脳の中心の絶対取り除けない領域に埋め込んである、超小型核融合爆弾を炸裂させてください」

「えっ…、そんなのいつの間に…」


埋め込んだのか、と私は言いかけたが、1年も寝ていたというのが事実であれば、容易なことだと思った。


「威力は関東全体、つまり東京全体が更地になるほどだから、安心して」


愛子は私をみつめて、ポンポンと両肩を叩いて励ましてきた。


「自分をいじめた人たちが、東京で愛と希望に囲まれた生活をしているのが、許せないんでしょう。めちゃくちゃに苦しみを与えて殺してしまいたいんでしょう。あなたの望みと、わたしの目的が合致したの。だから、あの時、あなたを選んだんだよ」


 愛子の言うことは、ある時点の私の心を的確に言い当てていた。つまり、不意にそのような気持ちがわきあがってくることはある。でも、常日頃からそう思っているわけではない。いやな出来事を映像付きで思い出してしまい、怒りが抑え切れなくなって頭の中が暴走したような時、愛子が言ったようなことの妄想が止まらなくなってしまう。それは、私にとっても辛かった。もっと優しいことだけを思って、毎日生活できたらいいなと思っていた。


「愛子さんの目的は、なんですか?」


「あたしも、あなたと同じ。愛と希望に満ちあふれて、負けた人たちのことも考えず、好き勝手暮らしている東京の人たちがムカツクの。だから一緒に仕返ししよう」


愛子は、私を見つめながら、ソファーに置いてある手をギュッとにぎってきた。愛子の体温が伝わってきた。私はその手をそっと振り払い、


「でも、そんなこと、怖くてできないよ。大量殺人なんて」

「あなたは、自分でも意識してると思うけど、心の中に解放できない莫大な怒りのエネルギーを抱えているの。それを一度に解放すれば、ためらいなんて吹き飛ぶから。それに、一人殺したらもう何人殺しても、一緒だよ」


愛子は説得するように、まだ手をにぎってきた。


「あなたは、あたしの言う通り生活して、「東京適性試験」に合格して、東京の高等学校に編入してくれたらいいの。そしたら、あとはあたしがやるから」


「私の頭の中の爆弾を爆発させるってこと?」


「そうだよ。だからあなたは大量殺人をしても気にすることないの。むしろ被害者だよ。あたしのお人形さん。もっといえば、あやつり人形なんだから」


「自分で東京へ行ってきたら?」


私の質問に愛子は、いやだというように首を振って、


「だって、あたしが死んじゃうでしょ。だから、あなたみたいな人を待ってたの」

と、嬉しそうに答えてくれた。


 それから愛子は、私のこれからの生活と取るべき行動について、指示をした。


 私は、山奥にある雨根村に住む、高校1年生の女子として、近くの高等学校へ入学すること。そして、まず8月に実施される、東京の高等学校への編入試験に合格して、東京へ潜り込む。この編入試験は、東京適性試験も兼ねていた。つまり合格すれば、東京へ入ることができる、ということである。


 編入試験に合格したあとは、そこの高等学校の女子寮に入ることになる。

 

 そのあとは、おって連絡する、ということであった。

 

 私は、試験と聞いて心配になった。


「私は地元のどこの高校にも合格できなかった。そんな私が、東京の高等学校なんで、合格するわけありません」


「それは、あなたが落ち着いて勉強できる環境になかっただけだよ。自信を持って」


「でも、面接試験もあるっていうよ。外見は変わっても、内面までは変わっていない。ひそかに面接者の脳をスキャンして、危険な思想や性格や思考をしていないかどうかを、確認しているという話も聞いたことがある。だとしたら100%無理だ」


「そう、だから、あなたは外見も、そして内面も、別人にならなければならない。でも、それをすると、今のあなたは本当にいなくなってしまうの。だから、もう夕方近いけど、いまから、あなたとしての、最後の1日を楽しんできて」


そして愛子は、またねと手をふって、部屋をでていった。

 

 ベッドの近くにある丸テーブルの上には、細長いガラスの花瓶に一房だけつぼみの付いた、桜の木の枝が活けてあった

 

 窓のカーテンを開くと、そこには、夕暮れ前の橙色に輝く海が見えた。


(つづく)

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