ロリの織姫と彦星の記録
今年もやってきた七夕。地上では織姫と彦星が一年に一度会える日なんて言われているね。僕はそんな日が一番憂鬱に感じる。
「織姫ちゃーん!」
「彦星くん」
十歳の織姫――ロリ姫と二五歳の彦星が僕の目の前で思いっきりハグをする。僕は、毎日天の川で過ごしているから僕のテリトリーを荒らされた気分にもなる。僕は白い翼をぐっと伸ばして、羽ばたかせてみた。
それの音に彼らが気づいて、どっかよそでやってくれたらいいと思って。でもそれも意味がなかった。
「会いたかった、織姫ちゃん。大好きだよ」
「うん、わたしも! 彦星くん、またかっこよくなったね」
なにが、「またかっこよくなったね」だ。僕の縄張りでイチャイチャしやがって。そもそも、十歳と二十五歳って。二十歳と三十五歳ならまだしも。まだ未成年じゃないか。第二次性徴も迎えてない、つるぺたかちょっと膨らんできた胸だあるぐらいでまだまだ中身は子どもなくせに。
僕はくちばしを開き、ラッパのような声で「くがー!」と鳴いてみた。
何度も何度も「くがーくがー」と鳴いた。翼も大きく上下に動かして、僕自身をアピールした。
「ほらみて、俺達の再会を白鳥も祝ってくれてるよ!」
ちげーよ馬鹿野郎。
僕の言葉が通じないのは薄々わかっていたけど。僕はもうこの光景を見たくなくて、二人に背を向けて、カシオペアのところに向かった。
小さく光る星の間を通り抜け、星雲をいくつも越えて、ようやくカシオペアのところにたどり着く。カシオペアはいつものように玉座みたいな立派な椅子に腰掛け、左手に小さな羽根を握っていた。
「あら、白鳥さん。数カ月ぶりね。どうしたの、イライラした顔をして」
「今日七夕だろ。だから織姫と彦星が会ってイチャイチャしてるんだよ。イチャイチャするのは別にいいんだよ、ただ、僕の目の前でしてきたことが嫌だったんだ」
そのことを告げると、カシオペアの顔に雲がかかった。
「おかしいわね……」
「どうしたの」
カシオペアの膝にちょこんと座り、首をかしげる。カシオペアは潤んだ薄い唇を開くと、静かに語り始めた。
「あたし見ちゃったのよ。あたし以外にもこぐまちゃんとかうみべびさん、さそりくんたちも目撃したらしいんだけど……。最近織姫ね、うしかいくんと手つないだり、キスしたりシてるところを度々ね、見たの。向こうは気づいてない様子だったけど……。好き好き言い合ってるところも見たわよ」
衝撃の事実に僕の視界がぐるりと回転し、次の瞬間には背中にやわらかいものを感じた。
「あら、大丈夫?」
「うん、ひっくりがえっちゃっただけ」
それからカシオペアと世間話をしばししたあとで、僕は自分の縄張りに戻った。どうせまだイチャイチャしているのだろう。まだ夜は長いから。
そう思っていたが、実際、天の川に戻ってくるとそこには、一人その場に座り込んでいる彦星がいた。座り込んでいるというよりは、膝から崩れ落ちたようだった。
近寄ってみると、彦星はぐずぐず鼻をすすりながら泣いているようだった。カシオペアの話が頭をよぎる。
僕は恐る恐る彦星に話しかけた。
「ねえちょっと、彦星」
話しかけた、といっても彦星に僕の言葉は理解できないのだけど。
僕の声に反応して、彦星がゆっくりと顔を上げる。鼻の頭が真っ赤で、目の周りも赤く、鼻の穴から鼻水がちょっとだけ見えていた。いつもは威張ってばっかで涙なんて知らない人だろうと思っていたから、僕は目を剥いた。
涙でぐちゃぐちゃな顔のまま、彦星は口を開く。声は涙でぼやけて、震えていた。
「俺、大好きな彼女がいたんだけど……その彼女がさ……。うしかいの野郎と浮気してたんだよ。でさ、あいつのほうが収入もいいし、イケメンだし、俺よりも性格いいからさ……。俺捨てられちゃった」
それだけ言うと、彦星の目に涙が浮かび、ポロポロ泣き始めた。
僕は彦星が嫌いだ。だから、泣いていても不快にしかならない。それに、自業自得だと思う。彦星の束縛は激しかったらしいし、嫉妬深く、ロリ姫はあらぬ疑いをかけられたりしていたから。雁字搦めにされたらそりゃ逃げ出したくもなるよ。苦しいもの。羽を伸ばせないなんて。
「彼女とイチャイチャしてたらさ、能面みたいな表情になって……『やっぱりうしかいくんのほうがいい。彦星くんより優しいし、性格いいし、お金あるし、イケメンだもん』って。そういって僕を突き飛ばして、あいつのところに行っちゃった……」
もし、僕がロリ姫だったとしても、僕はロリ姫と同じことをしていたと思うよ。疲労困憊している時に、更に厳しくされたらしんどいし、自分の意見も通らないし、彦星は別れてくれないだろうから。それにね、人は否定され続けられたり、傷つけられたり、縛られ続けると、意思を失くすんだよ。判断力が鈍るの。正しい判断ができなくなるの。
別れたい、でも別れることできない、でもしんどい。癒やしがほしい。でも、彦星に苦しめられる一方。時々甘やかしてくれてるけど理不尽に叱られる方が圧倒的に多い。だから、癒やされたい。そんなとき他の人の優しさに触れてごらんよ……ね。
別れるって判断ができて、自分の意志を貫いたロリ姫は立派だと思うよ。もし、僕だったら何年もかかっちゃうだろうから。
あんなに強がっていた男が、こんなぼろぼろになって、口の端から声を漏らしている姿を見れるなんて夢にも思わなかったよ。
「改心しなよ、今のままなら今後も同じこと繰り返すよ」
「励ましてくれてるのかい、僕は捨てられたんだよ。こんな悲しいことがあるもんか……」
励ましてるといえば励ましてるけど、励ましてないといえば励ましてない。
僕は彦星が泣き止むまでそばにいた。泣き止んだあとも彦星の表情は暗いままだったけど、今回のことでなにか彦星の心に変化があれば僕は嬉しい。
そして、もう毎年彦星たちのイチャイチャを見ずに済むということが一番嬉しいのだ。
それから数日、僕が地上に降りた時、たまたまこんな言葉を耳にした。
「そういえば、織姫……というか、こと座とわし座の距離が遠くなったらしいよ。なんでも天の川が広がったらしいんだ」