65: 神への寄生
噤神父は、礼拝が終わった直後に外出するスケジュールがあったようだ。
その用件に必要となるのか、神父は、先程までその前に立っていた演壇テーブルの裏側の棚に置いてあった何冊かの洋書を取り出そうとしていた。
そのタイミングで、極夜路が噤神父に声を掛けた。
「済みません!噤神父でしょうか!」
「そうですが?私に何かご用事でも?」
「失礼ですが、今、少々、お話をさせて戴いて構いませんか?」
「無理ですね。私はこれから直ぐに出かけなければならないのです。改めて来て戴けませんか。」
「お手間は取らせません。数分で済むのです。久世ナオミと後藤田美雨の件です。」
極夜路は直接的に切り込んだ。
そして彼女は、噤神父の顔色が、二人の女子高生の名前を聞いた時、少し変わったのを見逃さなかった。
「仕方がありませんね。でも少しだけですよ。そこにお掛けになって下さい。」
噤神父は先程までやり始めていた作業を諦めて、演台から降り、極夜路達に座るように勧めたベンチの最前列へ向かって歩いてきた。
途中で壁際に置いてあった簡易椅子を自分用に持って来て、それに腰を掛ける。
「私達は津久見興信所の者です。後藤田美雨さんのご両親から依頼を受けて活動しています。調査中に噤神父のお名前が上がってきました。噤神父が彼女たちを保護して下さっているのではないかと。」
猪飼が極夜路の言いぐさをニヤニヤしながら聞いている。
「確かに、後藤田美雨と久世ナオミの二人は当教会にいます。ですが彼女たちは自分たちの家には戻らないでしょう。又、私も無理に彼女たちを家に戻そうとは考えていません。物事には時期というものがある。それに後藤田家の依頼という事ですが、ご両親には、この件を興信所に話を持ち込む前に、ご家庭でやるべき事があるのではないかと、お伝え願えませんか?もちろん私の名前は出して下さってかまいません。親として、子どもに何をなすべきか?それが判らない内は、いくら娘さんを家に連れ戻しても、同じ事の繰り返しになると付け加えて下さい。」
「ケッ。偉そうに。」
今まで黙って聞いていた猪飼がついに我慢できずに、そう吐き捨てた。
それに反応したしたのか、噤神父が無言で立ち上がり再び演台の方に歩き始めた。
極夜路が隣の猪飼の脇腹を肘鉄砲でこづく。
「だって虫かも知れないんだぜ。虫が人間に説教たれるのかよ。」
極夜路と猪飼が噤神父を追うためにベンチから腰を上げた。
・・・・・・・・・
『急げ、久世ナオミが極夜路達の所に向かっているぞ。ツグミという人物の正体次第では、極夜路達が勝てるとは限らない。』
煌紫はナオミの動きも追尾していた。
「極夜路さん、慎也は確保した。そっちにナオミが行ってる筈だ。気を付けろ!」
海はインカムを使った。
金烏同士のオープンチャンネルだ。
この通報は猪飼も聞いている。
海からの通報を受けた二人は、自分たちに背を向けた噤神父を追うのを止めて周囲に目を走らせた。
祭壇に向かって、ホールの両脇には、奥の建物に向かう通路が左右二本ある。
噤神父は、演台に立って二人をじっと見下ろしている。
彼も、又、久世ナオミの接近を感じ取っているようだった。
海がこの状況を視認出来る距離まで駆けつけたのと、左側の通路奥から、久世ナオミが極夜路達めがけて飛び出して来るのが同時だった。
極夜路達の襲撃者に対する射撃は、見事なものだった。
打ち合わせなしの連携射撃だった。
二人で同じ部位を狙ったというより、猪飼は極夜路の射撃からのがれようとするナオミの動きの先を狙ったのだ。
大量の麻酔弾を受けたナオミが教会の床にばさりと墜落した。
それでも美雨とは違って、ナオミの羽根の動きが止まらない。
どうやら薬の効き目には個体差があるようだった。
その時、海が彼らの側に到着した。
「遅かったじゃない、でも助かったわ。」
極夜路が横目で言う。
猪飼が素早く小声でインカムに「金鳥だ。跳ねろ。」と部下たちに指示を済ませると、今度は噤神父に麻酔銃の銃口を向けた。
「神父さんよ。こうなってしまったんだ。かんねんしろよ。だが俺達は警察じゃない、後々、邪魔くさいことにはならないから、あんたの正体を教えてくれないか。まさか、未だに迷える子羊達がとは言えないだろ?」
猪飼が太々しく言う。
「我がしもべに手をかけるとは下らない事をしたな。後悔するぞ。」
「うるせぇ、俺は、そういう講釈野郎が一番ムカつくんだよ!お前は一体、何者だ!?虫か!人か!」
「わが名はツグミ、Ωのスポークスマンだ。」
「オメガ!」・『オメガ!』、煌紫と海が同時に驚きの声を上げた。
「何?あなた、コイツの正体知ってるの?」
極夜路が銃を構えたまま横にいた海に聞いてきた。
「、、オメガは、寄生虫達の神様だ。」
海が思わず答える。
「けっ!馬鹿か?」
猪飼が問答無用と言わんばかりに銃を発射した。
だがそれは、単に勇みはやった行為という訳ではなかった。
この時には、教会に突入してきた玉兎チームがホール内への展開を終え始めようとしていたからである。
玉兎チームは、キナ臭い実践警備で鍛え抜かれた男たちで構成されている。
これで、どんな突発的な出来事にも対処出来る、猪飼はそう判断したのだ。
極夜路もそれに倣って射撃を開始した。
だが噤神父はビクともしない。
人間に対しては薬効のない麻酔銃だが、それでも着弾のショックはあるはずだが、それもない。
噤神父は両手を前に大きく広げた。
「オメガの怒りを知れ!」
音波攻撃に近いものなのだろうか、頭脳を直撃する圧倒的な痛みが海を襲った。
次の瞬間、祈祷場に雪崩れ込んで来ていた玉兎チームも含めて、全ての者が床に打ち倒されていた。
辛うじて海と煌紫だけが、その意識を保っていた。
ツグミは言った。
「ほう、まだ意識を保ているのか?さすがにプシーの異端だけの事はあるな。」
「煌紫!こいつ、お前の事が判っているぞ!」
海は床に倒れたまま眼球だけをようやく動かして、演台に立っている噤神父こと、ツグミの姿を見た。
「それともその力は、お前だけではなく、その人間との不自然な寄生状態で生まれた副産物なのか?」
『勝手に考えればよい。それよりお前は、Ωなのか?一体、誰に寄生している?誰の言葉で、物を考えているんだ?それともお前は我々のようなネットワーク存在なのか?』
初めて煌紫が、自分の意志を他種に送り込んだ。
当然、ツグミはそれを受信している。
ツグミは海と同じように、宿主との2チャンネルのようだった。
「先に言ったろう、私はスポークスマンだ。Ωではない。異端のプシーよ。オメガがお前達知的パラシートゥスの始祖であり、神である事を忘れたのか?確かにΩは、随分長い間眠っていた、、、、しかしプシーの異端の仔よ。知的パラシートゥスの神であるΩが、寄生するとなれば、人間の神にだとは、思わないのか?」
人間の神に寄生する!!
海は少なからず、この言い切りにショックを受けた。
「Ωは少し前に目覚めた。オメガが遥かな過去に蒔いた種が成長し実をつけ始めたからだ。その甘き匂いが、オメガ本来の魂を目覚めさせたのだ。これからΩはその実の味を確かめる。これから世界は変わる。私は神のスポークスマンとして、Ωの言葉をお前達、二人に伝える。」
煌紫は黙っている。
しかし、煌紫からは動揺が伝わってこない。
「お前達の事は全て知っている。種の掟に背きし者よ、心配するな。我が下部となれ。これから我によって世界は変わるのだ。虫も人もな。」
「煌紫!お前達は人間を言葉にして物を考えると言ったな。Ωは何処のどいつを言葉にしてるんだ。神の言葉なんてはったりだろ?世界征服を目指すイカレ野郎か!それにこの神父は何だ?何か新しい虫に、寄生されてるのか?」
『違う。Ωは人間以外のもっと違う言葉で世界を捉えている。だからこそ、Ωはこの世界を変える可能性を持っているんだ。ツグミはΩの代弁、いやその意志の翻訳者に過ぎない。彼の正体は、、、、判らない。』
ツグミの力がとうとう、煌紫の抵抗を上回った、煌紫の言葉はその時点で途絶えた。
もちろん海の意識もだ。




