58: 再会
「極夜路さん、お久しぶりですね。」
後藤田家の玄関から出てきた極夜路が、高級住宅街の曲がり角を曲がった途端に、背後から声が掛かった。
「!吃驚した。アナタはいつもそんな風に現れるの?」
振り向いた極夜路の目の前に、ジーンズの上に油絵用のスモックをコート代わりに着た海が立っていた。
「そんな風にが、どんな風にか判りませんが、何時もこんなです。それにしても極夜路さん、少し髪が伸びました?なんだか、前より色っぽくなってる。」
「アナタこそ、前と比べると随分感じが変わったわね。」
海は、少し襟足の伸びた髪に、指を突っ込んで首を軽く傾げた。
「お互い色々あったんですよ。その事についてちょっと話しません?」
「・・・良いわよ。色々じゃなく、アナタ、二人の女子高生のこと聞きたいんでしょ?教えてあげるから、付いて来なさい。どうせ車じゃなく、前みたいにランニングして此処まで来たんでしょ。でも格好は前の方がまだマシだったわね。」
「格好は知りませんが、女子高生の件は図星です。」
そう言う極夜路のスタイルは、刑事の頃と殆ど変わっていない。
変わったのは、その雰囲気だけだ。
極夜路塔子は、海に夕食はまだでしょ?と聞いて、街中のステーキハウスに彼女の車を止めた。
車は赤のフェラーリだ。
塔子はヒレで500グラムを注文して、「あなたは、どうするの?」という顔で海を見る。
海は「僕にも同じ物を」とオーダーする。
「よく喰う女だなって思ってない?これぐらい食べないと身体が持たないのよ。」
「いえ、沢山食べる女性は好きですよ。米粒を横にして金槌で打ち込まないと口に入らないような女性もいますから。」
塔子は笑おうかどうか、暫く考えて止めたようだ。
ふと神領海の姉が、トップモデルの神領遊である事を思い出したからだ。
今では塔子も、海についてある程度の事情を知っている。
「しかしこの食事とか、乗せて貰った車もそうだけど、豪勢ですね。」
「そうね、刑事やってた時は、立ち喰い蕎麦なんてざらだったわよ。これ、危険手当のかわりみたいなものね。確かに待遇は警察に勤めていた時より随分良くなったわ。でも私が欲しいのは警察が持っているような権限なの、今の職場じゃそれが欠けている。後藤田美雨の家に聞き込みをする時だって、私がどんな工夫をしてるか知ってる?あれじゃ、全くの詐欺、一回は出来ても、次はもうその手は使えないわ。」
「それでも極夜路さんは、職場を変わられた。」
「そうね。あのまま警察にいたんじゃ、何をやっても、もみ消されるだけだもの。」
「こうして僕に話してくれると言うことは、僕の日本平悠木殺しの容疑は、晴れたって事ですかね?」
「そういう事になるわね。前の事、私に謝って欲しい?」
アンビュランスと呼ばれる組織のメンバーになった極夜路塔子が、知的パラシートゥスについての知識をどれくらい持っているのかが知りたかったが、海と煌紫の諸々の関係は悟られてはならなかった。
話を進めていく上で、そこが難しい所だった。
そうやっているウチに、ステーキが運ばれてきた。
極夜路はナイフとフォークを見事に使う。
マナー通りにというより、効率よく食べるため綺麗に最適化した動作というのか、田舎暮らしの長かった海にはそれが出来ない。
「そのスモック、右肘の所、微かに汚れてるわよ。多分、油絵の絵の具ね。ひょっとしてあの孔雀の絵?カンバスでこすったんでしょ。」
「えっ?」
海は食事の手を止めて自分の肘当たりの生地をたぐってみる、確かにアクアマリンの油絵の具が線状に短くこびりついている。
指摘された通り、極夜路が初めて海のマンションに訪れた時に制作中だったあの油絵で付いた可能性がある。
あれから洗濯をして仕舞い込み、油絵から暫く遠ざかっていた。
このスモックをクローゼットから引っ張り出したのは最近の事なのだ。
心の安定の為に、「共食い」阻止の合間を縫って、再び油を描こうと思い始めていた矢先の事だ。
それにしても恐ろしい観察眼だった。
「でも何故そんなもの着て、外に出てくるかな?貴方、ハンサムでモデルが出来るくらいスタイルがいいから、そんな服着ても、それなりに見えるけど、普通じゃ考えられないでしょ。」
確かに、初めは、こんな事はなかった。
服装については、質素なりに自分が出来る範囲のTPOを心がけていたつもりだった。
あの復讐の為の身体改造の時期でさえ、街中の実戦トレーニングでは、あの服装、この服装と考えていたのだ。
それが今では、自分の命をかけて闘うのが目に見えている場合でも、余程特別な事がないと普段着だ。
闘いが常態化してくると、日常生活の価値観が狂ってくる。
それと海の場合は、黛真希になる際に女性用の衣服や下着を身につけるから、身体的な「衣服」への距離感もかなり変化している。
「もし貴方が私の同僚になるような事があったら、先輩としてきちんとしたスーツを着させるわ。」
、、、同僚、、極夜路も波照間と同じような事を考えているのかも知れない。
それともそれはアンビュランスとやらの全体としての意志なのか?
海は塔子の見事な食べっぷりに終始見ほれていた。
健康的なエロスというのは、この事をさすのだろうと思った。
姉・遊の食べ方も美しかったが、姉の場合は目の前の食べ物がいつの間にか魔法のようになくなっていく感じなのに対して、極夜路塔子は正に肉食獣の食事といった感じだ。
なのに極夜路塔子自体は、元気が溢れんばかりという風体ではなく、どちらかと言えば都会的な退廃を漂わす人物だった。
そのアンバランスに見せられたと言ってもいいかも知れない。
もちろん海もステーキは軽く平らげた。
ただ食べられたものが、海の体内でどう消化されているのかは判らない。
海の日頃のエネルギー消費量を考えると、いくら食べても足りないはずだが、その食事量が通常の人間を遙かにしのぐという事はないのだ。
おそらく食物からのエネルギー変換効率が異常に高いのだろう。
ふと海は知的寄生虫達は何故、寄生する事に拘るのだろうと思った。
ファイ種やユプシロン種ならまだ解るが、煌紫や香川等は完全に自分の肉体をコントロール出来る。
単独の身体でも、自らを作り変えれば、どのような環境でも自立して生き延びることが出来る筈なのだ。
そこまで進化しても、やはり煌紫が言った様に、彼らには言葉としての「人間」が必要なのだろうか?と。




