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異蟲界、倒錯の知的パラシートゥス  作者: Ann Noraaile
第7章 神に寄生する
53/67

53: 義兄の帰郷


 海達が濱舞久市から戻ったその日の内に、嘉門颯太から電話があった。

 海の義理の弟、神領一太郎の命があと僅かの所まで来たと言う。

 神領家の実質的な家長である叔父の神領聡明は、この事を海に知らせるつもりはないようだが、過去の海と一太郎の関係を知る自分としては、どうしてもこの事を連絡をしておきたかったと嘉門颯太は付け加えた。


 小学生でも高学年に差しかかる頃には、ある程度、自分が置かれている立場は判る。

 海は最初、この義理の弟を敬遠していたし、義理の母親も自分の息子である一太郎を海に近づけなかった。

 だが運命は不思議なもので、この弟・一太郎は成長するにつれ、義理の兄である海を慕うようになったのである。

 やがてこの義理の兄弟は、本当の兄弟のように仲良くなった。


 海としてはある程度、弟の誕生の秘密を知っていたから、それが不憫に思え、又、自分の境遇と照らし合わせる事で、弟への情が深くなって行ったのかも知れない。

 一方、幼い一太郎は、もちろんそんな事は知らない。

 知らない上で、純粋に、この年の離れた兄を慕っていたのだ。


 海が本家を離れる事になって、神領家の親族で涙を見せたのは一太郎、只一人だった。

 そんな一太郎の急変を聞いて、海は一刻も早く故郷に戻りたいと思った。

 しかし一つ大きな問題があった。

 海には煌紫と共に共食いの連鎖を止めるという使命があった。

 ・・・今、ここを離れるワケにはいかない・・・

 だが海の帰郷を促したのは、他ならぬその煌紫だった。


「共食いの方は、今暫く動きは、ないだろう。だから、海、帰ってやれ。」

「しかし、もしもの時には対応が遅れるぞ。」

「次の具体的なターゲットが絞り込めている訳じゃない。行き先が海外ならまだしも、日本国内なら飛行機を使えば数時間で移動が出来るんだ。我々なら何とか対処できるさ。だから帰ってやれ。」

「、、、、。」

「海、私は君に斉彬の件で借りがある、今それを返す。そう言ったら納得してくれるか?」

「ありがとう。感謝するよ。」



 車窓の向こう側に、陰鬱な海が広がっている。

 時々、手前の狭い平野部分にこびりついているような村や集落が見える。

 海は故郷の近くを通る度に、自分が横溝正史の小説に登場する探偵のような気分になった。

 一見、近代化されたように見える故郷の村の中には、古い因習が未だにカビの根のように残っているからだ。

 海の父、神領暦はそれを嫌って村を出た。

 そして都会で、後に遊や海の母親となる女性と出会ったのだ。

 海には、父親がなぜ故郷に帰ってきたのか、それが理解できなかった。

 ・・・父の帰郷、それが姉弟の全ての因縁の始まりだった。


 遠くに海岸線が見える故郷の駅に海が降り立っだ時、嘉門颯太が彼を出迎えにやって来た。

 懐かしい顔だった。

 短く刈り揃えられた髪が真っ白になっている。

 時たま掛かってくる彼からの電話だけでは、この変化は判らない。

 嘉門颯太は幼い頃の海の絵の先生だった人物でもある。


「嘉門さん、お久しぶりです!」

「若、良く戻って来られた!」

 二人は、古い駅舎の前で暫くの間、抱き合った。


「早速、本家までお送りします。」

「イチは、そんなに具合が悪いんですか?」

「今日明日と言う所ではないですか?医者が家に帰っても良いと言ったくらいですから。、、聡明様は、もう一太郎ボンが逝ってしまわれた後の段取りを始めておられる。、、なんと味気ないお人じゃ。」

 海は、叔父の聡明の事を聞いたのではなかったが、嘉門颯太はそこまで言った。

 嘉門颯太は、昔から聡明が嫌いなのだ。


 海を乗せた車は海岸沿いの県道を暫く走り、やがて海岸から少し山手に奥まった場所にある神領屋敷に到着した。

 一刻も早く弟の顔を見ようと車から降りようとした海を嘉門颯太が引き止めた。

「若。聡明さんは若が来る事を知りません。これは儂の一存でやった事ですから」

「分かってます。嘉門さんの事は口にはしないですよ。」

「そう言う事ではのうて、めげんで下さいと言っておるんです。若は聡明さんに取っては招かざる客だ。酷い扱いが目に見えておる。おまけにごりょうさんがあれじゃ。、、ごりょうさんは昔とちっとも変わっとらん。いや前より酷うなっとる。」

「大丈夫、そういうの、昔から慣れてますよ。」


 嘉門颯太にはそうは言ったが、挨拶に出向いた聡明の対応の酷さに、昔の陰鬱な思い出が、一挙にぶり返し、海はそれに飲み込まれそうになった。

「二度と此処には帰ってこんという約束で上京させてやったんだろうが?一体なんの積りで舞い戻ってきたんだ。えっ、その辺り、お前の穀潰しの父親とそっくりだの。流石にその父親がどこぞの遊び女に孕ませた子だけの事はあるの。分かった!お前、一太郎が死ぬのを見届けて、ここでもう一度、神領の跡継ぎに名乗りを上げる積りなんだな?通夜やら葬式には頭が固くて古臭い神領の親戚筋も沢山集まるからのう。」


「・・叔父さん、俺は約束を守りますよ。イチの顔を見たら直ぐに帰ります。だから一目だけでもイチに合わせて下さい。イチは俺の弟なんですよ。俺が、叔父さんが弟と会うのを邪魔だてしたと、言いふらしていいんですか?頭が固くて古臭い世間はなんというでしょうね?本家の聡明は資格もないのに、我がが跡目を継ぐ画策をしたいが為に、弟の死に目に会いに来た兄を追いやったんでねえかとか、変に勘ぐるんじゃないんですか?」

 聡明の顔は真っ赤になったが、思わぬ海の反撃の中身に聡明は暫く考えたようだ。


「お前のそのイケズぶりは、あの爺にそっくりだの。お前は神領の悪い部分だけを引き継いだんだ。、、しかしまあ良い。一太郎には、会っていけ。だが通夜にも葬式にも出るな、いいな。」

「わかりました。ああそれともう一つ、叔父さんが俺とイチの面会を認めた事を、叔父さんの口から、あの人へ説明してくれませんか?俺はこれ以上、気が滅入るような事をしたくない。」

 あの人とは海の義理の母親の事だった。



 海は和室の中央に引かれた布団に寝間着姿で横たわっている一太郎の姿に衝撃を受けた。

 別れてから数年経つ、今、一太郎は中学生になったばかりの年頃で、普通なら急激な成長を見せる頃の筈が、昔と同じ、いやむしろ小さく縮んでしまったように見えたからだ。

 しかもやせ衰えているのが胸元のはだけた寝間着やボリュームの少ない掛け布団の上からでも判った。

 けれど海に再会した少年の目には、兄を慕うあどけない子供の目の光が灯っている。


「海兄ちゃん。帰って来たんやね!」

 か細い声だったが、喜びの熱量はあった。

 海は一太郎の枕元に座り彼の顔を覗き込む。

「ああ、イチに会いに来たんや。」

「兄ちゃんは、もうこの家には戻ってこんの?」

 もう先の心配をしている。

 本当は今、自分の目の前に海がいる事じたいが信じられないのかも知れない。

 そして少年は「帰る」と「戻る」の使い分けをした、少年なりに海が、神領家を出ていった理由を知っているようだった。


「、、ああ、そうや。この部屋は宗一郎じいちゃんの書斎だった部屋やな。片付けると随分感じがちがう。あの頃はすごく怖い部屋やった。やろ?いやイチは、小さ過ぎたから覚えてないか?」

 海は一太郎の問いを、「ああそうや」で誤魔化した。

「こんな部屋、好きとちゃう。僕は離れにいて兄ちゃんと遊んでたころが一番楽しかったんや。でも母さんがお前はもうすぐ神領家を継ぐ人間になるからこの部屋を使う権利があるんやって言ってた。」

 一太郎は、随分沢山の事を理解している。

 もう子ども扱いは、出来ないとは思ったが、反面、こんな身体になってしまった少年に、今更、大人達の事情を語る事になんの意味があるのかとも思った。


 海はグルリと部屋の中を見回した。

 窓際に見覚えのある宗一郎が使っていた古風な文机があり、更にその横に質素な本棚があった。

「随分、難しい本を読んでるんやな。」

「病院ばっかりで学校に行けへんねや。そやから本を読んでる。うん、でも最近は読んでへんで。本をずっと持ち上げてたり身体を起こしたりするのが大変やし。」

「、、そうなんや。」

 海は言葉に窮した。

 何を喋っても、結局は少年の現状に行き着いてしまう。

 しかし当の一太郎は、妙に透明で平静だ。


「そや!本棚の端に、あの本があるんや!昔みたいに海兄ちゃんに読んで貰いたい。」

 そう言われて海は救われたようになり、小さな本棚の前に移動し、屈み込んで本の背表紙を確認した。

「、、、安寿と厨子王丸か。驚いたな。まだあったんや。」


 それはその昔、海と一太郎が神領家の蔵の中に忍び込んで探し出した昔の絵本童話だった。

 当時もそれを読んでくれと一太郎にせがまれたので、海は声を出して読み始めたのだが、何分、昔の本で所々、文字自体が読めなかったり意味が判らなかったりで、挿絵を参考にして自分なりに補足して読んだのを覚えている。

 それを海が未だに覚えているのは、おそらく、この物語自体に自分たち姉弟の姿を重ねて悲しさを感じていたからだろう。


「判った。読んでやるよ。」

「昔みたいに読んでや、海兄ちゃんのが一番や。僕は何度も読んだけど、ちっとも面白くない。あの時とはまるで違う話みたいなんや。」

「、、、そうか。イチ、お前、こんな昔の本を読めるようになったんやな。でもな、そっちの方が正しいぞ。あの時、兄ちゃんはデタラメに読んでたんや。」

「それでええ。そっちの方が好き。そやから昔みたいに読んでみて。」


 読み上げている内に涙が出始めた。

 古くさい話だった。

 だから、昔そうしたように、適当に話を脚色して読んだ。

 今の海の感覚からすると、まだ森鴎外の「山椒大夫」の方が納得出来て、この絵本童話の「安寿と厨子王丸」は、悲劇というよりは、当時の社会制度の是認の上にたった劣情刺激のお涙頂戴か勧善懲悪物語としか言いようがなかった。


 だが、それでもやはり弟の厨子王丸を思う姉・安寿の気持ちには揺さぶられた。

 嗚咽と言うのではない。

 滲んでくるような涙だった。

 厨子王丸は最後に盲目になった母に巡りあう。

 一太郎はこの物語に何を感じているのだろう。

 一太郎の閉じられた瞼の端にうっすらと涙がにじんでいる。

 

 読み終わって一太郎に声を掛けようとした時、この少年は既に眠っていた。

 おそらく本当は、こうやって海と会話をし続ける事すら苦しい情況にあったのだろう。

 それでも幼い一太郎は、死期を悟った大人のような思考はしない。

 大好きな兄が帰ってきて、その兄にたわいもない事に甘えて、疲れて眠って、又、次があると思っているのだろう。

 海はやせ細って見る影もない弟の寝顔をじっと眺めていた。


「煌紫、、イチを助けてやってくれ。お前なら出来るだろ。」

『、、申し訳ないが、駄目だ。理由は判っているだろう?』

「、、、、。」

『この少年の身体の中は既に覗いて見た。稀な病だが人間特有の病気だ。彼を治すのは我々ではなく人間が成すべきことなんだよ。今、それが間に合わないのなら、この少年が死んでいくのは天命だ。その事に我々は関与出来ない。そこに我々が関与すれば、我々の世界のルールが、いや人間の世界のルールが崩れてしまう。』


「煌紫は遊や慎也を救ってくれたじゃないか?」

『、、まだ言うのか。海には判っている筈だろう?あれらの処置は我々の愚かさが生み出した結果に対する、私の責任であり答えだ。天命でないのなら、私は力を貸すし全力を尽くす。未来は変えられると信じているからな。しかしこれは私にとって変えられる未来ではあるが、関わってはいけない事柄なのだ。』


 海は煌紫を怒鳴り上げたい衝動に駆られたが、今までの経験の中で、煌紫が正しい事も判っていた。

 知的パラシートゥスは人間と住み分けは出来ても、お互いを知った上での共存は出来ない、それが最も人間を理解し大切にしようとするプシー種の結論だった。

 そして人は、受け入れがたいことを受け入れて生きていくのが定めの生き物だ。

 海は泣いた。

 一太郎を起こさぬように嗚咽しながら。




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