51: 闘いの朝
その後、海は傷を癒すために丸二日間、慎也の介護を受けながらホテルで過ごした。
傷の手当てと食事以外は、眠るだけなのだから、慎也にはその間は自由にしろと言ったのだが、慎也は海の手当の為の買い出しに行く以外は、ずっとホテルにいて遊んでいる様子はなかった。
「お前が女なら、良い嫁になるよ」と海が冗談で言った時には、慎也は奇妙な照れ笑いを見せた。
そんな3日目の早朝、慎也が血相を変えて海を起こしに来た。
皇から電話が掛かって来たというのだ。
「で、奴はなんて?」
「今まで、あの襲撃騒動の後始末に追われていたって。いつもは成功するのに、今回は失敗したから後始末にも時間が掛かったと嫌みを言いやがった。で今日、今後の事もあるから、俺達に屋敷へ今すぐ会いに来るようにと言ってきた。ふけちまおうよ。やることはおっかなくても、たかが大学のセン公なんだ。バックにヤクザみたいな組織もなさそうだし。逃げたら、それでお仕舞いだ。俺達は殺しもやってないんだから、下手に動いたら警察にばらすぞって脅しゃいい。兄貴も、もうそろそろ動けそうなんだろ?な、帰ろう。」
「そうするよ。ただし、あの胸くその悪いヘルメットを奴に返してからだ。」
「、、、、。判った。じゃ、俺もついてく。今度は俺に兄貴のハジキ貸してくれるよな。イザとなったら、それでなんとかする。」
「貸してやる。俺はこんなだし、そうと決まったら腹が減った。ルームサービス、時間早めてくれるか?皇が指定してきたの昼前なんだよな。まずは、腹ごしらえだ。」
そう言い終わると海は急いで煌紫を呼び出した。
「煌紫!」
『どうしたね、なんの用だ。皇の話なら聞いていた。私の腹づもりは既に出来ている。』
「そうじゃない。慎也を眠らせて欲しいんだ。」
『そんな事、君が気絶させればいいじゃないか、簡単な事だろ。』
「どんな形でも慎也に手を掛けたくない。それに単なる気絶なら、直ぐに目が覚めて、俺を捜し回るに決まってる。」
『判った。良く効く睡眠薬みたいなのを生成してやるよ。ただし前と一緒だ。出せるのは海の体液としてとだぞ。』
「、、キスは駄目だ。」
『なら小便を慎也君にかけるのか?私は君の唾液で出す。方法は自分で考えろ。君は慎也君の事になると途端に自主性がなくなるぞ。一体、どういう事だ?』
煌紫が呆れたように言って、海の意識から消えた。
さすがに煌紫の生成した催眠薬は、少量でもよく効いた。
慎也はテーブルにうつぶせて、軽いいびきをかきながら眠っていた。
海がキスを使わず、唾液を食べ物経由で慎也に飲ませたのは、この効き目を信じての事だった。
キスの時もそれ程、大量の唾液を慎也に飲ませた訳ではないのだ。
であれば、唾液がうっすらとでも付いたものを慎也の口の中に入れれば、それで事は足りる。
海はそれをモーニングサービスのトーストでやっていた。
まず先に自分の分を平らげ、慎也の分まで手を伸ばしそれを囓る。
巫山戯た調子で、それをやったらから、慎也もそれに乗って奪い返したトーストをパクついた。
そういう経緯だ。
トーストで出来なければ、フレッシュジュースでもやるつもりでいた。
が、かるく慎也は引っかかった。
基本、慎也はいつでも海とじゃれたがっているのだ。
海はそっと慎也の身体を抱き上げると、彼のベッドに運び横たえた。
ベッドの側に立てかけてあった長ドスをちらりと見たが、海はそれを持って行くのは止めた。
今回はサイレンサー付きの拳銃の出番だ。
皇に完全寄生した寄生虫を確実に殺す。
もし自分に何かがあって、皇が慎也に迫るような事があれば、この長ドスが慎也の役に立つだろう。
海は慎也が皇から借り受けたヘルメットだけを手にとった。
虎と竜、二つのヘルメットが入ったスポーツバッグが、皇と海が向き合ったテーブルの上に置かれてある。
「君たちには、失望させられましたね。」
皇が薄く笑いながらそう言った。
「相手は拳銃を持っていた。今までのゲームでもそのような事はあったんですか?」
海はゆっくりとした口調で反論する。
「私の準備不足だと言いたいのかね。利いた風なことを。第一、見ている限りには、君達が劣勢になったのは、君の相棒である真行寺君の暴走が引き金だ。それに君は、標的を倒すことより、真行寺君に危害が加えられる事に気持ちをさいていた。標的の反撃はずっと後の事だ。」
「でも、それで俺達は逃げようと、判断したんだ。拳銃を前にして何が出来る。」
「相手は視力も弱い足腰も立たぬ老人だぞ、しかも周囲は暗い、拳銃など滅多に当たるものではない。君たちの実力なら何とでも出来たはずだ。こちらもそれを見込んだ上で、こんな急ごしらえのゲームを作ったんだ。」
「随分荒れているな?お偉い大学の教授が台無しだ。一つ聞いておくが、あんたはなんの為にこのゲームを主催してるんだ?俺達が失敗することがそんなに、問題なのか?」
「正義の執行の為に決まっているだろう。そして君たちが失敗することは、悪が生き延びることを意味する。彼らはこの体験を通じてより用心深くなり、よりずる賢くなるんだ。結果としてして、彼らの悪行に苦しむ人間がより増える事に、」
皇は最後まで喋りきれなかった。
皇の上体が椅子の上でのけぞる。
海が抜く手も見せず、隠していた拳銃を引き抜き、皇の胸に弾丸を撃ち込んだからだ。
「煌紫!次は何処だ!?」
『眉間』
皇の額にボツンと穴が開いた。
椅子の上で跳ねていた皇の身体が一瞬、電源が切れた機械のように停止する。
人間の様には死なない。
肉体の破損に対する神経の反応がまったく異なるのだ。
海は立ち上がりながら、自分の前で邪魔になっているテーブルを投げ飛ばすようにして横に退ける。
『臍の下』
勿論、皇がそのままじっとしている訳ではない。
なんと椅子から立ち上がった。
それでも海は正確に煌紫の指示通りに銃弾を撃ち込み続けた。
ついに皇が床に突っ伏して動かなくなった。
相手が人間なら3度ほど死んでいる銃弾の数を撃ち込まれている。
弾倉が空になっている。
海は拳銃をホルスターにしまった。
次に海が皇の死体を仰向けにしようと近寄った時、突然、皇が立ち上がって海に襲いかかって来た。
さしもの海もこれには度肝を抜かれ、反撃どころか自分の頭を、本能的に両腕で庇った。
一瞬強い衝撃を腕に受けたが、次の攻撃はなかった。
『海!皇が逃げたぞ!追え!』
煌紫の鋭い指示が頭に響いた。




