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異蟲界、倒錯の知的パラシートゥス  作者: Ann Noraaile
第1章 日輪、月を孕む
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5: 寄生の瞬間


 火の消えた暖炉の前で、床に転がっている人型の革袋を一目見て、海はそれが姉の遊である事を理解した。

 双子同士がお互いに感じ合う、一種独特の超感覚に近いものだ。

 それに、この部屋にも真希の時と同じように、枚数は少ないがポラロイドカメラの写真が落ちていて、そこにはまだ綺麗な顔をした遊が、リング型の強制開口ギャグを装着された上半身が映っていた。

 海はその写真を見て、一瞬だが、真希の無惨なそれとを比較し、安心した自分を恥じた。


 海は遊の側に駆け込み、彼女の全身をきつく戒めているなめし革を剥がそうとやっきになっている。

 いくつもあるバックルは信じられないほど革ベルトを強く引き締めて止めてあったため、それを外す際にも、一旦、もう一度強くベルトを引っ張って余りをつくる必要があった。

 何よりも先に、遊の頭部を覆うベルトを外してやる必要があるのだが、その、『もう一度強くベルトを引っ張る』行為が、遊を傷つけないかと海を躊躇させた。


 四苦八苦やっている最中でも、海の頭の中で、白目を剥いてこれ以上はないというグロテスクさで死んでいた真希の顔が浮かぶ。

 海は思い切ってベルトを一旦締め上げ、それによって出来た余裕でバックルを外した。

 成功はした。

 だが、遊の頭部を覆う幅広の革ベルトを外しても、まだ遊の顔は出てこなかった。

 出てきたのは、これ又、漆黒のなめし革で作られた全頭マスクで覆われた頭部だった。

 ただそのマスクには目の位置に穴があり、そこからきつく閉じられた形の良い如何にも薄くて柔らかそうな瞼と長いまつげが覗いていた。


「姉さん!!」

 海は思わず大きな声を出してしまう。

 勿論、遊は応えない。

 いや例え応えることが出来たとしても、その声はこの革の全頭マスクの口に縫いつけられたごついチャックによって遮られていた事だろう。


 海は震える指で、そのチャックを開けてやる。

 現れでた遊の唇から、本当に微かな息づかいが感じられた。

 続いて海は全頭マスクの後頭部に縦に走っている編み上げ式の固定ひもをほどきにかかる。

 ほぼ遊の頭蓋骨に等しいと思われた程の大きさの革の球体から、大量の艶やかな髪がこぼれでた。

 ついに汗にまみれた遊の美しい顔が現れる。

 海は遊の頭を自分の膝の上に載せて、顔に張り付いた髪を払ってやる。

 海の指先の感触が刺激になったのか、遊の瞼が開いた。


 この時、海は自分の両耳の中に小さな痛みを感じていたのだが、その痛みは姉の意識回復という喜びの前にとるにたりない感覚としてすぐに忘れ去られていた。

『カイ、、、私、死にたくない、、、君はお姉さんを助けたいですか、、』

 遊の言葉は、直接海の頭の中になだれ込んできた。

 不思議な事に、遊の言葉は二つに分裂していた。

 同じ聞き慣れた遊の声であるのに、一方は今にも消え入りそうに弱々しく、もう一方は、男言葉でどこかよそよそしかった。


『私は君に許可を得る必要があります。私には君のお姉さんを引き継ぐ力があるが、それには君の承諾が必要だ。そして私の本能は、この危機に無理にでも君に寄生することを望んでいるが、私はそれをするつもりはない。君がそれを望まないなら、私は君のお姉さんと共に、死んでいこうと思う。』

『私、死にたくない、、でももう死んでるのと同じ、、いや私は私として生き続けるのかしら?もう判らない、、死にたくないの、カイ、助けて、、』

「何、言ってるんだ。姉さんが助かるなら僕はどうなってもいい。」


『本来はもっと説明を、もっと説明をすべきなんだが。』

 遊の口が突然、顎が外れたのではないかと思える程、ガバァと大きく開いた。

 遊の口の奥から虹色にヌメヌメと光る生き物が、活きよいよくせり上がって来る。

 同時に海の口も、これ以上はないほど大きく開けられる。

 ただしそれは海の意志ではない。

 勝手に開いたのだ。

 遊の口から出現した平らな蛇のようなキラキラと光る軟体生物が海の口へ飛び込んでくる。

 それでも海の腕は、その侵入を阻止しようと動くのではなく、遊の頭を抱き続けたままだった。

 飲み込むには大きすぎ、飲み込み続けるのには長すぎる、それに対して海の全身が全力で拒否反応を起こす前に、軟体生物の移動は完了した。


『終わった。君のお姉さんは無事だ。君の中に私と共に完全にコピーされた。だが目に見えるお姉さんの形が欲しいのなら言いたまえ。今なら間に合う。遊の身体の内部構造は、私が出てしまったから完全に溶解してしまうが、外皮だけなら、なんとか処置を施して残すことが出来る。』

「何を言ってる?意味がわからん!」

『形見だよ、人は愛する人と別れる時、形見を欲しがるのではないか?』

「姉さんは、無事だと言ったじゃないか!!」

 海の目の前で、遊の顔が少し萎んだような気がした。

『そうか、いらないのか、、。』

 遊の右頬骨の上に当たる皮膚が、ボコリと陥没した。

 海は悲鳴を上げた。


「やめろ!遊姉さんに酷いことをするな!」

『判った、形見は残すことにする。人は姿形に執着する生き物だからな。』

 数秒後、遊の頭部は、水を詰め込んだゴム風船のような状態になった。

 勿論その変化は、遊の身体全体に渡って起こっていたのだが、その身体が拘束用の革袋に包まれていた為に、海の視覚には、顔以外の変化は直接映らなかったのだ。

 だが海は自分の胸に遊の身体を抱いているのだ、その感触は判る。

 海は人体の感触が、クラゲのようなモノに変わっていくその不快さに、思わず遊の身体を投げ出してしまった。

 遊の身体が、、床に投げ出された衝撃で何かが起こったのだろう、、遊の身体を包むレザーのボディサックが黒く濡れ始め、急速に萎んでいった。


『安心したまえ、遊の元の身体は実に単純な蛋白質と脂質とカルシュウムに還元された、殆どは水だ。君が忌み嫌うような不快なものではないよ。』

「馬鹿な!何言ってるんだお前は、、俺の頭の中から出てけ!そして遊姉さんを返せ!」

『両方とも無理だ。もっとも、正確には遊はすでに君の中に帰っている。今、君は完全な二重構造体だ。望むのなら君は遊を抱きしめる事が出来る。だがその手は、海という男の手ではないがね。それは又いずれ、説明することにしよう。』

 今や、床の上のボディサックは完全に平らになってしまっている。

 マスクをはがしてやった遊の頭部があるべき部分には、人の頭をぺしゃんこに押しつぶしたような人皮と、髪があるだけだ。


『所で、奴らがもうすぐここに帰ってくる。どうする?普通、人間はこんな時には復讐を考えるのだろうが、今の君では到底、力不足だ。』

「何、意味わかんない事を、ごちゃごちゃ言ってるんだ!」

『カイ君、聞いてあげて、この人の言ってる事は、全部本当よ。カイ君、ありがとね。がんばって。』

「・・今、誰が俺の頭の中で喋ったんだ!?」

 悲鳴に近い海の言葉だったが、その声を聞くべき相手はこの部屋のどこにも存在しない。


『遊だよ。断っておくが、私が遊の芝居をしたわけではないぞ、』

「信じられない、、、」

『時間がないが、もう一度説明する。君の姉の遊は、君の中で二重構造的に再構築されている。君が今、見下ろしているのは文字通り遊の抜け殻だ。そして、今さっき君に喋りかけたのは遊だ。普通、二重構造体として他者の身体に従属的に再構成された存在は、自ら声を上げることは困難だが、遊はそれをした。余程、君の事が心配なのだろう。だがそれもいつまでも続かない。一旦折り畳まれた存在が、声を上げるという事は、その状態が極めて不安定で危険だということに他ならないからだ。私が全力を挙げて、それを安定化させる。』

「だめだそれは!遊がいなくなってしまう。」

『安定化させなければ、遊は今度こそ、本当に跡形もなく消えてなくなるぞ。それに私たちにはそんな事を言い争っている暇はない。』


 確かに暇は無かった。

 別荘の前庭に撒かれたバラスを咬む車の音が、ここまで聞こえて来た。

 海は、床に横たわっている革袋もろとも遊の抜け殻を回収し、この別荘から逃げ出すために壁の窓へ駆け寄った。

 海の姉を傷付けた者への燃え上がるような復讐心と、二人の若い女性を、ここ迄傷めつける事の出来る相手の手強さに対する彼の判断力がそうさせたのだ。



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