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異蟲界、倒錯の知的パラシートゥス  作者: Ann Noraaile
第5章 ソウルブラザーズ
44/67

44: 移動体からの解放


『来た、斉彬だ。』

 煌紫の言葉通り、クラブの入り口近くに、場違いな一人の男の姿が見えた。

 ノーネクタイでダークスーツの崩れた感じの男だ。

 煌紫が言ったように、彼の存在は海にも直ぐに感知出来た。

 それは相手も同じようだった。

 男は真っ直ぐ、海達のいる方向を向いている。


「あっ、俺、トイレ行ってくるわ。慎也、お前踊ってていいぞ。」

 そう言って海はソファから立ち上がった。

 海はクラブの奥まった場所にあるトイレに向かった。

 男が付けてくるのが判る。

 特に自分の身を隠そうとはしていないようだ。

 というよりその男が発する禍々しいオーラは隠しようがなく、それは普通の人間にも判るようで、男の行く先にいた人間達は全て彼を避けていた。

 クラブ内の音響が静まり、もうすぐトイレという広い廊下に達した時、海の背後から声が掛かった。


「お前が神領海か?」

 海がゆっくりと振り向く。

「あんたは暮神さんだね?」

「話通りの良い移動体だな、煌紫が入れ込んだのもよく分かる。過ちは誰にでもあるものだ。約束通り、俺がその移動体から解放してやるよ。」


「解放?ちょっと、待てっ!」

 暮神が海に向けてそう言ったのか、煌紫に言ったのかが判らない。

 あるいは両方共になのか?

 プシー種の中では、海と煌紫のような両立関係はない。

 全てのプシーは寄生主から、己の存在を隠し通している。


 だが目の前の男は、ある程度、海と煌紫の事情を知っている筈だ。

 それに解放とはなんの事だ?

 過ちとも言った。

 そして煌紫は暮神を欺いて、とも言った。

 だが、そんな疑惑を悠長に考えている暇はなかった。

 暮神が突然、攻撃をしかけて来たからだ。


 早くて正確な打突に、強力無比な力。

 比留間兄弟が凶暴な野獣ならば、暮神は熟達の超戦士、彼に相対したその感覚は、あの李に近かった。

 しかも李に感じた不安感、『もしこの男が虫に乗っ取られたら地上最強』、それをそのまま体現していた。

 李の元で、海がトレーニングを積んでいなければ、暮神の繰り出す数手で、海は倒されていただろう。

 そして暮神は、束の間のこの闘いを楽しんでいるのか、海との攻防を味わっているように見えた。

 逆に海は、次第に追い詰められ、気づけば元いたホールを背にする廊下の位置まで追い込まれていた。


「、、、そうだな。もう隠れ回るつもりもない、、もっと派手にやろうか。」

 暮神がそう言うと、一気に海との距離を詰めて来た。

 次の瞬間、海は、その場所から両開きのドアを弾き開ける形で、ホールの端に投げ飛ばされていた。

 突然、飛び込んできた海に、ダンスに興じていた男女達が悲鳴を上げて海から遠ざかる。

 暮神が楽しそうに、ホールに乗り込んできた。

 海が頭を振りながら立ち上がる。


 強化された身体でなければ、もう何度も死んでいる筈だ。

 久しぶりに、海の口や鼻から血が出ていた。

 煌紫のケアも間に合わないらしい。

 『煌紫と言えば、煌紫は何処にいる?』

 何故、沈黙をしていると、海は一瞬焦ったが、同時に暮神と煌紫の会話は、人間である自分には聞き取れないのではないかという事にも気がついた。


 ホールの中で、再び第二ラウンドが始まった。

 今度の闘いは、少し様相が違った。

 暮神が「派手にやろうか」と言ったように、暮神は周囲にある物品をすべて武器として使った。

 舞飛ぶスツールや酒瓶。

 そして意味もなく、クラブ中の設備をその拳と脚で叩きつぶし蹴り破った。


 それは、ここに居る人間達に、まるで「この俺を見ろ」と言っているような闘いぶりだった。

 しかしよく見れば、この暮神の暴れぶり、海への攻撃の手は緩めないが、周囲で怯えきっている人間達に被害が及ばないような工夫をしているようだった。

 そしてそれは、それだけ海と暮神の実力に差があるという事でもあった。


 こいつ余裕か、、だがこのままでは俺は間違いなくやられる。

 李師匠だ。

 李師匠に伝授された事を思い出せ。

 あれで俺は無意識の内に、師匠に反撃が出来た。

 視聴覚を封じた時に感じたあの感覚を、呼び覚まさなければ俺に勝ち目はない。

 だがあれは、遊の肌が感じたものだ。

 今それは、ない。


『斉彬は、やはり狂ってる!私が遊の代わりをやる。感じろ!感じるんだ!』

 煌紫が突然、浮かんできて、そう叫んだ。

 つい先ほどまで暮神と話をしていたという感じだ。

 煌紫は、暮神に最後の交渉か、説得を試みていたのかも知れない。

 海の皮膚が一瞬熱く燃え上がったかと思うと、今度は直ぐに冷えた。


 音楽と喧噪の中、どこかで慎也の「兄貴!」と呼ぶ声が聞こえた。

 周りを取り囲む人間達の口々に昇る「スゲェー」という驚嘆の声や呟きも。

 李に教えて貰った、あの感覚だ。

 海をいたぶるような暮神の一撃がまた来たが、今度は海はそれを避けた。

 ようやく暮神の顔色が変わった。

 二人はホールのど真ん中で、まるで組み手演技をするような激しい打ち合いと、蹴り合いを展開した。

 いつのまにか音楽はやんでおり、ホールにいる全員がこの二人の闘いを固唾を呑んで見つめている。


 ・・・だめだ煌紫。これでも押されてる。こいつ正真正銘の化け物だ・・・

 間合いを取って向き合うには向き合えたが、それだけだった。

 海に繰り出せる技は、もうなかった。

 ・・だめだ・・

 ついに海の泣きが入った。


 勝利を確信した暮神が、敗者を見て嗤っている。

 その時、海の身体の中を一迅の風が吹きぬけた。

 それは海の体内にいた煌紫が、自らの極微の無数の神経枝を海の身体から外に向かって突きだした感覚だった。

 煌紫は、一撃必殺のこの瞬間が来るのを、辛抱強く待っていたのだ。


 神経枝が暮神の身体に突き刺さると同時に、海の正面にいた暮神の身体がまばゆく発光し、やがて全てが蒸発するように暮神の身体は燃え尽き、かき消えた。

「殺したのか?」

『そうとも言えるが、今起こったのは、彼の余命の最高速の完全燃焼だ。彼は数秒で彼の余命を生きたことになる。勿論、そうさせたのは私だ。』



「慎也っ!」

 海は首を回しながら観客に向かって怒鳴った。

 慎也が人垣の中でジャンプするように手を振っている。

「今夜は、これでお開きだ!」

 海は慎也のいる方向に悠然と突き進んだ。

 海の前の人垣が、二つに分かれた。



「すごかったっす。でもアイツなんすか?アイツが最後にやったの、焼身自殺かなんかですか?それとも俺、夢でも見てたのか?アイツの身体、見事に消えてた。」

 飛び乗ったBMBの中で、勢い込んで慎也が聞いてくる。

「焼身自殺?まあそんなようなもんだろうな。」


 海は煌紫が、この始末を目立つ場所でやろうと言い出した意味がようやく判った。

 暮神の死体は、正に跡形もなく消えてなくなった。

 おそらくどんな優秀な警察の監察係でも、それは発見出来ないだろう。

 残るのは二人の男が派手に闘った跡だけだ。

 目撃者は嫌という程いるが、それが殺害現場だったと認識している人間はいまい。

 それはあまりに壮絶で美しい闘いであり、あれはまるで武闘という名のダンスだったのだと皆は感じている筈だ。

 もしくは手の込んだイベントショーだと。

 海と暮神の闘いは、暮神のあまりの異様な死に様によって、一瞬のうちに事実から伝説に昇格したのだった。


 慎也が海に聞きたいことがあったように、海にも煌紫に今すぐ聞きたいことがあった。

「煌紫。どうやって暮神を騙して、奴をあの闘いの場におびき出したんだ?」

『私を神領海の身体から強制的に解放してくれないかと頼んだ。私はこの人間に間違って寄生してしまったと言ったんだ。』

「それで暮神はクラブにノコノコやって来て、殺されたのか、、はっ、お人好しかよ!それとも煌紫、お前が酷いのか!?本当は、いつもみたいに、どうせそれだけじゃないんだろう!全部言えよ!」

『、、斉彬は、この手の話から逃れられないんだよ。過去に色々あったんだ。彼はそれで、闇の守護者に落とされたんだ。彼は宿主の人間を愛しすぎていた、、ネットワークを裏切ってでもね。』

 そう言い残して、煌紫は海の意識の中に沈んで行った。

 海は煌紫に呼びかけるのを止めた。

 人間が一人になりたい時があるように、虫にだってそんな気分の時があるのだろうと、海はそう思った。





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