34: 黛真希のストーカー
「ふう、疲れる、、。」
海は遊の皮を脱ぎ、シャワーを浴びながら、思わずそう呟いた。
「皮」を来ている時は、海の発汗や皮膚の代謝による老廃物などの諸々を、皮の裏側が食べているから下手にシャワーなどを浴びるより充分清潔なのだが、それは「気分」の問題だった。
『なぜ疲れる?体力的にはまだまだ余力はあるし、海は今の役所を旨くやりこなしているように思えるのだがね。』
「ボディガードの方じゃないよ。女の振りをするのが疲れるんだよ。それと極夜路刑事への対応。彼女、未だに日本平の仇が俺だと思ってるみたいだ。刑事なら色々、推理してみろよって思うよ。」
『彼女に我々の存在に気付けと言っているのか?それは無理だろう。昔の君を思いだしたまえ。』
「それを言われると辛いな。、、でも寄生そのものに付いては判らないだろうが、未知の生命体が、この件には関わっている事ぐらいは、もうこの辺で気付いても良い頃だと思うぜ。なんたって増萬寺であいつを目の前で見たんだからな」
『、、、たくましく、なったな。』
「何を言ってる?」
『その遊の形見を着ることも平気になったようだし、我々の存在の事も、冷静に受け止められるようになりつつある。』
「、、、確かにな、この皮については、そう思う。思い出は、写真なんかの形をより所に辿るものだが、その形自体には価値はない。そう思えるようには、なったよ。それに、この皮を着た時の俺は、姉さんとはまったく関係がない人間だ。俺の仮の姿である黛真希でしかない。」
海は濡れた身体をバスタオルで拭き上げる。
スレンダーだが完全に均衡のとれた男の身体だ。
『・・・ところで海。最近、君はこのマンションに帰ってくる時、自分が後を付けられているのを知っているのかい?』
「付けられてる?この俺が気付かないって?相手は新手の煌紫の仲間なのか!?」
『そうじゃないよ、普通の人間だ。警察の類でもない。海はその姿でいる時は人目を惹く。しかし海にとって痴漢やストーカーの類など物の数ではないから、無意識に危険対象からそういった人間を排除してる。だから気が付かないんだ。それに君をつけている人間の関心は、男の海にありそうだ。真希をつけてくるのは、その海のマンションに出入りする謎の女だからだよ。』
「なぜ、そこまで判る。相手は人間なんだろ?」
『匂いだ。その匂いのある手で、郵便受けがいじられていた。清潔でこまめな手入れをしてる手だ、だが男だ。そこまでは解る。海も郵便受けを確認していたが、あの程度の観察力では何も判るまい。その他、私は常に様々な監察を怠たらない。例えばこのマンションに通じる道筋の光景の変化などだ。それらを総合するとそうなる。』
「、、じゃまくさいな。そいつ、今、近くにいるのか?」
『ああいる。相手はプロではなさそうだから、窓からでも、こちらを伺っている相手が確認できるんじゃないかな?』
海は部屋の電気を消して、窓際に近寄ってカーテンの隙間から外を見た。
現在の海の視力なら、それだけで外の様子がハッキリと見て取れる。
「・・とっちめてやる。」
海は素肌にジーンズと白いシャツだけを着ると、部屋の外に出て、非常階段から軽々と飛び降り、その男が隠れている物陰に走った。
「神領海に、なんの用だ?」
その男は、不意に後ろから話しかけられて驚いたようだ。
短い髪を金髪に染めている若い男だ。
男は驚きながらも、彼が肩かけしていた簡易ゴルフクラブケースを素早く身の前に回し込んだ。
その手がせわしくバッグのジッパーを探し当てると、一気に中身を剥きだした。
「やめときな。どうせ刃物の類なんだろうけど、俺がこれこれしかじかと届けでれば、あんた実刑くらうかもよ。」
海が言ったとおり、男はゴルフバックから白さやに収まった長ドスを抜き出し、素早い手際で、それを抜刀して構えた。
「ふーん、手慣れてるじゃない。一応経験者?若いのに大変だね。」
「ほざくな。じっくり調べてと思ったが、こうなったら一気に方を付けてやる。お前、真行寺真希をどうした?殺したのか?」
「ハァ?お前、誰?」
「俺は真行寺真希の弟だ!本気だぜ!」
男はそうすごむといきなり抜刀して、それを水平に薙ぎ払った。
海は後方に飛び退って、胸元をかすめるその一撃をなんなくかわしたが、常人なら相当の深手を負っていたはずだ。
そう思うと、海の頭に血が上った。
男は既に態勢を整えて、青眼の構えで切っ先を正確に海へと向けている。
海は突如、男に背を向けて路地の奥へ駆けだした。
当然、男がその後を追い始める。
だが海が駆けだしたのは、逃げる為ではなく助走を付ける為だった。
何の助走か?剣より速く、剣に予測できない方向から、飛ぶためだった。
走る二人の間近に、近隣住宅のコンクリート塀が近づいた時、男は、海を追い詰めたと思ったのだが、海は壁に向かって斜めに脚を打ち付けるように飛び、その壁からの反動を使って今度はあり得ない角度で、男の方に飛び返ってきた。
それでも男は自分に迫ってくる海の身体を長ドスで切り裂こうとはしたのだが、その時には既に、頭部に強い衝撃を受け、男は意識を失っていた。
「よう、気がついたか?」
海は自分のベッドに寝かせた男が頭を振りながら起き上がるのを、ベッドの側に寄せて持ってきた椅子に深く身を沈めたまま、ゆっくり言った。
海は先ほどまで、この男が言った「俺は真行寺真希の弟だ。本気だぜ。」の言葉の意味について考えを巡らせていたのだ。
男は、正気に返った途端、自分のクラブケースを探し求め、直ぐにそれを諦め、今度は自分が何処にいるのかを知るために周囲を落ち着き無くきょろきょろと見渡した。
「心配するな、ここは俺の部屋だ。てかお前には、それがかえって心配か、、。」
「俺の刀は?」
「はぁ、、何言ってるんだ。人を襲っておいて俺の刀は、はないだろう。俺が大事に預かってるさ、大事にな。であれ、何処で手に入れた?見たところ、お前、筋者でもなさそうだが。」
「、、、知り合いから借りてきた。」
素直に答えた所を見ると、どうやら男は自分の襲撃や、相手への疑念が間違っていた事に気付いているようだった。
底抜けの馬鹿ではないようだ。
勿論、普通に暮らしている若者なら、長ドスを貸してくれるような知人はいないだろうから、まっとうではないのは確かだろうが。
「お前、真行寺真希の弟だと言ったな。名前は。」
「慎也、、、真行寺慎也だ。」
確かに、落ち着いた状態で、この男を監察すると、双子の海と遊程ではないが真行寺真希に似ているのが判る。
大きな愛嬌のある目が特にそっくりだった。
「じゃ慎也、何故、俺を見張ってた?てか何故、俺が真希ちゃんをどうにかしたと思ったんだ。」
「探偵を雇ったんだよ。」
「はぁ?探偵だって?興信所とかいうやつか、、。」
「最初は、自分で色々調べてた。警察にも行った。けど埒が開かないから、探偵に頼んだんだ、、。」
探偵に頼むか、、そういう手もあったか、と海はふと虚を突かれたような気がした。
海の場合、自分であちこち調べて回ったのは同じだが、その後は違っていた。
勿論、自分が新しい力を手に入れられた事や、相手の正体をとんでもないルートで知ることが出来たのが大きな違いだが、警察を含めて、海が端から「誰も」信用するつもりがなかったという所が、この青年との大きな差だったのだろうと気がついたのだ。
「で、その探偵はなんて言ったんだ?」
「、、、姉貴や遊さんに危害を加えた人物は、あんたの可能性が高いと言ってきた。」
「その探偵は、俺の事を色々調べたのか?」
「ああ、随分、経費を取られた。張り込みやら尾行を徹底的にしたって、」
「そんなのは身に覚えがないがな。」
常人の頃の海ならイザ知らず、身体改造をし始めてからなら、意図的な監視に海がまったく気がつかないという事があり得るのだろうか。
いや一度だけ、自分が写真を隠し撮りされているという気がした事がある。
だがあれは刑事だったような気がするのだが。
「あんたが街を歩いている写真を沢山見せられた。」
「それだけか?そんなの、俺を写した写真を何処かから手に入れて、お前に見せれば済むことだろうが。その写真の中に、俺が、お前の言う事件に関係してるような具体的なのがあったのか?」
「、、いや、ない。」
どうやら慎也も自分が、その探偵から騙されていたのではないかと思い始めたようだった。
「探偵に、姉貴と遊さんを二人どうにかしようとする動機があって、又、二人に関われる人間は、そうは居ないはずだと言われた。」
「動機?動機ってなんだよ。こっちが教えて欲しいもんだな。」
「神領海はサイコなシスコン野郎だ、、と。警察もその線で捜査をしてると言われたんだ。、、俺の姉貴はレズだった。でその相手があんたの姉貴である遊さんだった。二人は結構、旨くやってた。その中に突如現れたのが上京してきた双子の弟のあんただ。あんたは自分の顔を整形してまで姉にそっくりにしようとする程、姉に執着のあるシスコンで、遊さんを独占するために、俺の姉貴が邪魔になった。所が、姉貴を排除すれば、自分の方を向いてくれる筈だった遊さんの思いは、ウチの姉貴に残ったままで、それならいっそ殺してしまえって、、。」
「そんな話を信じたのか、、。」
「あんたの顔は実際、整形でもしなきゃ無理ってくらい綺麗だったし、ウチの姉貴が遊さんにぞっこんだってのは本当だ。姉貴は、あんたがこっちに来てから、遊さんが前みたいに私とあまり遊んでくれないって愚痴を言ってたし、、。」
「お前、騙されたんだろ。その探偵って、正式の興信所とかそんなのじゃないんじゃないか?街に巣くってるような怪しい奴だろ。お前が貸して貰ったっていう長ドスの持ち主とか、その種類の人間じゃないのか?」
この質問には、慎也は答えなかった。
「、、探偵に払い続ける金がなかったし、ある程度の目星が付いたと思ったから、後は自分でやろうって思ったんだ。で、あんたのマンションを張ってたら遊さんにそっくりな女があんたのマンションに出入りしてるのを見つけた。これは、又、やられるなって思って、いざという時の為に長ドスを用意したんだ。」
「いざって、俺をやるためじゃなくて、その女を助ける為って事か、、、。」
「俺は、そんな格好良いやつじゃない。でも、あんたがホントに真犯人だったら、あんたをボコボコにして警察に突き出すつもりだった。長ドスはその為の保険だよ。」
そうか、煌紫はそれに気付いていたわけだ。
そして自分は慎也の「緩さ」故に、彼の存在に気付かなかったのだ。
「もし姉貴が殺されてたなら死ぬほど悔しいから、そん時は相手を殺して自分も死ぬって思ってたけど、暫くしたら、悔しいけど気持ちが冷めてきた。だって姉貴もそんな事、俺に望んでないだろうし。」
『お前は、あの死体を見てないから、そう思うんだよ』と言いかけて海は黙っていた。
この時点では慎也はまだ真希の死を知らない。
覚悟はしているのだろうが、慎也の中ではまだまだ真希は死んではいない。
それに、例え知っていたしても、慎也の自分の姉の死に対する向かい合い方は、自分と同じとは限らないのだ。
『こいつは、もう一人の俺であると同時に、まったく違う別の俺なんだ』とその時、海は思った。




