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異蟲界、倒錯の知的パラシートゥス  作者: Ann Noraaile
第3章 蠱毒の女王
32/67

32: 慰め

 李がやって来て、へたり込んでしまった真希の隣に座り込む。

「君は最初から不思議な生徒だった。私は、何人も人殺しに稽古をつけてやって来たんだ。あるいはこれから人を殺そうと思っている人間にもね。君の目の色は両方だ。それと、君は迷っている、今の自分を持て余していると言ってもいい。だから技にも切れがない。能力的には、君はずば抜けているのにね。」

 真希は自分の膝頭の間から見える地面を見つめた。

 自分の顔を見られたくなかった。

 なぜそんな気持ちになるのか自分でも良くわからなかった。


「少し言い方を変えよう。これから自殺しょうとする人間は、自分の生の苦しみと共に強烈に死というものを意識する筈だ。普通に生きてる時は生を意識してるかというとそうじゃない。人は皆、今生きていること事を、強く意識しないと駄目なんだよ。それが今を充分に生きるという事だ。しかしそれとて、死の反対側にいての話だ。そこのところを忘れては駄目だよ。そういう人間は、強くもなれない。」

 李は、真希について何か勘違いをしているようだった。

 確かに、煌紫などは、復讐に取り憑かれて突っ走る海の行動を皮肉って、それは自殺願望だと揶揄する事もあるが、だからといって海は自殺を目標にしている訳ではない。


 それでも今の海なら李のいわんとすることが、なんとなく判る。

 生きる事を意識しないで「生きているのか死んでいるのか判らない生」に果てしなく埋没し、流されてきた過去の自分が解るからだ。

 勿論、それはそれで幸せな事だと、理解は出来ている。

 ただ。朝目覚めた時に「自分は精一杯生きるんだ」という感じで気持ちを高めなければ、その日一日のリアルがどんどんなくなっていく感じは確かに昔はあった。

 だからと言って今の自分が充実していると思うのは、危険すぎる発想だとも解っている。

 海は最近になって、ようやくその事に気づき始めていた。

 それはある意味、知的パラシートゥスたちの世界のトラブルに巻き込まれたお陰かも知れなかったのだが、、。



 李は真希を勘違いしたまま、とりとめもなく復讐の意味と、生についての充実感の話を始めた。

 その日の稽古は、それであっさり終わってしまった、と思った。

 つまり真希は、李のトレーニングで「死ぬ」所までも行かなかったという事だ。

 しかしそんな話が、何時までも続く訳がない。

 李と真希は人気のない模造街の街頭に座り込んで、昼とも夜とも言えぬ書き割りの空を暫く見つめていた。

 真希は思いきって、切り出してみた。


「師範は、、そのう、、初めての復讐以外に、人を殺した事はないのですか?」

「あるよ。二十四人だ。その内、十八人は試合のようなもので、お互いが了解の上だ。あとはやむなく殺した。」

「二十四人も、、。」

「勘違いするな、最初の復讐を含めれば、全部で三十二人になる。」

 真希はうつむいて暫く、地面の亀裂や汚れの模様を見つめていた。

 反応が出来なかったのだ。


「三十二人も人を殺した男は、何処かおかしくみえるかね?角が生えているとか、牙があるとか?」

 李は勿論、普通の男ではない、内から発するものが違う。

 だがそれは、彼が多くの人間を殺したからそうなのだとは、とても思えなかった。

 だから真希は首を振った。


「人が人を殺す意味、復讐の意味、真希が今悩んでいる事に答えはあげられないね。いや本当の所、この問題に関しては、誰も答えが出せないのではないかな。・・だが現実面で言えば人は殺されている、実にあっさりと、昨日も今日も明日もね。」

 李はそう言いながらレザーコートの内ポケットから、ズルリと見慣れないマスクを抜き出した。

 真希自体が「マスク」を常用しているようなものだから、マスク自体への驚きはない。


「心配するな、私に妙な趣味はないよ。ただし、これを君に被って貰う。」

 真希はそれを手に取った、遊の人面よりずっと重たく硬度がありそうだった。

 それにマスクの開口部は、鼻の穴に差し込まれた短いチューブだけだった。


「その下はトレーニングブラとショートパンツだけなんだろう?上を脱いでこれを被りたまえ。肌を露出させて、もう一度、トレーニングを行う。今度はナイフなしだ。今の君は、自分自身を傷つける可能性がある。」

「今日のトレーニングは、もうおしまいではなかったのですか?」

「今の話で、少し気が変わった、、。それにその遮断マスクはもとから今日使う積もりで用意した物だ。」

「遮断マスク、、。」

「被ってみれば判るが、耳の部分には耳穴にピッタリ収まるプラグが内側に付いている。そいつを被ると、視覚・聴覚が完全に封じられる。嗅覚もそのチューブを通すから半減するだろうな、、。それでトレーニングをするんだ。君は皮膚感覚だけで戦う事になる。」


「でも、どうして?」

「今生きている感覚を確かめる為、そう言えば、格好良すぎるな。だがこの訓練は、君の役に立つはずだ。男が一番無防備になるのは、どんな時か知っているかね?」

 勿論、分かっていたが、どうしてだか、又、顔が赤くなった。

 どうしてこんな運びに、なっているのか?

 猪飼の顔を思い出して、想像がついた。

 猪飼は、このトレーニングで、真希の女の属性を最大限伸ばそうと勝手に決めているようだった。

 それを李に命じている。


 おそらく猪飼は李に「真希は復讐のために腕を磨いているのだ」と、真希のトレーニング参加の動機を説明しているのだろう。

 確かに大筋では間違ってはいない。

 男女関係には純朴な李の事だ、真希の復讐相手は「男」だと思っているに違いない。

 だが海は、姉の遊の人工皮膚で疑似女性となっているだけだ。

 それで又、真希は赤くなった。


「男が無防備になる時?セックスの最中、、。とかですか?」

「そうだ。色仕掛けだ。別段、悪い方法ではない。事の最中に攻撃できるという事は、当然防御にも使える。もっともその場面は私には想像も付かないがね。」

 海は単純に自分の武闘技術のスキルアップの為に、トレーニングを要求したのだが、猪飼はそんな風に受け取ってはいない。

 そして津久見警備総合会社の裏の顔から言えば、ある一人の女を「使えるスタッフ」にするには、こんなトレーニングが当たり前なのだろう。


「私には金輪際巡り合わせのない勝負の形だがね。さあ、やろう。」

 最後に李は話を逸らすために下らないジョークを挟み、さらにウィンクまでした。

 李は、こういう事が、清々しいくらい全く似合わない。


 真希は上下を脱ぐと、ラバーマスクのジッパーを引き上げて、人面の開きのようになったその内部に顔を突っ込んだ。

 そのマスクのジッパーは、最後、李が締め上げてくれた。

 それは李の取る行為としては、とても珍しい行為だった。


 遮断マスクを付けた途端に、時間の流れが判らなくなったのが不思議だった。

 「時間」は、人間の視覚、聴覚、嗅覚などによる外部刺激で認識されているのだと悟った。

 だから、「その痛み」が真希の身体を貫いた時、一旦止まった時計の秒針が再び動き出したような気がした。

 どうやら真希は、鞭のようなもので上半身を背中からしばかれたようだ。

 すぐにその方向に、身体を正対させたが、李の気配はまったく感じとれない。

 李の動きが読みとれないのだ。

 相手が普通の人間なら、こんなマスクを被っていても、海なら充分察知出来るのだが。


 二回目の痛感の発生も唐突だった。

 今度は腹部への一撃だった。

 勿論、これは李の通常の攻撃パターンではない。

 李は相手に対する最大最効率の攻撃の為には、どんな卑怯な手も厭わないマシーンじみた部分があるが、相手をいたぶる事だけは、決してしないからだ。

 彼は、あえて真希に新しい稽古を付けているのだ。


 三度目の攻撃で、ようやくその兆しが判った。

 攻撃の際に起こるわずかな空気の揺れで、打撃が放たれる方向を真希の「肌」が捉えたのだ。

 真希の防衛反応にリンクしている遊の肌が、もの凄い勢いで、この闘いに適応し始めているのだった。


 四度目の攻撃を、真希はかろうじてよけることが出来た。

 だが五度目の打撃は、さらに鋭く早く真希を捉えた。

 李も真希の変化を観察しながら攻撃しているのだ。

 そして遊の肌は、更にその感度を上げていく。


 真希の中に、「皮膚感覚が構成する視覚」といった奇妙なものが生まれ始める。

 そしてついに左手方向三メートル先に李の人型が立っているのを、真希は認識した。

 李は更に左手に回り込んで真希に接近してくるが、真希はそれにわざと気づかぬ振りをした。

 不意をつけるチャンスは一度、それを逃せば、幾ら皮膚で外の世界を認識できようが、李に勝てるチャンスなど生まれる筈はなかったのだ。


 そう思った途端、真希の身体が透明になった。

 いや勿論、それは感覚上の比喩だ。

 ただ比喩というなら、その感覚はあまりにも生々しいものだった。

 真希の中を風が通りぬけ、空気中の微妙な温度差が、そのままの分布で真希の中にある。

 李の動きと共に、その透明度が高まり、彼が真希の攻撃射程に入った時、真希の身体は完全に無になっていた。




 真希の顔から皮膚が引き剥がされていた。

 ああ!遊の顔が!

 もちろん違った、剥がされたのは遮断マスクだった。

 真希の顔と額に張り付いた髪の毛を李が優しく撫でてくれている。

 遮断マスクは、李の手によって剥がされたのだ。

 真希の意識は、遊の皮膚感覚の変化について行けず、混乱を起こしていたわけだ。

 真希は李の膝から逃れるように起きあがると彼に向かい合った。

 勿論、李はそんな真希の心の動揺など知るはずもなく、ただ淡々と言った。


「私の仕事は、殺人者を鍛え上げる事だ、、そして君は人を殺す、、本当にロクでもないことだ。真希は人を殺す事にどんな理屈を付けようとも思ってはいない、、だろ?人殺しは、誰がなんと言おうと禄でもない行為だ。その禄でもない行為を教えるこの私だが、一つだけ心がけている事があるんだ。例えば、君の場合だ。君には、返り討ちにあって欲しくない、、やる限り、無念は晴らされなければならない、、そうでなければ、総てが無になる。そういう事だ。」

 真希の目から涙が出た。

 泣くなんて久しぶりだった。

 李の勘違いが心に染みたのだ。


「君の肌は、今日の変化を覚えている。君はこの私に不意打ちを喰らわすことが出来た。覚えてはいないだろうがな、、それが君の真の実力だろう。ただ、押したスィッチは、元に戻すことを忘れるな。君も判るだろうが、人はあんな感覚で、ずっといられるものではないからな。」

 真希は先程まで、真希の顔を覆っていた黒い遮断マスクを手にとった。

 内側が真希の汗で濡れている。

 不思議な事だった、遊の皮は汗をかかない筈だった。


「・・・それと、差し出がましいようだが」

「、、なんですか?」

「ターゲットの愚行を止める事が第一だ。復讐だけを考えるのではなく、そういう事も考えてみろ。被害にあった者だけが、事の深い真実を知っている。、、話して相手が判るのなら、次の被害を出さない為に、自分の時はそうじゃなかったのにと、悔しがらずにそうしろ。第三者のしかるべき権力が、それを実施出来るなら、それに委託しろ。それで、人を殺すことによって、自分自身が卑しめられる事が防げる。だがそのどれもが無理で、お前にその力があるのならどうする?すべてを背負う気持ちがあるのなら、やれ。・・地獄に堕ちる覚悟をしろ、言い訳は考えるな、、、。と、まあ、、これは、私が過去に出した結論だ。人に勧めはしないがね。」

 真希は、李に深く礼をした。




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