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異蟲界、倒錯の知的パラシートゥス  作者: Ann Noraaile
第3章 蠱毒の女王
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31: 思索する者、師範李


 津久見警備総合会社が選りすぐりの警備員たちに行うというトレーニングに、真希は自ら求めて参加した。

 そこで出会ったのが、海の今までの人生では、巡り会うことのなかった人間、、ヤクザ者の猪飼とは違った意味で、気になる人物だった。

 武術師範の李冬龍だ。


 李は津久見の組織の中で、傍流にいる孤高の人のように思えるが、いざとなれば組織ごと巻き込んで自爆してしまいそうな凄みを持っている人間だった。

 けれど身を持ち崩した武闘家やプロボクサーという、単純な裏社会の人間では決してなかった。

 海はトレーニングを通じ、この李を「男」として憧れ、尊敬し初めていた。


 動機は単純だった。

 この男が、復讐の為に人殺しを犯しているに関わらず、清廉に生きていたからだ。

 海は姉の仇をうった後は、死ぬつもりでいた。

 罪を償うというよりも、犯した罪に、自分は耐えきれないと思っていたからだ。

 もちろんその時に、遊を生き返らせる事も考えていた。


 だが李という男は、復讐が終わった後も生きている。

 自分もその様に、生き延びたいと思ったわけではない。

 李は罪を背負ったまま、鮮烈に、生きている。

 その事自体が驚異だった。

 海にはそれが尊敬に値した。


 しかし李は自分に対する尊敬や思慕の念といったものを、一切意に介さない人物だった。

 それは真希が、男とも女とも付かない存在だからという理由ではない。

 李が武術の達人であっても、真希の正体は判らなかった筈だし、遊によく似た真希が女性として魅力的でない筈がなかった。

 それでも李は、それらの感情に無頓着だった。

 

 つまり、李が愛しているものは、人間以外のものだったからだ。

 例えば彼の恋愛対象を一言でいうなら、「真理」ということになるだろう。

 「真理」という言葉が死語となる以前から、一般の人々からは縁遠かったライフスタイル、、「求道者」こそが彼を最も的確に言い表していた。

 「求道者」と言えば、年老いた仙人の姿が想像されるが、実際の彼はそのようなモノではなかった。

 そう、、彼は、、正真正銘の「哲学するマッチョマン」だった。


 黒い革のロングコートの裾をはためかせ、師範李がトレーニング場に、やや俯き気味にやってくる。

 背が高く肩幅の広い彼が、それをやるとアクション映画のオープニングのよに見えるが、李ほどそういった「気取り」から、ほど遠い人間はいない。

 そのくせ、李のどの動作も惚れ惚れする程、格好がいい。

 李は、そんな男でもあった。


 一方の真希は、身体にフィットした黒のトレーニングスーツ姿だ。

 その下には、黒のトレーニングブラに短い黒ビキニだけで、スーツには身体の線がはっきりと出ていた。

 彼との稽古は、いつも津久見警備総合会社が用意した倉庫の中の模擬街で行われる。

 真希たちの闘いには、マットもコーナーも用意されていないのだから、至極当たり前の事と言える。

 その代わり、トレーニング場での爆発音や射撃音でいちいち警察に通報されてはたまったものではない。

 「善良なる一般市民」からの通報があれば、警察は異常のあった場所に顔を覗かせる。

 だからこの模擬街のセットされた倉庫は、街の外れにあった。

 それを可能にする津久見警備総合会社は、得体の知れない部分が多分にあった。

 もちろんその津久見警備総合会社に雇われる李冬龍の素性もしかりだった。


 真希は、李のがっちりした顎の上にある細い目をさらに細くしながら、稽古の合間に話してくれる思い出話や、時折ジョーク混じりの格言もどきが好きだった。

 「ゲス人間の攻撃パターンは読みやすい」と彼が言った時には、少し前に街の不良相手に自分の力を引き上げていた頃の事を思い出した。

「金持ちは金を浪費しない、武闘家は注意力を浪費しない。」

 なる程と、素直に頷いた。


 真希は昔話の中では特に、「子どもは無限の可能性を秘めている、だから今、努力の出し惜しみはするな。」と諭す李の保護者だった祖父と、李少年の会話が、好きだった。

 この時、李少年は祖父に対して、「今何にでもなれるということは大人になったら、一つのものにしかなれないという事の裏返しなんだろう。」と言って祖父を困らせたという。

 真希が知る限り、李は人の揚げ足を取ったりする行為から最も無縁な男だ。

 恐らく彼の少年時代だってそうだろう。

 多分、李少年は本気でそう考えて、彼の大人になってから「たった一つなれるもの」について、真剣に悩んでいたに違いない。


「で結局、少年にとって一番わかりやすいものを選んだんだ、、そうだね、それは世界で一番強い男になる事だったんだよ。」

 こんな事を語る時に見せる李の深い笑顔に、惚れない女はいないだろうと真希は思う。

 だが残念な事に、そんな一瞬の機会に恵まれる女性も、ほとんどいないに違いない。

 師範李は、普通の女性が入り込めない世界に生きている男でもあるからだ。



 李がどんどんこちらに近づいてくる。

 こちらがアクションを起こさねば、彼に倒されてしまうのは目に見えていた。

 もちろん海が煌紫に与えられた能力を全開にすればそれは避けられるが、それではトレーニングの意味がない。

 間合いを見きるために、お互いが睨み合って動かないなんて大嘘だ。

 真希のトレーニング用シューズが、ジャンプの力を求め地面にこすり込まれて嫌な音をたてる。

 真希は両手首に仕込んだ飛び出しシースから、細身のナイフを振り出して構えた。

 李との体格差を埋めるにはこれしかない。

 ナイフは一番最初に李に教えてもらった武器だ。


「非力な人間は武器を使うべきだよ。違うかい。命のやり取りなんだ、メンツは関係ない。」

 李の導入はそんな風に、いつも素敵だった。

 やや、うつむき加減の李の目が真希を睨む。

 既に李のスィッチが入っているのが判る。

 スィッチの入った李は恐怖の固まりだ。

 彼は手加減しない。


 勿論、最後までということではない。

 そんなことになれば「最強の男」である李のトレーニングを受けるものは必ず殺されてしまう。

 だがこのトレーニングで実際、真希は何度でも「死んで」いる。

 李は最後の止めを物理的にささないだけで「気」は動いているのだ。

 李の「気」が身体を貫通した時、本当に自分が殺されたのが判る。


『ナイフは腰だめにして、全身で相手にぶつかって行け。それがもっとも有効な捨て身のアプローチだ。』

 そんな、つまらない蘊蓄を思い出す。

 しかし李を相手に、そのような事をすれば、自分から柔らかい喉をさらけ出すようなものだ。

 真希は右手に持ったナイフを李に突き込んでフェィントをかけ、空いた左手の出番を待つ事にした。


 李の受けは、変幻自在だ、先を読む事は出来ない。

 こちらも彼に合わせていくしかない。

 今日の李は、真希が突きだしたナイフを避けず、彼の懐の中に呼び込み、真希の右腕ごと確保してしまった。

 真希の右半身の動きは封じられてしまったが、左腕はまだ生きている。

 左手のナイフを逆手に握りなおして李の背中か脇腹に、、、、そう思った時、パニックが真希を襲った。

 さっきまでしっかり握りしめていた筈の左手のナイフが消失している。

 いつナイフを奪われたのか、記憶にさえないのだ。

 コンマ何秒の世界で、真希は李にアタックをかけたのに、、。


「どうかしたのか?真希。これでは準備体操にもならないよ。」

 李が真希の腕を押さえ込んだまま、耳元でそう囁いた。

 真希は羞恥の為に赤面した。

 そしてあろう事か、真希は空いた手を無意識にグーに握り子どものように李の身体を打ち始めたのだ。


 海の戦闘方法は全て我流だった。

 己が得た身体能力を意識して相手に振るうときは、それなりの構えが出来たが、今は勝手が違う。

 相手は熟達の技能者で、しかも己の能力を封印せねばならないのだ。

 我流の型はバラバラになってしまう。

 つまり李のような人間には、海はまったく通用しない。


 そんな真希の態度に李の怒りが爆発して、真希は2メートル程、彼に投げ飛ばされてしまった。

 コンクリートの道路に猫のように着地出来たのが、真希のせめてもの慰めだった。

 真希は、総てを放棄して、歩道に座り込んだ。

 もうどうでもいい気分だった。

 煌紫のくれた力で十分だ。

 自分はこういうモノには慣れない。

 元をただせば、只の美大生なのだ。

 忘れかけていた現実認識が急激に海を苛んだ。




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