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異蟲界、倒錯の知的パラシートゥス  作者: Ann Noraaile
第2章 パラシートゥス 虫たちの世界
19/67

19:  犠牲者候補


 『妹を折檻するために、その衣服をひんむき、妹の手を後ろ手にしてロープで緊縛する兄。折檻と称されて、兄に乳房を鷲掴みに揉まれ、乳首をひねりつまみ上げられる妹。妹はそれでも、自分を背後から責める兄の股間を、手首を縛られた手で、ズボンの上から愛撫した。』

 夜の歩道の水銀灯の光でも、この程度の文字を読むには、海にとって充分過ぎる光量だった。


 ・・・これのどこが(新しい)文学と言うんだ。

 只の官能小説じゃないか。

 それにコイツは本物の変態だ。

 等々力達と一緒に、姉や真希を痛めつけ、その苦しみに喘ぐ姿をポラロイドで撮影し、彼女たちに見せつけていたのがコイツだ。


 ・・・海は日本平の脚本集を閉じてバックパックに仕舞うと、それを背中に背負った。

 日本平悠木、新進気鋭の脚本家にして日本の高名なバレエダンサーでもある男、愛称はニッペイ。

 11歳でバレエを始め、高校2年で美英国ロイヤルバレエ学校に留学。

 翌1年後のホーザンヌ国際バレエコンクールで、日本人初の金賞を受賞し、その演技が絶賛される。

 同年、美英国ロイヤル・バレエ団に東洋人として初めて入団し、バレエ団最年少でソリストに昇進。

 4年後、プリンシパルに昇格。

 滞空時間の長い跳躍と、切れ味の鋭い回転を持ち味として、現在においても『ドン・キホーテ』のバジル役を始め、数々の名演を残す。

 ロイヤル・バレエ団からの退団・独立後は、自らJsバレエカンパニーを創立。

 以来、国内外で活動を続ける傍ら、同カンパニーの芸術監督としてプロデュース・演出・振付なども手がける。

 近年には、俳優として映画『パッション』に主演、日本アカデミー賞を受賞。

 現在では脚本家としても注目されている。


 日本平は、自宅から離れた劇場でステージがある場合は、劇場近くの郊外にウィークリーマンションを借り、そこから毎日、劇場へジョギングで通う事で有名だった。

 距離は日本平の速度で小一時間程度、、それ自体は驚愕を誘うようなものではないが、彼のこなしている仕事量から考えて、車で通えば数十分ですむ所を、わざわざジョギングするという、その時間のかけ方、贅沢さが不思議がられていたのである。

 一説では、日本平の睡眠時間は、かのナポレオンより少ないのではないかとも言われていたし、口の悪い連中は「奴は鮫のようにいつも泳いでいないと死んでしまうのさ」と言った。

 おそらく日本平は、この国で一番忙しい男の内の一人に違いなかった。

 その日本平が、海の真正面に見る道路向こうの歩道をジョギングスーツ姿で走り去るのを確認してから、海は走り始めた。


 今夜で七回目の追跡である。

 襲撃ポイントも、ほぼ割り出していた。

 彼のジョギングコースの途中には、二本の主要国道と一本の県道が交差する地点があって、そこではそれぞれの歩道も地下に潜り、お互いが交わる事になる。

 結果、そこは迷路のような地下道交差点になっていた。

 その地下交差路が絶好の襲撃ポイントになる。

 日中でも利用率は低く、夜中には人気が絶えるため、本来、この地下道を利用するのが便利な人間でさえ危険を感じ、その利用を避けるという悪循環に陥っていた場所である。

 しかし日本平は、平然と、この地下道を使う。

 彼は己の身体能力の高さに強い自信を持っていたからだ。

 暴漢に遭遇したとしても、走って逃げ去ることも、戦って相手を打ち倒すことも、もっと言うなら銃で撃たれても再び立ち上がり戦いを挑む事も、彼には可能だったからである。


 8車線分の道幅を持つ国道を挟んで平行する2本の歩道の反対側を走りながら、海の目は日本平のスリムだが筋肉質な背中を捕捉し続けている。

 日本平が、海の追尾に気が付いているかどうかは判らない。

 いや、例え判っていたとしても、日本平はその事で特別な反応を見せなかっただろう。

 彼には自分の身に起こるあらゆる災難を、その身一つで退ける自信があったからだ。

 煌紫に言わせると、それが彼らキ一種のメンタル面での特質なのだという。


 確かに、等々力寛治もそうだった。

 等々力がいとも簡単に海の作戦にはまり、挙げ句の果てに海に投げ込まれたのは、ひとえにその自信過剰さ故の事だった。

 たしかに人間を相手にしている限り、彼らのその身体能力は無敵と言えるだろう。

 煌紫の力を借りて、自分の身体改造を続けた海でさえ、ヒトデなどが見せるような再生能力を持ち得ないのに対し、彼らは片脚を付け根から切断されても、それを元に復元できる程の能力を持っているらしい。


 海は何の苦もなく日本平を走って追尾する事が出来る、、しかしそれ以上に、日本平は自分のジョギングに、指を曲げる程の負荷も感じていないのだ。

 ジョギングは、日本平が見せる「人間」としてのポーズにしか過ぎない。

 彼が本気を出して走ったら、今の海でも追いつけるのかどうか、、。


「奴は俺の尾行に気が付いているんだろうか?」

 海は走りながら煌紫に問いかける。

『いくら海が、つかず離れずの状態で慎重にやっていても、毎晩自分の後を走って付いてくる人間に、気が付かないという事はないだろう。しかも仲間の一人が殺されているんだ。それなりに周囲を警戒していてもおかしくはない、、のだろうが、、。』

 海の問いかけに、煌紫が歯切れの悪い応えを返す。

 それにしても最近は、煌紫の海の呼びかけへの反応が早まっている。

 今の煌紫は、海が喋りたいと思った時に「遅れ」なしに現れる。

 等々力の共食いによる死は、煌紫にも影響を与えていたのだ。

 ネットワーク存在を自慢する煌紫でも、今回はこの共食いへの対処の為に、「自分の身体」で移動し見聞きする事が迫られていた。

 つまり海の身体が必要なのだ。


『彼らは自分に対する攻撃にきわめて鈍感だ。自分が一番強いと思いこんでいるからね、、。だから尾行には気が付いていても、それを問題視はしていないだろう。しかし海・・君はまだ復讐を諦めていないのか?等々力の件で君は一体、何を学んだのだ?』

「確かめてみたいんだ、、本当の自分の心をね。完全に復讐が可能な状態に自分を置いてみて、その時、今の俺の心がどう動くのか見てみたい。それに煌紫が心配してる、次の共食いの犠牲者候補は、日本平の可能性が高いんだろ?一石二鳥じゃないか。俺が日本平を先に殺せば、結果的に共食いは防げる。」

 煌紫は海のこの言葉に再び沈黙し、海はただひたすら、日本平の背中を追った。



 日本平が問題の地下道に入った時、海はその後を追いかけるようにして走る影が、自分以外にもう一体いた事を見落としていた。

 いや、それを見落としていたのは、海だけではなく、日本平もだった。

 日本平の場合は、数分前、自分の前を正面に通り過ぎたオートバイのライダーが、数十メートル後方でバイクを止め、今度は自分の脚で彼を追いかけて来た事に気が付いていなかったのだ。

 あながちそれは、彼の「外敵に対する注意力散漫」という特性だけに理由を、求められるものではなかった。

 それだけ、そのライダーの行動が、秘めやかだったという事だろう。


 海は日本平と地下道の中での遭遇を果たすべく、走る速度を上げた。

 そこで日本平と事を構えることになるのかどうか、煌紫に言ったように、その時の気分次第だと思った。

 この第二の男への復讐準備は、等々力の時と違って、遊の姿は借りず総て海自身が行っている。

 等々力のケースとは、総てがまったく逆だった。

 実際に復讐を行ってみて、姉の遊は決してこのような形での復讐を望まないだろうと理解出来たからだ。

 血を持って復讐するのなら、あらゆる心の汚濁を飲み込んで、海自身がそれをなすべきなのだと。





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