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異蟲界、倒錯の知的パラシートゥス  作者: Ann Noraaile
第2章 パラシートゥス 虫たちの世界
16/67

16: 線虫の欲望


 比留間が、同僚達に『もう一度、遺体を見たい』と言い出して、保管室に入ったのが午後九時だった。

 比留間は低温に保たれている四角い棺型のロッカーを引き出す。

 等々力の遺体を検死台の上に載せかえる積もりもないらしく、痩せた身をかがめて、そのまま等々力の身体を検分し始めた。

 あり得ない事だが、この死体は、比留間ら職員の与り知らぬ何処かの上層部の意向によって、司法解剖から行政解剖へと判断が曲折し、更にここに来て、その解剖さえも延期になっている。


「・・・やはりな。どうも奇妙だと思ったんだよ。」

 はっきりとした独り言を喋るのが、比留間の癖だった。

 ただし、さすがに他人に聞かれては、まずい独り言は自然に制御しているようで、彼の同僚達は、彼のどれが独り言で、どこまでが普通の会話なのか、よく判っていないようだった。

 同僚から言わせると、比留間は、いわゆる世間一般で言う「奇人」だった。


「海水で逃げ道を失ったんだな。宿主が死にかけで、しかも海に落ちるなんていう状況だったんだ、無理もないよな。」

 この独り言の癖が出始めたのは、比留間がその身体を知的パラシートゥスに乗っ取られてからである。

 比留間は、背骨が腹部で折れ、くの字に大きく曲がった死体の肌を撫でた。

 観光フェリーのスクリューに巻き込まれて、この程度の損傷で終わる等という事はあり得ない事だ。

 同僚達の中には、既に発表されている死因自体がおかしくて、その辻褄を合わせる為に解剖が中止になったのではないかと言う者もいたが、それ以外に、奇妙な部分が山ほどある死体だった。

「しかし、うまそうだ。良い匂いがしてたもんな。」

 比留間は、この死体の解剖前の検分を終えてから、ずっと感じていた自分の中に生じた奇妙な感覚を今ようやく理解した。

 それは「食欲」だったのだ。


 比留間の「通常の食欲」は、宿主経由で満たされている。

 だから混乱したのだ。

 今、比留間は寄生虫本来の存在としての食欲を、目の前の死体の中に仮死状態で潜んでいるモノに対して感じているのだ。

 もちろん比留間は、その食欲自体が、種いや、属にとっての許されざる非常に大きなタブーであることも知っている。

 だがこのご馳走は、自らを仮死状態にした事によって、極めて美味しそうな匂いを周囲に放っていたのだ。

 この匂いを間近で嗅いで、我慢できる同種はいるのだろうかと比留間は思った。

 そしてこの匂いの虜になった比留間は、例の「タブー」の大きさが、何に比例しているのか?その大体の見当が付いていた。


 皮肉な事に、それはこの食べ物の美味さに比例する筈だった。

 食べれば、とてつもなく甘い筈だ。

 人間どもがかって、悪魔に騙されて食らったという知恵の実よりずっと甘くて美味しい食べ物。

 等々力の右胸下のあばら骨は、スクリューかなにかにひっかけられて何本か欠損しており、そこからむき出しの破れた肺胞が見えている。

 いい匂いは、その背嚢の奥から漂ってくる。


 非常に上手く肺胞の一部に擬態しているのが賢い。

 しかも自分の身体を縮め変形させ、硬化さえやってのけている。

 何処から見てもオオムカデには見えない。

 硬化は、なんらかの危機状態に陥った時の反応なのだろうが、この擬態は別だ。

 おそらくこいつは、こういった検死の可能性まで考えたのだろう。

 もし、心臓や、胃などに擬態したらすぐに発見される。


 それでも奴らは、そんな非常時には、己の情報をミクロの矢に詰め込んで、自分をのぞき込んで来る相手に撃ち込む事があると聞いたが、、。

 こいつはそういう状況にも自分を持ち込めず仕方なしに、細々と延命を続ける為に、肺胞の奥にその身を潜めたってわけだ。

 一体、誰と争ったんだ?

 それは、こいつの首に細い鋭利な針のような金属棒を差し込んだ相手か?

 相手が人間なら、そいつに乗り移ってしまえば手っ取り早かった筈なのだが、、。

 誰が見ても判るような、争った形跡を示す検分所見が握りつぶされ、「正式に」単なる自殺と改竄されている、、、そういう相手なのか?

 そうではなくて、隠蔽すべきは、この死体自体、あるいはこの死体がやって来た行為なのか?

 しかし比留間の同属への関心は、それ以上続かなかった。


「海水に弱いなんて、第二位知見体が聞いてあきれるぜ。それでも海流に流されもせず、次の寄生のチャンスを得るために、船にしがみついていた根性だけは褒めてやるがね。しかも力尽きてスクリューに巻き込まれても、この程度で済ませている。大した体力だぜ。」

 比留間が又、独り言を言った。


 勿論、今度のものは、周りに人間がいる時には絶対に口にしない独り言だ。

 比留間は手術用のゴム手袋もつけず、その手を等々力の肺胞の中に突っ込んだ。

 後のことなど、どうでも良かった。

 こいつを喰えるなら、何がどうなっても良い。

 いざとなれば、宿主を乗り換えればすむことだ。

 適合する宿主は限られているが、宿主リストは作ってある。


 それに等々力の死に関しては、総ての事が闇から闇へ葬られるように、人間達や第二知見達が裏で動いているようだったから、この死体荒らしも、問題視される事はないはずだった。

 比留間は、なんの躊躇いもなく、肺胞の一部に擬態した仮死状態のその固まりを、等々力の死体からズルリと引き出すと、それに牙を立てるようにかぶりついた。



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