笑顔に出会う方法[2]
「まず、誤解を解いておくとですね」
倖氏さんは、また少し笑い出しそうになりながら言った。
「義高様は神様でもなんでもありませんよ。れっきとした人間です。」
それを聞いて、姫はちょっと気が抜けてしまった。
だって、あんまり深刻そうに「知りたいですか」なんて倖氏さんが聞くんだもの。
絶対、義高様は神様とか仏様とかそーゆーのだと思ったの。
でも、よかった。
義高様も、姫と同じ人間。
なら、ずっと一緒にいられるものね。
お話の中では、神様や仏様は長く長く生きるから、人とは一時しか交わらなくて、いつも悲しい結末で終わるもの。
姫がホッと息をついて、再び倖氏さんの方に目を向けると、
倖氏さんは、また笑い出してしまっていた。
さっきみたいに転げ回ってはいないけれど、バシバシと手で膝を叩いて、アハハハと笑い声を上げていた。
これは本格的に重い病気かもしれない。
姫が恐る恐る様子を窺っていると、
倖氏さんは何とか笑うのを止めて、
「いや、まさか…っ、本当にっ、義高様神様説を心配しておられたんだなぁと思いまして、」
と言った。
だから、それでどうして笑うのだろう?
姫は最初から、そう問うたのに。
「ああ、すいません。姫があまりにもかわいらしいもので、ついっ、」
かわいらしいと笑うのかしら? 変なの。
鎌倉では、そんな人はいないのだけど、木曾にはたくさんいるのかな?
「ま、とにかく。義高様は人間ですから、安心してください。」
そう。
「本当に神様とかではないのね?」
「ええ。それは、義高様と共に育った、この倖氏が保証しますよ。」
そっか。
そうなのね。
でも、
なら、どうして―――
「ならばどうして、義高様はああも完璧でいらっしゃるのか…ですが、」
倖氏さんは姫が思っていたことを言い当てるように言葉を被せて、語り出した。
「姫は義高様の父上、義仲様と姫の父上、頼朝様がケンカなさっていたことをご存じですか?」
姫はそれにブンブンと首を横に振る。
そんな事、姫は知らない。
だって、義高様のお話の中に義仲様って名前が出てきたことはあった。
でも、それはいつも、温かいお父様との思い出で。
ケンカなんて、そんな話、一度もしてくださらなかったもの。
侍女は誰もそんな事は話さないし。
お父様もお母様も、義高様は“姫のお婿さん”だとしかおっしゃらなかったわ。
それが、ケンカ―――?
「なんで? どうして? そんな悲しい事するの。」
「それは…まぁ、勢力争いってヤツでして……この世の常ですね。」
勢力争い…?
それって……
「それって、もしかして、姫のお父様と義高様のお父様で戦をしていたってこと…?」
「まぁ…そうなりますね。」
倖氏さんはアッサリ頷いた。
ちょっと待って。
おかしいわ。
“戦”って確か、とても恐ろしいことのはずよ。
だって、それは相手を殺すためにするって本にあった。
自分が死ぬ覚悟でするものだって、お父様も前に漏らしてらしたわ。
なら、どうして―?
「…どうして…義高様はここにいるの……?」
闘って殺すつもりの子供が、どうして殺される所に呼ばれたりするの?
「ですから、お二人がケンカされていたのは少し前までの話でして…」
「じゃあっ、じゃあ今はもう仲良しなのね?」
姫は何か得体のしれない恐ろしいものを手にしてしまいそうで、勢い込んで倖氏さんに詰め寄った。
だって…
だって、そうじゃなきゃ、おかしいもの。
だってそうじゃなきゃ、義高様が姫のお婿さんになったりするはずがない。
倖氏さんは何やらじっと考えて込んでいたけれど、
「そう、ですね。」
ゆっくりと口を開いて、
「仲良し…というか、…はい。まぁ、和解なされたわけですから、そう受け取ってもらっても間違いじゃないですね。」
姫の問いに肯定で返してくれた。
だから姫は、ホッとしたのだけれど、
「ただし」
倖氏さんは、こう付け足した。
「平氏という共通の敵が現れたから結ばれた、一時できなものです」、と。
その言葉に、姫の中で再び嫌なモヤモヤが生まれて、
そして、
「つまり、いつまたケンカを始めてもおかしくないのです。」
その言葉に背筋が凍った。
だって、
だってそれじゃあ、義高様は……
「義高様はどうなるの?」
義高様のお父様と姫のお父様がまたケンカするような事になったら、
ここにいる義高様はどうなってしまうの?
「おそらく…、私も含め、殺されるでしょう。」
殺される……?
義高様が?
誰に…?
姫の、お父様……?
「姫のお父様に…義高様が、殺されるっていうの?」
「はい。」
倖氏さんは、もう笑ってはいなかった。
その目が見つめるのは、自分では如何ともし難い、死の選択。
そこに宿るのは、銅のように重くて暗い、いつも義高様にみていたものと同じ眼。
姫はいつの間にか震えていた。
季節は春で、桜はあんなに咲き誇っているのに、こんなにも寒い。
ああ、そうか。
あの、義高様と初めてお会いしたあの時、
義高様は『これ』を見てらっしゃったのね?
「でも、でも…もう…義高様は……姫の“お婿さん”なのに…?」
唇が震えてうまく喋れない。
「それは、建前です。」
「たてまえ…?」
いやにハッキリと幸氏さんの声が耳に響く。
「そうです。本当は、義高様は義仲様が裏切ることのないよう人質として」
これは何?
悪い夢?
「人質として、この鎌倉へ招かれたのです。」
頭がガンガンする。
声が響く。
―――〝人質として〟―――
人質。人質。人死ち。人じ血。ひとじち。ヒトジチ。ヒトジチ。ヒトジチ……
ああ、寒い。どうしてこんなに寒いのだろう。
気が付けば、姫はふらふらと歩き出していた。
「義高様……どこ………?」
そうなの、おかしい。
そんなはず、ないもの。
義高様は、姫の“お婿さん”なんだもの。
義高様は、姫とずっとず~っと一緒にいて、
義高様は、姫とずっと一緒に笑ったり悩んだり泣いたりするのよ。
だから、いなくなっちゃダメなんだもの。
だから…義高様に確認しなくちゃ。
義高様は――…
「大姫様っ!!!」
急に名を呼ばれ、
それが姫であるのにしばらく判らずに、
のろのろと声のした方を見て、
夕暮れ時を映した、真っ赤な桜が目に入って、
それは、いつか見た庭の桜で、
あの時は、凄く綺麗だと思ったのに、
どうしたんだろう…
どうしてしまったんだろう。
それが血を吸ってできた緋桜に視えて、
涙が止まらなくて、
「大姫様っ?! どうされたのですか? お部屋におられなかったので、またどこかで倒れられたのではと―」
意外に近くで聞こえた人の声に気づくのが遅れて、
その声が義高様のものだと理解するのに遅れて、
理解した時には、疑問が勝手に口を衝いて出た。
「義高様は…義高様は姫を置いていなくなったりしないわよね……?」
それに、その内容に、義高様は顔をしかめて、ただ戸惑うふうでいらっしゃったけど、
「義高様は……義高様は、人質なんかじゃないわよね…?」
その言葉に、ハッとなって目を見開かれたから、
姫は、わかりたくないけど、わかってしまった。
倖氏さんの言っていたことは本当に本当なのね。
義高様は人質で、
義高様はいつか死ぬためにここにいて、
だから姫を見てくださらなかったのね。
姫の前で笑ってくださらなかったのね。
お父様の娘だから。
ごめんなさい。
姫だけが何も知らなかった。
姫だけが何も知らなくて、
「ごめんなさい……義高様…」
霞んでいく思考の中でそれだけ呟くと、姫の視界は暗い闇に覆い尽くされた。




