義高様はお人形?[5]
目が覚めると風が冷たかった。
頭の奥がぼうっとする。
額に手を当てると何かが触れた。
少し触って、持ち上げて、
すぐにそれが見知った濡れ布であることを悟る。
ああ。そうか。
姫は熱があったんだ。
すっかり忘れていた。
義高様の事で舞い上がっていたから。
それなのに、あんなにたくさん走ったから熱が上がったのね。
でも、
それはだって、
…義高様の目がお人形のようだったから。
思い出すとまた涙がにじむ。
「あ。気が付かれましたか、姫」
世話をしてくれていたのだろう。
侍女が話しかけてくれたけれど、姫はうなずくことしかできなかった。
声を出したら、嗚咽に変わってしまいそうで。
侍女は暗かったから、そんな姫の表情まで察することはできなかったみたいで、
「ようございましたわ。倒れられた時はお熱がかなりおありになって、意識も朦朧としていらっしゃいましたもの。」
心底ホッとしたように言った。
「政子さまなど宴の始まるギリギリまで、ここで姫の手を握っていらしたほどで…」
ああ、そうだった…今日は、宴。
義高様を歓迎する宴。
そう言われてみれば、耳に小さく人々の声や楽器の音色が聞こえてくる。
「頼朝様も居間にいらしても落ち着かなくて、何度も私たちに姫のご様子をお聞きになり、」
隣を見る。
そこには、姫の「お婿さん」になる義高様の褥が敷いてあって。
でも、その褥は空っぽで。
だけど、それは当たり前。
「義高様にいたっては、」
だて、今夜は義高様の歓迎の宴。
今頃、幸氏さんと共に宴に出席されて――
「義高様にいたっては、ほら、そこの御簾の向こうの廊下に」
――え?
「なんでも、歓待の宴をこっそりと抜け出して来られたのだそうで…」
――ええ?
それは…マズイのではないの?
何とはなしに聞いていた侍女の言葉が初めて耳に入る。
だって、今夜は義高様の歓待の宴で。
つまりは義高様のために開かれた宴で。
それなのに抜け出すなんて――
でも、侍女の言う“御簾の向こうの廊下”には、確かに誰かの背中があって、
その背格好にも確かに見覚えがあって、
…ってことは、
…ってことは本当に、
「よ、義高様…?」
御簾ごしの、その背中に向かって恐る恐る問いかける。
すると返ってきたのは、やっぱり聞き覚えのある声で…
「木曾の桜の方が綺麗です。」
その呟きは間違いなく義高様の声で。
でも言っている意味がよくわからなくて―…
「え…と?」
何のことかと聞こうとしたら、
「木曾の桜の方が綺麗です、と申し上げました。」
今度はさっきよりもハッキリとした声音が返ってきた。
サクラが…キレイ……?
ぼんやりとした頭でしばらく考えて、やっと思い出した。
確か走って義高様の前から姿を消す前に姫が言ったのだ。
――〝庭で見た桜が満開でとても綺麗だったんです〟――
あのお返事を、今くださったんだわ!
それがわかって、姫はとても嬉しくなって、
褥から跳ね起きて、
「あっ、…姫っ、まだお熱が…っ」
侍女の制止よりも、体のだるさよりも、嬉しさの方が大きくて、
御簾を跳ね上げるように廊下に出て、義高様に微笑みかけた。
「“木曾”ってどこですか?」
義高様は桜を見たままで、笑ってはくださらなかったけど、
「木曾は私の故郷です。」
たくさん話してくださった。
木曾の桜のこと。
「木曾の桜は、天井桜と呼ばれています。」
「木曾の桜は本当に空を埋めるように遠く高くたくさん咲き乱れます。」
「そして…、散る時は雨や雪のように、その花びらを散らせます。」
「どこまでも艶やかに咲き、そして潔く散るのです。」
「……その美しさを見習えと、父上はよくおっしゃっていました。」
その一つ一つのお言葉が、姫には嬉しくて、大切で。
だって今、姫と義高さんは同じものを見ている。
庭の桜の木を通して、同じものを見ている。
点を白く染める、満開の桜たち。
散る時は一斉に吹き抜けて、雪や雨を創る。
そして、その美しさを義高様のお父様と見て話すの。
それはきっと、素敵で楽しい光景。
それを今、姫は義高様と一緒に見てる。
義高様の心はまだ姫を映してはくれないけれど、
義高様がどこにいるのか少しわかった気がするから…
姫は嬉しくて楽しくて、ずっと義高様の話を聞いていた。
義高様はお人形じゃなかった。
そうわかっただけで、胸にドキドキワクワクが満ちてくる。
「姫も、木曾の『天井桜』…見てみたいなぁ。」
義高様の話を聞きながら、そう思った。
義高様と同じものを、この目に映してみたい。
「うんっ、決めた! 姫も“木曾”へ行く!!」
張りきってそう言うと、
「それは難しいと思われますが。」
義高様にアッサリそう言われてしまったけれど、
姫はどうしても『天井桜』を見てみたくなっていたから、
「大丈夫よ。お母様だって、お父様のところへ、雨夜に駆け込んだんだものっ!」
そう力説してしまって、
言ってしまってから、
「いけないっ! これはお母様と忘れる約束をしたんだったわ。」
と思い出したんだけど、「今のは忘れてください」と言おうとしたのだけれど、その前になんだか姫の意識がだんだん遠のいていってしまって言うことができなかった。
でも、まどろむ意識の中で、義高様の声を微かに聞いた気がする。
――「その前に、こんなにパタパタ倒れるようじゃ、雨夜じゃなくても駆け込めないだろうが」って。
でもきっと夢ね。
幸せな夢。
だって、そう言った時の義高様はちゃんと姫を見て、少し寂しそうに、でも確かに笑いかけてくださっていたんだもの。




