表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/23

私の消える日[2]

それは冬。

とても寒い寒い冬。

暗い暗い月夜の中。

姫は熱に浮かされながら、ゆるゆると目を覚ます。

外にはシンシンと積もる雪と、

決して咲かない桜の木。

でも、姫は見たのよ。

その時、確かに見た。

その桜が咲くのを。

真っ白な花弁をつけるのを。

たくさん。

たくさん。

それは、あの日、義高様と見た桜に似て。

キラキラと輝いて見えて。

姫は褥を這い出す。

もう歩けない足を引き摺って、

廊下を渡り、

躓き転びながら庭へ、

雪の上へ膝をつく。

雪は不思議に冷たくなくて、

一面を白く輝き浮かび上がらせる。

まるで、いつか見た海のように。

天の光を反射して。

白く輝く。

耳には、詩。

〝あしひきの 山の雫に 妹待つと 我れ立ち濡れぬ 山の雫に〟

義高様の声で。

〝我を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山の雫に ならましものを〟

姫の声で。

だけど、

それを最初に読んだのは、

義高様だけど義高様じゃなくて、

姫だけど姫じゃない。

もうずっと昔々の古い記憶。

古の物語。

だから姫は伝えなかった。

義高様に黙っていたの。

姫の見る夢。

いつも見る夢。

いつも見る悲しい夢の話を。

それは、きっと義高様の夢の続き。

炎に巻かれて死んでしまった皇子様のお話。

そこでは、姫は姫じゃなくて、

姫は『石川郎女』と呼ばれていて、

その皇子様のことが大好きで、

周りの皆が皇子様を慕っていて、

とても幸せだったのよ。

だから気づくのが遅れた。

皇子様が側近に騙され、

血縁者に貶められ、

裏切り者と指さされて、

塵と果てるしかなくなっていたことに。

私は駆けた。

〝貴方がいなくなってしまう。〟

その知らせに必死で駆けた。

草履を履くのも忘れて、

裸足で、

足を血で汚しながら、

土の上をひたすら駆けたのよ。

でも間に合わなくて。

私が息を切らせて駆けつけた時、

そこには、もう白い灰しか残っていなかった。

それは木と人の、なれの果て。

貴方の消えた残骸。

風が吹く度に、脆く、いとも簡単に崩れ去っていく。

そんな悲しい夢。

そして目覚めるときに聞こえる、一首の詩。

それが、この詩だった。

「〝我を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山の雫に ならましものを〟」

だから姫は知っていた。

義高様の夢の話をお聞きしてから、ずっと。

〝ああ、この人が姫が探してた人なんだ〟って。

だから、わかってた。

きっと、この詩を返せば、義高様は思い出してくださる。

皇子様であった頃の自分を取り戻してくださる。

そしたら、もっと姫のことを見てくれる。

きっと、姫のことを好きになってくださる。

でも、

でもね。

それは同時に、姫が姫じゃなくなる瞬間。

義高様が義高様でなくなる瞬間。

『皇子様』と『石川郎女』の恋の続きになってしまう。

だから、姫は話さなかった。

夢のこと、最後まで黙っていようって決めたの。

姫は姫として「義高様」に見てほしかった。

「姫」は「義高様」と恋がしたかった。

「義高様」に『石川郎女』ではなく、「姫」を好きになってほしかった。

だから、

―――だまっていた。

―――最後の瞬間まで。

ごめんなさい。

「ごめんなさい…義高様……」

でも、姫は後悔していない。

これで良かったって思っているの。

だって、

「義高様は、ちゃんと姫を見てくれた…」

「義高様と姫とで笑って悩んで泣いて…」

だから、姫はこれで良かったって思ってる。

「義高様と過ごした日々は、姫の宝物…」

今も色褪せることなく輝き続ける。

幸せな日々。

だから、

「ありがとう…義高様。」

姫を姫のままで好きでいてくれて。

だけどもう、終わらなくっちゃ。

姫の姫としての人生もここで終わり。

姫にはわかるの。

だって、こんなにも眠い。

瞼が銅のように重い。

だから、閉じなくちゃ。

でも、

でもね。

怖くはないの。

だって、目を閉じれば、瞼の裏にあの日の空と海が見える。

きっと、あの広大な海と、

高い空の向こうに、

貴方が待っていてくれると信じているから、

だから姫は、

「逝かなくちゃ…」

瞼を閉じる。

雪がシンシンと舞い降りる。


その時、建久8年7月14日。

咲かない桜が新たな蕾をつけようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ