第97話 氷の魔宮
お久しぶりです。
ちょっと仕事が異様に忙しく、再開がこんな時期になってしまいました。
断筆はしませんのでまた不定期に更新していきます。
◆第三者視点 天馬白月国◆
天馬白月国の南東。南に峻険で永久凍土を有する白壁山脈。東に白き月の遺跡を抱える瘴気の森。これらの交わる地に、名もなき古城は佇んでいた。
長らく主の不在が続いた城は、しかしここ暫く過去に類を見ない程の盛況さを見せていた。
魔女見習いリディも、初めて訪れる城下の様子に半ば呆然としながら雑踏に立ち尽くしていたひとりだった。
「ほら、リディ。往来の真ん中で立ち止まると危ないわ。先にお城にご挨拶に行きましょう」
声に視線を向けると、毛織物のケープを羽織った上品な老女が、たおやかに微笑んでいる。リディの師である魔女・ルイーゼだ。
ルイーゼはリディと目が合うと尚更嬉しそうに笑みを深め、リディの手を取って歩き出す。
「‥‥子供じゃないんですよ」
「あら? リディは今年14でしょう。私からすれば、まだまだ手の掛かる弟子だわ」
まるで孫の世話を焼きたがる老婆のようだ。仕草は優雅で、決して力強くも素早くもないのに何故か抗いがたい。
(――本当は、来るつもりじゃなかったのに)
古城、鍵屋一党の拠点に。何より鍵音に、合わせる顔がなかった。
鍵音の誘拐騒動から続いた“病の王“の軍勢との会戦と、その結果として一党の党首である柊克也が失踪したという情報は、総督府の浄化再興庁に関わる人間には速やかに通達されていた。
曰く、“党首不在の為、鍵屋一党の一切の派遣を禁じる“と。
これは総督府で陣頭指揮を執るドミニクが切った苦渋の決断であり、鍵屋一党がこれ以上総督府離れを起こさないように引き留める最後の手段でもあった。
以来、鍵屋一行は拠点であるこの南の古城から外に出ていない。訪れる者は拒まないが、自発的な接触を一切絶って引きこもっているのだった。
にも関わらず、近年まれに見る規模の魔物の行軍を退け、無差別の癒やしを施す鍵屋の噂は国中に広まり人々がひっきりなしに訪れている。
この城外の市や露店も、ただの荒れ地だった場所に集まった人々が勝手に建てて生まれた代物だった。急造な為に造りは粗いし見た目も汚いが、活気だけはこの国に溢れる倦み疲れた静けさとは真逆の熱に満ちていた。
古城に行けば何かが変わるかもしれない――。
それは、この国の閉塞した空気に永く抑圧されてきた人々にもたらされた一条の蜘蛛の糸なのだ。
雑多に混み合う市場を抜けた時の事だった。
ルイーゼとリディの2人は厚みを増した人垣に行く手を遮られ、顔を見合わせた。
(――変だ。この先は城内に続く跳ね橋があるだけのはずなのに)
鍵屋一党は城下町にほとんどルールらしいルールを設けてはいないが、一つだけ絶対遵守の一線がある。
それは、『断りなく城内に立ち入らない事』。
商売の面会や一党への入党志願、城下の待遇改善を訴える談判。その何れであったとしても、無断で城内に立ち入った者には――。
「ええい! 何をしている、奴らの手勢は僅かだ! 同時に攻め入れば‥‥」
人垣の隙間からリディが僅かに覗き見られたのは、薄汚れた屈強な戦士達。
そして、それらが次の瞬間、城内から押し寄せた薄青く輝く氷の波濤に飲み込まれて見えなくなる光景だった。
ざわざわとさざめく人垣の内から、ある言葉が呟かれる。
「‥‥罰だ」
「古城の女王を怒らせた罰だ」
「あの城に許しもなく立ち入った罰だ」
「‥‥氷の魔宮の、罰だ」
一掃された戦士たちの様子を恐れるでなく、嘲笑うでもなく。ただ淡々と、自らの心に言い含めるかのように呟かれる『罰』という言葉。
禁を犯した以上、そうなるのが当たり前だという、城下の人々と古城の中との隔絶。
それが無性に、リディには恐ろしかった。
しかし、繋いだ手は優しく彼女を離さない。顔を上げればルイーゼの優しげな瞳が有無を言わさぬ圧力で覗き込んでいた。
「‥‥やはり、一刻の猶予もありませんね。鍵音さんにお会いしなければ」
今の光景を目にしながら何故城内に入るなどと口に出来るのか。
(‥‥いや、本来鍵音さんに会って詫びなければならないのは、私なんだわ)
ルイーゼは本来、その付き添いとして来ているだけで何の責務もある訳ではない。
いや――恐らく、聞けば『弟子の不始末は師匠の責任だもの』などと口にするに違いない。このお節介な老魔女は、リディも鍵音も孫のように慈しんでいるのだから。
血のつながりもなく、己の出自すら嘘を重ねて面倒事に巻き込んだと言うのに。未だに身内としてこんなに親身になってくれる。それを思うとリディの胸は不思議に暖かく、落ち着かない気持ちにさせられる。
「‥‥行きましょう、お師匠様。今なら跳ね橋を渡れます」
目尻に浮かんだ涙の雫を瞬きで誤魔化し、リディは繋いでいない方の指先で古城の入り口を指し示す。
魔宮と呼ばれた古城の門は、不埒者を呑み込んだ蒼い氷の波濤も砕け、寒々とした口を虚空に開いて待ち受けている。
リディとルイーゼは手を取り合って、その門に脚を踏み入れた。




