第93話 道案内を雇いましょう
目が覚める。
「ここは‥‥」
弁髪の青年は寝具から起き上がると、ゆっくり辺りを見渡した。
身体を捻ると鋭い痛みが脇腹から背中に走る。よくよく確かめてみれば肩や背中もあちこち打撲の跡が残っている。
そこはいつも彼等――彼等は自身の事を“庖族“と名乗っていた――の寝起きする天幕だ。寝具も今朝まで自分が使っていた物に間違いない。
狐に摘ままれた気持ちで衝立を越えて天幕の中央に踏み出すと、見覚えのある連中が敷物の上座を占拠しているのが目に飛び込んできた。
「おう、しぶとく生きてやがったな。まあテメーも座りやがれ」
「貴様ッ‥‥何のつもりだ!」
紫の染め髪をした、線の細い性別不詳の子供である。忘れもしない己に一刀見舞った相手。それが一家団欒の場の、よりにもよって主人の座を踏みにじっている事に脳天まで真っ赤に沸き立った。
「おっと。ヘタな真似すんなよ」
だが、踏み出す機先を制される。
たった一挙動。外套から刀剣の柄頭を覗かせるだけの動作ではあったが、それだけで青年は己の不利を否が応でも思い知らされた。
だらしなく崩した体勢に見えて、染め髪の子供はいつでも抜き打ち出来るように腰を浮かせている。蹲踞だ。庖族も騎馬の修練や組み討ちで足腰を重視して鍛える一族である。あの体勢から一足で間合いを詰めて喉頸を撫で斬りに出来る事は見て取れた。
「いいから座れ」
今にも鯉口を切らんばかりの鋭い気迫が吹き付けてくる。生唾を呑んだ青年は、我知らず腰が引けた己を自覚して苦い物が胸に溜まるのを感じた。
(――負けは負けだ。草原の一戦で、己で認めたではないか)
腹を括って敷物に胡座をかく。
「‥‥バルアドだ」
「イズナだ。こっちは彩弥」
青年が名乗ると、ようやく少年も鞘に添えていた左手を外套から外に出す。
青年――バルアドが恭順の姿勢を見せた事で、天幕の中の空気が静まり、沙汰を待つ厳粛な物に変わる。
「わざわざテメーらを集めたのは他でもねェ。この中から一隊、オレ達に従ってナハル・アル・ハリーブまで行ってもらう」
この土地で知らぬ者のないオアシスの都市だ。犯罪者として衛兵に引き渡すつもりか、と問いかけると顔を歪められた。
「端金の為にそんな面倒しょってられるかよ。テメーらにやってもらうのは、北アラカル砂漠縦断の道案内と‥‥殴り込みの助っ人だ」
場が凍り付く。当然だ。バルアドも絶句せんばかりだったが、誰も口に出せないのを見て敢えて発言する。
「余所者にはわからんかもしれんが、北アラカルは大陸屈指の難所だ‥‥死にに行くような物だぞ。迂回して南アラカルを渡るべきだ」
諭すように説いたバルアドを、「いや、それじゃマズい」と少年は言下に切り捨てる。
「オレ達は人を追ってる。先行する相手と同じルートを使ってちゃあ追いつくに追いつけねェからな。奴らは今、ステップを東南に下って湖の街に向かってるらしい」
湖の街。西にあるナハル・アル・ハリーブ市と並ぶ貿易の拠点、マルジャーン・アズハル市だ。大陸最大の淡水湖フィヌースを南に臨む港湾都市である。
この金猿明星国全体の位置関係として、四方を山に囲まれた菱形の国土を持っており、そのほぼ中央に巨大な“命の水“フィヌース湖が広がっている。
先程から話題に挙がるアラカル砂漠は南北と呼び名で表されてはいるが、具体的には菱形の国土の北東から南西にかけて2つに分かれている。北の菱形の頂点を有する側が北アラカル砂漠であり、南の菱形の頂点を有する側が南アラカル砂漠となる。
2つの砂漠の違いは、“命の水“フィヌース湖に接しているか、という一点に尽きる。単純ではあるが、大規模な水辺には当然ながら植物も生え、生き物達も集まって来る。同じ砂漠とは言っても景観や環境の厳しさが異なるのである。
北アラカル砂漠は、その“命の水“に接する事のない、別名を“死の大地“とも呼ぶ過酷な土地であった。
確かにナハル・アル・ハリーブ市まで、このステップから南西に北アラカル砂漠を突っ切れば最短距離となる。安全な道を選び物資を補給する為にマルジャーン・アズハル市まで迂回した人物を追うなら先回り――もしくは待ち伏せも出来る事だろう。
納得したくはないが、少年がルートを選ぶ理由はわかった。次に気になる点をバルアドは口に出す。
「では、追う奴はどんな相手だ。何人いる」
少人数の商人相手程度なら、率いる同胞も少なくて済む。準備も旅装程度で片付くはずだ、とバルアドは考えた。
「人数はわからねェ。相手はローズマリー・ブラッドフィールド。手練れの騎士だ」
「‥‥待て、ローズマリー‥‥? 聞き覚えがある‥‥確か、異端審問で鳴らした教会騎士のはずだ! 冗談じゃない!! 教敵指定されたら大陸中に回状が廻るぞ!」
バルアドの発言に天幕中がさざめき出すのを、鋭い打突音が一手で押し黙らせた。
それは少年の傍らで静かに様子を見ていた楽師の娘のが持つ巨大なハンマーだった。草原で馬ごとバルアドの仲間を殴り倒した武器である。狭い室内で振るわれたその鉄塊の迫力に一同の顔から血の気が引く。
「‥‥回状が出回ろうが教会を敵にしようが、関係ないデスよ。やられたらやり返す。それだけデス」
言って、大の大人が数人掛かりでやっと持ち上げられるような鉄塊を無造作に手首のスナップだけで肩に担ぐ。
旅装を解いて露わになった娘の容姿は10人見れば10人が好意を抱く健康的で整った物だったが、今はストンと表情が抜け落ち、眼の光だけが爛々として凄みを帯びている。
「オマエたちも一緒デスよ。アタシたちに手を出した以上、報いは受けてもらいマス」
つまりこれは“今死ぬか/後で死ぬか“という選択を迫られているに等しい――と、バルアドは止まらない冷や汗の中でひとりごちた。
「あ、あの‥‥!」
そんな緊迫した空気を破ったのは、隅で小さくなっていた伝道師のスルガンであった。
「ええと‥‥よ、よくわからないのですが。イズナさんとアヤさんは、砂漠を越えてオアシスの街まで行かれるんですよね‥‥? ば、馬賊――ゴメンナサイっ! ホウ族の皆さんも、それについて行かれるみたいなんですが‥‥」
迂闊に蔑称を口にしてバルアド達に睨まれながら、スルガンはジリジリと敷物の上を膝立ちでにじり寄って来る。
「‥‥わたしの行き先は、東の碧鷲森星国なんですよね‥‥そっちに行くガイドさんとかは‥‥」
気の弱いくせにとんだ図太さである。
やや呆気にとられて白ける場に続いて響いたのは、腹の底に響く老爺の笑い声だった。
「震えるばかりの肝っ玉の小さな男かと思うたが、なかなかどうして。我の通し方はまだマシじゃったな」
言いながら、これも壁際で腕組みしながら瞑目していた白髪の老爺がイズナの前に腰を下ろす。
「袖振り合うも多少の縁と言うしの。儂も付き合うわい」
「そこの弁髪馬賊はビビってるが?」
「勝算はあるんじゃろ?」
飄々としたやり取りの末、老爺と少年はニヤリと笑い合う。
「あの‥‥で、わたしの件は。碧鷲森星国は‥‥」
懲りずに縋る先を探すスルガンに、「諦めぃ。儂が護ってやるからオアシスから南周りで行けば良かろう」と老爺が説得しながら有無を言わせぬ圧力をかける。
そんな様子を見ながら、バルアドも諦めがついた。
「‥‥わかった。ガイドと助っ人、受ける。ただ、残す面子と相談させてくれ」
これが自分達、庖族の末路となるかもしれない、とバルアドは苦い吐息をついた。
同じ死地でも、この場で彼らに挑んで勝ち残れる気は、全くしなかった。




