第80話 怠惰の欠片争奪戦2
「リディが喋れないのは、この首輪の、せい」
きぃは萎縮して震えるリディに歩み寄ると、指先で無骨な革製首輪をつついた。
「奴隷身分を示し、刻印と合わせて隷属を強いる道具ですものね。しかしだからこそ、このお嬢さんがヨナスさんの所有物であると言えるのでは?」
きぃの登場にも変わらないスマイルと堂々とした態度で場を仕切ろうとするローズマリーだったが、きぃは頭を振って「違う」と言下に切り捨てた。
「この首輪が示してるのは、リディがおじさんの所有物であるって事じゃ、ない。おじさんが、隷属魔術で、リディを拘束してるっていう状況証拠、だけ」
「それに違いがあると?」
ローズマリーの問いに、きぃは無言で頷いた。
「ホントの奴隷、は、隷属魔術と契約書が揃って、初めて世の中に認め、られる。リディは、契約書には縛られてない」
きぃが詳らかに論理を述べると、リディが涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら何度も頷いた。
「誰だって奴隷である事を誇らしいとは思わないでしょう。彼女もそうだと言うだけでは?」
「ねえ?」とローズマリーが振り返りながら水を向けると、ヨナスは曖昧に笑ってお茶を濁した。
だが、それをローズマリーは一顧だにしない。さも「彼も肯定しているでしょ?」という体でぶら下げ、一歩も引かない構えだ。
きぃはそんな堂々たる敵に対し、気怠げに嘆息する。
「もぉ‥‥めんど、くさい、なぁ‥‥!」
不意に、肌に痺れるような感覚。
俯きから一転、顔を上げたきぃの琥珀の目が、爛、と金色じみて燃え上がる。
「‥‥契約書が出せないのに、拘束だけして証言を縛ってるのがおかしいって、言ってるの。術と首輪だけで、一方的に奴隷に出来るって言うなら‥‥」
そう言って、きぃはローズマリーの真正面に踏み込んでその顔を睨み上げ、懐から真っ二つに千切れた首輪の残骸を鼻先に突きだして見せた。
「‥‥今すぐきぃの奴隷に、したげよっか‥‥?」
「‥‥ッ!!」
珍しく鬼気迫るきぃの台詞に、室内の空気は一気に緊迫する。
ローズマリーの笑みはきぃの気迫に吊られて兇相に歪み、最早中年男を手玉に取った澄ました面影が欠片もない。幾ら口角を上げようが目を細めようが、滲む熱が攻撃的な本質を般若の形で浮き彫りにするのだ。
一方僕らは、きぃが隷属の首輪を持っているという事そのものに爆発寸前だった。
それはつまり、きぃが監禁されている間に受けた扱いが隷属化するという手段であった事を意味する。
意に反して勝手に連れて行かれるだけでも腹に据えかねないのに。まして僕らの旗頭に首輪をつけて、ペットのように所有権を主張する? 許せる訳がない。
膨れ上がる怒気と殺意に、ヨナスは目に見えて狼狽した。助けを求めるようにローズマリーに小声で呼び掛けるが、全く相手にされずにジリジリと部屋の隅へにじって行く。
「随分と過激な発言ですけど、瀬埜宮先輩にそれが出来るとでも?」
「‥‥逆に聞くけど、出来ない、とでも?」
挑発的に煽るきぃの態度にも動じないローズマリーだったが、不意にきぃが首輪をぶら下げたままの手を無造作に延ばすと、弾かれたように距離を取った。
一拍遅れて、その形相が苦々しい慚愧に染まる。張っていた虚勢が破られた事を恥じたのだろう。
「‥‥惜しい。もう少しで、きぃのになったのに」
「‥‥っ、何でもアリですわね‥‥! でも本当にそんな事が出来るとして‥‥実行に移せば立派な重罪ですわよ? 先輩にそんなリスクを犯すメリットがあるのかしら」
ローズマリーのその発言は意趣返しのつもりらしいが、余裕ぶったいつもの態度は全く取り戻せていない。
「バレなきゃ、問題ない。マリーも、おじさんも、きぃが奴隷にして‥‥口もきけなくしたら、誰も気付かないでしょ?」
我が身にそんな理不尽が襲いかかるとは思いもしなかったのだろう。今や完全に攻守が入れ替わった立場で、押し付けられる身勝手な論理にローズマリーは激昂した。
「そんな無法、許されませんわ!!」
襲いかかる不条理への怒り。強く打ち付けられたヒールの踵が床板に亀裂を走らせる。燃え滾る怒気を瞳から立ち上らせてローズマリーは吼えた。
だが、きぃは動じた様子もなく、実に満足そうに相好を崩して首肯する。
「‥‥それが聞きたかった」
「‥‥? 何が言いたいんですの‥‥あっ!」
怪訝に眉を潜めて訝しんだローズマリーは、その途中で思い至ったのだろう。目を見開き、それまで発していた怒りと緊張が雲散霧消していく。
彼女は視線を外すと、唇に指で触れながら何かを――恐らくこれまでのきぃとの会話を――思い返すように暫し黙考した。
やがて、その表情がくしゃりと歪み、愉しむような悔しがるような複雑な暗い笑みを浮かべて顔を上げた。
「‥‥ふふ、一本取られましたわね‥‥先輩の挑発に乗った結果とは言え、一方的な隷属化を“無法“であると言った以上、こちらも同じ理屈は使えないという事ですわね」
「自分がされてイヤな事、なら‥‥人にも、しちゃダメ」
肩を竦めると、ローズマリーはリディの前まで歩み寄り、手にしていた怠惰の欠片をそっと手渡した。
「ごめんなさいね。別に貴女に思う所があった訳ではなかったの‥‥これは返しますわ」
そう言って、去り際に一瞬こちらを強い視線で見つめて来る。あれは「思う所があるのは貴方ですものね」って事だろうな、多分。
ともあれ、一番危惧していた怠惰の欠片をローズマリーに奪われる事態は避けられた訳だ。
「リディ、ちょっとそれ見せてもらってもいいかな」
コクコクと頷くリディから、怠惰の欠片を受け取る。騎士手甲で掴むと、いつかチンチラに差した事のあるケーブルが伸びて来て欠片に繋がった。
(ベルゼ、どう?)
『解析中‥‥やはり古代遺物、“怠惰“を司る魔導器で間違いありません。データリンク接続中‥‥』
ベルゼの試行にはしばらくかかった。
『これは‥‥アーカイブから幾つかのクエスト“病の王“に関するデータと‥‥』
そこまで説明して、ベルゼは押し黙った。
(どうしたの、何か問題でも?)
僕が戸惑っていると、ベルゼは珍しく躊躇いがちにこう言った。
『‥‥“病の王“との通信用プロトコルが判明しました。つまり‥‥“病の王“と、通信が可能です』
余りにインパクトのある言葉に、僕は絶句せざるを得なかった。




