第76話 捕らわれの鍵音2
◆瀬埜宮鍵音◆
監禁生活は何事もなく続いていた。
食事と休息が済んで本格的に始まった、と言えるかもしれない。
「‥‥‥きぃさんには、これらのサンプルを浄化してもらいたいのです」
リディが木箱に入れて運んできたのは、取り留めのない雑多な品々だった。
汚くてボロボロの衣服。
赤い塗料で複雑な模様が描かれた分厚い鉄の環。
変な臭いのする土。
泡立つ紫色のねばねばした液体。
赤茶色の古びた錆だらけの剣や鎧。
多分、呪いだったり、奴隷用の刻印だったり、毒だったり、怨念だったりのサンプルって事なんだろう。みんなそれぞれにイヤな感じがする。
例えば、土は臭いが浸食して来ると言うか、鼻の奥に吐き気のする粒子がこびり付いて少しずつ体の中に広がって来る感じがする。
ねばねばした液体は全身に鳥肌が立つような感じの後、首筋が生暖かい物で撫でられたような、今まで感じた事のない悪寒がした。単純に命に関わる意味でなら、多分これが一番危ないと思う。
ボロボロの布きれと、赤錆だらけの鎧と剣はわかる。少しずつ違いはあるけど、古城で出会った死霊の時のフリッツ君と同じだ。皮膚と身体の内側に冷たい痺れのような感じが伝わってくる。
ただ、どれもミストを吹きかければすぐに消えてなくなるぐらいの物だったので苦労はない。今まで勿体ぶって姿を隠していた誘拐犯本人がわざわざ出て来て、その前で実演する必要があったのが面倒なぐらい。
「不可思議な霧だ‥‥‥水を媒体に聖属性の術が乗っているのか‥‥‥いや、しかしそれなら発表されていた論説とは‥‥‥」
ルイーゼさんと同じようなセリフ。きぃにも能力がどんな原理で動いてるかはわかんないけど。
誘拐犯の男は痩せていて背の高いおじさんだった。具体的な年はわからないけど、襟から覗く首筋や肌の感じは中年なんだろうと察しがつくぐらい。当たり前だけど顔は目だけ穴のあいた仮面で隠されていてよくわからない。
仮面の男はきぃが浄化を実演する度に段々興奮して、しまいには身振りが大袈裟になり始めた。独り言も、ブツブツ言ってたのが完全に聞き取れるぐらいやかましくなっている。
何度か浄化ナントカ庁を飛ばして専属契約しないかと誘われたので断る羽目になった。
最初は残念そうにしてただけなのに、これも段々断った後に怒って辺りの物を叩いたり壊したりし始めた。その内に殴られたり蹴られたりしそうで怖い。
その度にリディが必死にすがりついて止めてくれてるから、まだきぃは叩かれたりはしてないけれども、時間の問題かもしれない。
「‥‥‥大丈夫です。きぃさんには、絶対手は出させないので」
仮面の男が部屋を出て行った後、こっそりリディの傷を治すのも、こうして弱々しい笑顔で返されるのも定番になってしまった。
(早く、ここから出ないと)
そう思うのに、治癒と人の怒りに晒された疲れが後からドッと押し寄せて、実験の後は考える間もなく眠りに落ちてしまうのだった。
何度目かの目覚めの後。
リディはいつものように浄化実験のサンプルを持って現れたけど、今までの物とは大きく違っていた。
何も浄化すべきところがない。
「‥‥‥?」
そしてその見た目も、何とも言えない中途半端な代物だった。底の抜けた小皿を4分割したような本体の中央に円い石が埋め込まれている。
材質は硬そうだけど、釉薬を塗った陶器に近い質感だった。ただ、これが何かと問われると答えられない。
きぃが首を傾げていると、リディがそれを軽く操作して素早く後退った。
途端、中央に埋め込まれた石が光と共に黒い墨のような物を凄い勢いで噴き出し始める。
いや、これは煙? 粘っこい動きのせいで、水に溶かした墨みたいだ。
そしてその黒い墨煙からは、この国の土と同じニガニガした痺れるような気配を強く感じた。
「“ミスト“!!」
咄嗟に床から治癒のミストを放ったけど、勢いが拮抗してしまってキリがない。
これじゃダメだ。本体そのものを止めないと。
“力の源泉“にアクセスしよう。
「何‥‥これ‥‥!?」
リディが怯えた声を挙げるけど、当然かもしれない。
自分の力でも、世界に満ちる魔力や生命力を使うのでもない。きぃの魂に直接接続された経路を通じて、“力の源泉“から純粋なエネルギーを引き出せてしまう。
量に制限はなく、制約もない。
望めば望むだけ、“力の源泉“は力を貸してくれる。
これは、この世界に来て与えられた能力じゃない。来る前からずっと使えるきぃの特別な力だ。
(お父さん、使う‥‥‥ね)
心の中で、元の世界で大好きだったお父さんとお母さんの顔を思い浮かべる。もう随分長い間会えてないな、と少しだけ寂しくなる。でも、まずはこれを何とかしないと。
経路から暖かな光としか表現出来ない奔流が全身を駆け巡るのを、意志の力で右掌に誘導する。
「“封殺・螺旋絞り“」
前に地下室でやった“命の洗濯“は全身を洗い清めるのが目的だったけど、これは逃さず閉じ込めて押し固める為に螺旋状の渦巻きを徐々に圧縮するようにコントロールしている。
温水のリボンが見る間に渦を巻き、噴き出していた墨煙とミストを閉じ込めていく。
「‥‥‥ぎゅーっと、搾れ」
ぐっと右掌を握るのに合わせて、温水のリボンが雑巾を搾るように細くなり、中に閉じ込めた物を圧縮していく。
やがて墨煙が吹き出なくなったのを確認して、きぃは螺旋絞りを解除した。
珠付きの欠片みたいなのは何事もなかったみたいに大人しくなっている。リディに手渡すと、彼女は怯えながら微笑みを浮かべるという微妙なリアクションを返してきた。
「あ、ありがとうございます‥‥‥あれを鎮められるなんて、やっぱりきぃさんは凄いですね‥‥‥」
「‥‥‥それ、何?」
あの汚染と同じ墨煙を噴き出した正体不明の何か。
きぃの視線を追って、リディも掌の上のそれに目を落とす。
「ああ、これ‥‥‥まだわかってないんです。遺跡から出土したらしいんですけど」
「遺跡‥‥‥“白き月の遺跡“?」
尋ねると、リディはコクリと頷いた。
「何とか作動はさせられるようになったんですが、ごらんの通り動かす度に周りを思い切り汚染してしまうので」
苦笑しながら、「でも」と呟く。
「多分、この墨みたいな煙の正体が掴めれば、この国の汚染の解決にも繋がる気がするんです」
「そうだな。だが、それを解き明かすのは私だ! 少しぐらい使い方がわかったからと言って調子に乗るな!!」
突然、今まで部屋の隅で黙っていた仮面の男が声を荒げて話に割り込んでくる。リディの手から墨煙の発生装置を乱暴に掴み上げると、そのまま彼女を殴りつけた。
悲鳴を挙げて倒れたリディに追い討ちで蹴りつけようとするのを、身体を盾にして阻む。すんでの所で男は脚を引っ込めた。
「退いてもらおうか、それは私の所有物だ。どうしようが文句を言われる筋合いはないのでね」
虫酸の走る言い草だった。
頭を振って拒む。瞳に力を込めて否定する。
「‥‥‥友達が傷つくの、見てられ、ない」
いざとなったら、また“力の源泉“から引き出して閉じ込めてしまうしかない。
この仮面の男がどれだけ戦えるか未知数だけど、さっきやった“封殺・螺旋絞り“は我ながら上手くいった。あれなら無力化出来るかもしれない。
やるなら、今しかない。きぃが、この手で。
(そうだよね、かっくん)
そんな覚悟を決めて大きく息を吸い込んだ時だった。
「‥‥‥あら」
音を立てて男の背後の扉が開き、一人の女が姿を現した。
緩やかなカールがかかった深緑の長髪。スラリと延びた大人っぽい肢体。艶やかなルージュの引かれた唇が嬉しげに口角を上げて、チロチロと蛇のような舌が覗く。
声なき声が場に満ち、全員の体から血の気が引くのがわかった。
心の底から、みんなこう叫んでるに違いない。
何でコイツがここにいるの!!
「ご機嫌よう、瀬埜宮先輩。楽しそうな事されてますわね、私もご一緒させて頂いてもよろしくて?」
満面の笑みで、ローズマリー・ブラッドフィールドは頬に手を当てながら優雅にそう言ったのだった。
(かっくん‥‥‥ダメかもしんない‥‥‥)
きぃは早くも、決めたはずの覚悟が音を立てて崩れ落ちる音を聞いたような気がした。




