第53話 命の洗濯
翌日、僕が気付くと倉庫に設けられた寝台の上だった。どうもあのまま寝ていたらしい。
ハッとして身体を確認すると、いつもの衣服だった。
多分きぃに着替えさせられたんだよなぁ、と一頻り悶絶する。まあ、もう深く考えるのは止めよう。
きぃの湯と歌で癒やされたたせいか、ここ数ヶ月を振り返っても段違いに身体も頭も冴えていた。調子は取り戻せたようだ。
『おはようございます、操縦者』
(ベルゼか、おはよう。どうしたの?)
そう言えばベルゼの声を半日近く聞いてないな、と思い至る。暫くの間ベルゼと話してばかりだったので、声を聞かなかった時間がある事の方が違和感があるな。
僕がそんな事を考えていると、ベルゼから悔しげな思念らしきものが伝わってくるのを感じた。
『鍵音様の治癒フィールドの展開と共に思考リンクが途絶しておりました。端末を取り込んでいるので普通はこんな事は起こらないはずなのですが‥‥』
多分きぃが強く“ふたりきりになる事“をイメージしてフィールド展開したからだろうなぁ、と半ば呆れ気味に考える。しかし端末からすらも隔離してたのか。恐らく風呂場で聞いたノイズはベルゼからの思考会話の名残だったんだろう。
『今後はこのような事のないよう更に機能の強化を‥‥』と息巻くベルゼを宥めてみんなの所に出向くと、丁度昼食の準備をしている所だった。
少し待って朝昼兼用の食事を摂る。町で買い出しが出来るので古城での食事より品数は豊富だった。
具体的には肉類が増えていた。古城や近辺ではまだ畜産が本格化していないので僅かな量しか食べられないのが大きな違いだった。
「帰ったら古城でも畜産やりたいねぇ」
「お肉、美味しい」
きぃは鳥挽き肉のつくねを頬張りながら嬉しそうに頷いた。
今日は町の養鳥場で育てられた鳥肉のつくねと卵のカルボナーラだ。パスタは売られていなかったので古城産小麦から家妖精達が麺を打って作った逸品である。
黒胡椒も本物はないので代用品のハーブで済ませている。ただ、食べた感じとしてはそんなに遜色はない。生クリームと卵黄をたっぷり使った黄金色のソースが平打ちの自家製パスタによく絡んで非常に美味だった。
どうも既に古城産小麦や野菜類は町の農作物を凌駕しているようだ、と家妖精は語る。
教会の万能治癒によって病魔は町の近隣には近寄らないし作物も穫れるのだが、やはり最低限しか保証はされず、遥か昔は名産と誉れ高かった小麦の質も大幅に落ちているらしい。
万能治癒とか言いながら、やはりきぃの治癒には及ばないようだ。と言うよりもきぃの規格外さがより浮き彫りになったのか。
ドミニクの遣いは、食後のハーブティーを飲み終えた頃にやって来た。
「では、あなた方の万能治癒を見せて頂けますか」
再び場所は移って、町の中央辺りにある何処かの屋敷の中。
来る途中に随分念入りに回り道されたので、素の感覚としては何処だかわからない場所と言ってもいい。ただ、視界に拡張表示されたマップ上では案外倉庫から離れていない区域にしっかり現在地のマーカーが立っていた。
御者さん、乙。僕は若干申し訳なく思いながら、しかし大事になったらきぃを抱えてすぐに倉庫に戻れる算段だけはつけられたので内心ホッとしていた。
と言うのも、この会合には先方たっての希望で金色狼が同道出来なかったのである。
彼(?)もかなり納得いかない様子だったのを、きぃと僕で時間をかけて説得したのだ。
お前、ご主人任せるんだから傷一つつけるなよ? 的にエメラルドのような瞳で睨まれて久々に生きた心地がしなかったよ‥‥。
「‥‥患者さん、どこ?」
きぃが進み出て、誰に能力をかけるかドミニクに確認する。
ドミニクは側にいた配下の役人に身振り《ジェスチャー》で合図を送り、程なくして拘束された枯れ木のような人影が連れて来られる。
垢と泥に塗れた浅黒い肌のその人物は、目隠しと手枷をされた状態で二の腕を乱暴に引かれ、何度も転びそうになりながら僕らの前に引き出された。
華奢を通り越して骨と皮しかないような有り様だ。きぃが微かに肩を強ばらせるのが見える。
「‥‥悪い事した、人?」
「被験者の素性についての詮索はご無用に願いたい。どんな結果になろうとも、周囲に情報が漏れる事だけはないと保証する」
問に答えたのは絹の長衣を纏った壮年の男性だった。眉間と口元に幾重にも年輪を刻んだ如何にも気難しそうな人物だが、身体はかなり引き締まっているのが姿勢と歩き方からもよくわかる。
人の話聞かなさそうな人だな、と僕は思ったが、きぃの反応はより顕著だった。
「‥‥治すけど、いいんだよね?」
「構わぬ。やってくれたまえ」
念を押すきぃに対し、男は尊大に言い放った。
きぃは頭を振ってひとつ嘆息すると、右手を高く振り上げる。
部屋に集まった様々な職種の人間の目が、緊張と期待に強い視線を向ける。
「治れ」
燐光を纏った右手が振り下ろされ、床にうずくまった人影に差し向けられる。途端、虚空から大量の湯水が滝のように降り注ぎ、部屋の中に濛々と湯気と驚き狼狽える声が満ちた。
注がれた湯水は床に広がる事はなく、やがて宙に留まって球の形を為す。人影はすっかり水球の中に飲み込まれていたが、数度もがいた後力を失ってゆらゆらと揺蕩い出した。
やがて水球は渦を巻き、中に閉じ込められた人影を猛烈な勢いで翻弄する。
「‥‥まるで洗濯機だな」
僕が呟きに、きぃが振り向いて小さく頷く。
「“命の洗濯“、してるの」
言ってる事は洒落みたいな物だったが、きぃの表情には珍しく険のようなものが見えた。いつもの眠そうな半眼が見開かれて、琥珀色の光彩が“命の洗濯“の輝きを照り返し、黄金に色を変えている。
「‥‥何でこんな事、するの」
寄せられた眉間の皺は、整った幼い容貌のきぃには酷く不似合いで、胸が痛んだ。
そして水流が収まり、見違えるように小綺麗になった人影が床にくず折れる。
目を覚ました人影が目蓋を開き、見覚えのある藤色の瞳がこちらに向けて大きく見開かれた。




