第29話 亡国の王と満月の金槍
黒ミイラが上体を起こすと、首が痛い程の高さになる。ラインベルク騎士団が膝下を潰してくれていなかったらもっと高くなっていたのか。
奴は衣のようにも見える布を翻して右手を持ち上げ、そこに摘ままれていた装飾された呼び鈴のような物を打ち鳴らした。
呼び鈴と言っても寺社の大鐘程の大きさがある。ビッグベンの鐘のような低く通る大音量の音が降り注いだ。
「ええい、やかましいわッ!」
一声吼えて老執事と金狼が躍り掛かる。
黒ミイラは緩慢に残った左手で鐘を庇う。何かあの鐘に意味があるのか?
そう思った矢先だった。黒ミイラの周囲に黒い魔法陣が浮かび上がり、同じく黒い胞子のような靄を濛々と吐き出したのだ。
『いかん、ガスか! 皆退がれ!』
如何にハク達白鷹騎士団が強固な守りを誇ると言っても、それは物理な攻撃に対しての物でしかない。
そんな時だった。
慌てて後退しようとする僕らの間を、淡い緑がかった風が吹き抜けた。
「‥‥私の前で、そんな真似を許すとでも!」
振り向くと、フリッツが片手を挙げて呪文を詠唱しているのが見えた。風は集まって僕らと黒い不気味な靄の間に淡く輝く障壁を成していく。
靄は凝りながらやがてフードを被った骸骨のような姿を取り始めるが、フリッツの障壁を越える事は出来ずにその表面をびっしりと埋め尽くす形になる。
『フリッツ殿、この障壁は中から攻撃しても大丈夫なものか?』
ハクがそう問うと、フリッツは真剣な表情を崩さず頭を振った。
「流石にそこまで都合のいい代物ではないです。それに思ったより圧が強い‥‥余り長くは保たせられないかもしれません」
言って少し辛そうに眉をしかめる。
僕はきぃを振り返った。
「きぃ、前にダンジョンの農場で使った噴水出す奴って、あの障壁の向こう側に出せるか?」
「うん。出来る、よ」
きぃは言うが早いか両手をばっと頭上に振り上げた。一泊遅れて軽い地揺れと共に大量の水飛沫が障壁の向こう側を埋め尽くした。
まるで水のカーテンだ。障壁と水に挟まれた靄から生まれた人型が軒並み溶けて消えていく。
よし、やはりきぃの水には浄化の能力が備わってるらしい。淀まず腐らず、与えた作物に実りをもたらすって効果があるから当然なのかもしれない。
やがて苛立たしげに水のカーテンを突き破って黒ミイラが頭と腕を突き出して来たが、これも水に触れた部分が盛大に白い煙を挙げ始める。
『勝機!』
ハク達白鷹騎士団がその隙を突いて総攻撃をかける。彼らの攻撃は黒ミイラの身体を支える左手に集中した。
「面白い。手伝うとしよう」
老執事が低く笑ってその意を継ぐ。彼は神殿の柱を折り取ると、黒ミイラが体勢を変える瞬間地面に付き直そうとした左手を柱で払いのけた。
黒ミイラの上体が広場に地響きを立てて倒れ込む。老執事はすかさずその巨大な手首に石柱を叩きつけ、その骨を破砕した。
瞼も口も縫い付けられた干物のような不気味な顔から悲痛な呻きが漏れる。
『“目覚めよ“』
キーワードを発し、剣に清らかな蒼光を満たしたハクら騎士団が残光も鮮やかに黒ミイラの顔面を切り刻む。蒼の光を放つ剣は黒ミイラの干からびた表皮を深々と切り裂いて大きな傷痕を残した。
だがそれでも黒ミイラの動きを止めるまでには至らなかった。左手首が使えなくなった為に肘を突いて起き上がり、右手で握った鐘で群がる白鷹騎士達を叩き付ける。
巨大な鐘が唸りを挙げて白鷹騎士達の構えた盾ごと大地を打ち据える。形容し難い轟音が響いた。ビルの建築現場で高所から鉄骨を落としたらこんな音がするだろうか、というような酷い音が二度、三度と繰り返される。
広場の地面は鐘によって掘削され、直接その衝撃を受け止めた盾はぐしゃぐしゃに潰れて見る影もない金属の塊になってくり抜かれた窪みにへばり付いているように見えた。
想像を絶する光景に恐怖を通り越して頭が真っ白に焼き付いてしまった気がした。
あんなもの、僕らが受けたら。
すり鉢で豆腐を潰して和え物にするみたいに。
『案ずるな、克也。我等はそこまで柔ではない』
いつの間にか僕の傍まで戻っていたハクが力強くそう口にする。
それと同時に、出来たばかりの窪地にへばり付いていた金属塊が動いた。
ぐしゃぐしゃにひしゃげたタワーシールドを投げ捨て、3体の白鷹騎士達が飛び出してくる。やや外装に凹みや歪みは見られるものの、彼等は五体満足だった。
黒ミイラも潰しきったと思っていたのか、飛び出してきた白鷹騎士達の姿に僅かに動きが止まる。
次の瞬間、黒ミイラの顔面がバウンドした。
左右から老執事と金狼が全力で拳と体当たりで見事なワンツーを決めたらしい。
そして、
「‥‥これは、返してもらいますよ」
フリッツが黒ミイラの喉元に飛び上がり、刺さったままの金色の槍を掴んでいた。
見る間にフリッツの周りに障壁を張った時のような緑の光と輝きを増していく。
「翡翠蓮華」
彼がそう唱えた途端、黒ミイラは内側から爆散した。
次に見えたのは、胸から上がぽっかりと失われた黒ミイラの残骸がゆっくり前のめりに倒れる光景と、黄金の槍を掲げるフリッツの姿だった。
黄金の槍の穂先には、鮮烈な翠の光を放つ巨大な蓮の花が見事に大輪の華を咲かせていたが、やがて徐々に薄らいでその姿を消していく。
フリッツは槍を胸元に掻き抱くと、しばらく無言のままその場に跪いていた。
彼がその時何を感じているかまではわからなかったけれども、僕らもまた喪われた多くの命の冥福を祈った。




