2 石川キョーコ、カザイ君と語りつつメンツのことを思い出す
SCENE3 「M・M」編集部 5月8日 午前11時30分
編集部には、何人かの社員とアルバイトの女の子がいた。いきなり編集長が連れてきたこの二人に、彼女達は興味しんしんではあった。
が。この編集部内で編集長の彼女に勝てる者はいない。好奇心は、宙に舞わざるを得ない。
「リトルママは、日本に帰るつもりです」
そのアドリアーナという少女は言った。
「帰りたがってました」
「リトルママって…」
「キョーコさんが、MAVOと呼んでいるひとのことです」
ややぎこちない日本語が、耳をくすぐる。アドリアーナと言うこの少女は、濃いめの顔をしていた。彫りの深い顔立ち、濃い眉、そして大きな黒めがちの目。ハーフかクオーターにありがちな顔である。
「あたしはリトルママに、五年まえ、拾われました」
「五年前」
キョーコは繰り返す。あの失踪した年だ。
「ロスで暴動が起こったときです。あたしのほんとうの親は、その時の騒ぎのなかで死にました」
「あ」
キョーコは当時の状況を思い出す。1992年、ロサンゼルス。人種問題からきた大がかりな暴動が起きた。そのせいで、あの二人の捜索も遅れたのだ。
「あのひとは、一人でした」
「一人…? 二人じゃないの?」
「いいえ、一人でした」
アドリアーナはきっぱりと言う。
「いくらあたしがまだ子どもだったから、と言っても、そのくらいはわかります。それでも十才だったんですから」
「…あ、今十五?」
「はい」
やはり土地がらだろうか。ずいぶん年より上に見える。キョーコはあらためて彼女を観察する。可愛い子だ。背も高い。身体つきのバランスもいい。声もわりあいはっきりしている。アルトの声。
どうぞ、とアルバイトの女の子が和衣とアドリアーナにコーヒーを渡す。ありがとう、とにっこり笑って丁寧に彼女は礼を言う。けれど決していやみに見えない。
「でも、リトルママが帰るには、何か、まずいことがあるらしいんです。で、キョーコさんに、『マリコさん』というひとと連絡を取ってもらいたくて」
「マリコさん… か」
「どういうひとなんですか? リトルママはくわしく言ってくれなかった」
「…どうって… 昔からの知り合い… だと思うけれど」
「友達ですか?」
「…ちょっと違うと思う」
「…よくわからないです」
アドリアーナはしゅんとする。
「…でも、できるだけ、探してみるから、安心して。…そうかマリコさんか…」
和衣は話がよく見えなくて、退屈そうにあくびをした。
なるほど。キョーコは思う。MAVOは、公式には、帰ってこれないんだ。それで、そのことを告げるべく、この子をよこしたんだ。わざわざ、電話や手紙で済ませずに。
…水くさいなぁ。
一瞬そう思った。だが、よく考えてみたら、彼女がそういう単純な性格でないことも、また思い出されるのだ。
MAVOは、必然性のないことは、しない。
自分と共通した、理論で動く部分を多く持った奴。そういう奴がわざわざ金と手間をかけて、メッセンジャーを送ったのなら、そこまでしなくてはならない理由があるはず。
何故。
何やら考え込みがちな姉を見て、和衣はふうっと息をつくと、
「とにかくマリコさんって人を探したほうがいいんじゃないの? ねーさん」
「和衣?」
「オレ思ったけれど、とにかくあのひとは、日本に自分の声を流したくなかったんじゃないかって気がする」
「声を?」
「あの人の声って、すさまじいもの、あるじゃん」
「確かに」
「少しでもあのひとの声、知ってる奴が聴けば、一発でばれるみたいな」
「…あんた会った… 訳ね」
「うん。あの声には、誰も、勝てない、と思った」
「…それが判るようになったんなら上等… あいつ、何やってたの」
和衣はコーヒーを一口すすると、
「なんでリトルママってのか、わかる?」
「…判る訳ないでしょ」
「ビッグママという、店の女主人のあとを継いだから」
「店? 客商売なの?」
「そう」
信じられない、とキョーコは目を見張る。
あの人見知りのかたまりのような奴が。だとしたら、ずいぶん苦労してきたということじゃないか。
「で、オレは彼女に拾われたの。ちょうど財布すられたあとで」
「ボケぇ」
「いいじゃん、そのおかげで消息も判ったんだし。でも、最初、誰だか全く判らなかった」
「どうやって判ったの」
「歌だよ」
和衣は一瞬目を伏せる。
「オレは彼女の店で、歌うたわせてもらっていた。で、その時一回、PH7のバラードの弾き語りに挑戦したんだ」
「身のほど知らず」
「本当にそう思ったよ」
彼はそう言って、あごをかりかりと引っかく。
「高音が出ない。で、止まりそうになったところへ、彼女が助けてくれた。店の常連は、彼女が久々に歌ってくれた、と大喜びだったよ。滅多に歌わないらしい」
「あのひとがねぇ…」
思い出す。かつて、インタビウで、「歌わなくては、死んじゃう」と言った彼女。それが。
「カズイがいまの日本の様子を話し始めてから、リトルママは何か思いはじめました」
アドリアーナが続けた。
「それまでまったく読まなかった日本の新聞も取り寄せるようになって、なんか、すごくマジメな顔して、最初からずっと読んでるんです。で、ある日、カズイに、あたしを連れて日本へ行け、と言ったんです」
「…そう」
「マリコさんってひとは、今何処にいるのさ、ねーさん」
「わからん」
「判らんって、あのーっ」
「あれから、あの人の消息自体も知れないの。だいたい半年くらいたってからかな… HISAKAやMAVOの正体探しにマスコミが飽きた頃、不意に姿を消して」
「全然、判らないの?」
「頭のいい人だったからね…」
「でも、MAVOさんは、言ってた。マリコさんというひとはは、必ずHISAKAのためになら、何でもするって」
「…ああ、そうだ」
それは、そうだろう、とキョーコは思う。あの当時の彼女の行動は、けなげを通り越している。
いずれにせよ、マリコさんを探さない限り、MAVOに再び会うことも、HISAKAの消息を聞くこともできないのだ。だとしたら、するべきことは一つしかない。
「…判った、和衣、アドリアナ、あたしの情報網全部使って調べるから、あんた達も協力しなさい」
*
SCENE4 都内 居酒屋「大陸道」 5月10日 午後9時
「…そうですか…」
もとPH7の事務所の一員、現在の「音楽業界最強の魔女」かつてのPH7のギタリストFAVの筆頭マネージャーであるカザイ君は、一瞬声をなくしたが、それでもすぐに冷静になってそう答えた。
「あたし一人、なんてとうてい動けないからね、あんたたちの協力が欲しいと思って」
「感謝しますよ。他の奴に持ち込まれたらどうしようと、と思いましたからね。…そうすると、『AHEAD』のメンツから投入する方がいいですかね?」
「なるべく昔からのスタッフの方がいいけど… 居る?」
「かなりの数、減りましたがね、エナとマナミは居ますよ」
「エナ嬢とマナミか… でもエナ嬢は」
「そう、ありゃオレ同様FAVに付いてなきゃいけない立場だから… マナミに行かせます。あいつの方がフットワークも軽い」
カザイ君はそういうと、ジョッキのビールを半分くらい空けた。
チェーン店居酒屋である。何処かの大学のコンパだの、バンドの打ち上げだの、会社帰りのまだ若いサラリーマンだのでごったがえしている。
「何か、懐かしいですよねー」
「ん? あんまり来ない? FAVはよく来るじゃない」
「そういう時に酔えますか? まわりのこと気にせずにいられませんって」
…苦労症の男だ。しみじみキョーコはこのカザイ君という奴に同情せずにはいられない。
カザイ君は、本名は香西幸村と言う。
何でも親が「真田十勇士」のファンだったらしく、彼はあまり自分のことを名で呼ばせようはしない。
ちなみに、現在の彼の通称は、HISAKAが初対面の彼の名を読み間違えたことに端を発する。あの女はそう言えば、変なところで抜けていたなぁ、とキョーコは苦笑混じりに思い出す。
カザイ君はPH7の活動休止後、ソロ活動をするFAVのためにそのまま新しい事務所を作った。それが現在の『AHEAD』である。
はっきり言って、FAV一人のためにその事務所は機能している。と、言うか、彼女の活動量についていくには、他の若手だのなんだののことなんて、考える暇なんてないのだ。
そして、その中には、かつてのPH7のスタッフも幾人か入っている。追っかけ上がりのエナ嬢とマナミもその中に入る。
エナ嬢は、FAVの身のまわりのお世話係みたいなもので、外部とのやりとり以外のこと殆どを受け持っている。極端に言えば、リハーサル中にいきなり、「この帽子嫌だ」と言ったら、かけずり回るのが彼女である。
マナミは、どちらかと言うと、渉外担当のひとで、だいたいFC会報の写真に紛れて写っているのは彼女である。TV局との打ち合わせだの、ご挨拶だの、エナ嬢が苦手な部門をサポートするのが彼女である。なかなかに女らしいゴージャスな外見をしていて、その点も大人しい、清楚な外見のエナ嬢とは反対に見える。
カザイ君は、もう少しそれに加えて大がかりな方面を担当する。もともとPH7の居たレコード会社PHONOの営業畑出身の彼は、その時に叩き込まれたことを十二分に使って動く。それは人脈であったり、方法であったり… FAVが動きやすいように、外堀を固めるのが彼だった。
そして、一番最後まで、FAVの酒の席に付き合うのも彼で、…彼に同情しない業界人はいない。『AHEAD』の連中は、どういう体力しているんだ、と疑問に思わない者はいない。
「…でもさあ、本っ当にけなげだと思うんだけど… どーしてそこまでして、FAVのそばに居たい訳? どう見たって、あんた達は、自分の利益のためにはしてないでしょ」
「石川さん、自分の仕事、生活費稼ぎのためだけ、と思ってる?」
「いんや」
首を振る。
「生活費稼ぎのためだけだったら、今だってOLやってるさ。四大出てるから、女でもそれなりに昇給できる企業に居たからね」
「そーだったんですか」
「そお。で?」
カザイ君は少しばかり黙った。そして言うべきか言うまいか、少し迷うように、残りのビールを飲み干すと、通りかかったウェーターに追加オーダーを頼んだ。
微かに汗をかいたビールのジョッキが運ばれてくる。そしてようやく彼は口を開いた。
「FAVが好きってのが、やはり一番ですけど」
「それはミュージシャンとして? 人間として?」
「両方ですね。でも少しばかり、人間って方が大きいかも」
彼は酔いが少し回ってきたらしく、顔が次第に赤くなってくる。
「HISAKAも好きでしたがね、どちらかというと、あれは、オレにとっては『尊敬できる人物』だったし」
「FAVは?」
一瞬彼は言い淀む。そして目を伏せて、
「…夢なんですよ」
「夢?」
「こういう言い方すると、陳腐だと思いますがね、だけどそれ以外言いようがないって言うか。HISAKAやMAVOより、ずっと、普通に女の子を好きになるように好き、というのに近いといや近いんですが…」
「…はっきりせいや」
「はっきり言ってしまえば、そういう『好き』ですよ。たぶん彼女なしではいられないくらいの、『好き』でしょうね。でも、オレ、彼女に欲情したことないし」
「そーゆうもんかい?」
「普通の女の子にはするんですがねえ。…あ、石川さんには無いですので御安心を」
「わーっとるわい」
キョーコはぐりぐりとカザイ君の頭をこづいた。
「だから、オレ、TEARさんは本当に尊敬してるんですよ」
「ん? 何故?」
いきなりその名前が出てくるのでキョーコは首を傾げる。
「だから、オレや、いろんな人にとって、FAVは夢で、夢だからこそ好きで、ずっと一緒にいたい、と思うけれど、あの人にとっちゃ、現実で、生活の一部じゃないですか」
「…」
確かにそうである。もとPH7のベーシストのTEARは、バンド存在時の、ある時点から、FAVの最強の友人でパートナーだった。
人にどう言われようとTEARはFAVへの感情は隠さなかったし、FAVは逆に絶対に言わなかったが、見る人が見れば、FAVの方も相手が「居なくては嫌」な存在なことはすぐに判った。
キョーコも当初その事実を知った時には、かなり混乱したが、あまりにも当人達は当たり前のようにしているので、周囲も当たり前に思うようになってしまった。
PH7のメンバーは、さほどに浮いた噂は立つことはなかった。写真雑誌関係を極度に警戒していた、ということもあるが、写真雑誌がため息をつくほど、外部とは何もなかったのである。
もう一人のギタリストだった「P子さん」は、2ndアルバムの少し前に、一緒に住んでいたひととの間に子どもが出来て、そのままあっさりと入籍してしまった。あまりの早業に、周囲があきれたくらいだ。当の本人は、全くもってのほほんとしていたが。
唯一、写真雑誌のネタにされそうなったのは、リーダーでドラマーのHISAKAだった。彼女が失踪する前の年の秋、ポップスバンドの「FREE STATE」のリーダーで鍵盤屋で、コンポーザーとしても有名なツガイタカヤ氏と一度だけユニットを組んだことがある。その時、彼女とそのツガイ氏が噂のネタにされた。実際に何かあったかどうかは、当人同士が全くもって口を開かなかったので、誰も知らない。
ただ、MAVOがそれについてキョーコに言っていたこと。
「すごいひとだとは思うけれど、HISAKAのシュミじゃないな」
言いきるあたりが凄かった、という記憶がある。
MAVOは、というと、これがまた人見知りな子だった。ステージで人を煽り、コトバを叩きつけ、時には勇気づけ、感動させ、涙まで流させる、その姿がまるで日常では想像すらさなかった。その髪の色を抜かせば、全くもって「普通の女の子」だった。年からすれば「女の子」かどうか判らないが、彼女の年も本名も何も知らなかったのだから、仕方ない。
だが、その「普通の女の子」はバンドリーダーと寝ていたことも、キョーコは知っていた。それは絶対に口にはしたくないようだったので、キョーコも表立って話題にすることはなかった。
「なんにしろ、TEARもHISAKAも凄いと思いますよ」
「HISAKAも…」
「だーかーらー、D・Bって、考えてみりゃ凄いと思いませんか?石川さん」
「D・B… ああ、P子さんのダンナか」
「やー、逆にあれは、男のオレから見ても可愛いと思いましたもんね… つまりそうゆうことですかね」
「んー… 人間って難しいなあ」
キョーコとて、そうごまかすしかない。