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やきそばとおでん

現実は、さっさと、とっとと、速やかに、認めちまうのが正しい。

大学生協の掲示に貼られている短期バイトの、クリスマスケーキ販売に採用された。

 何店舗かが駅前に簡易販売所を設け、競い合うようにケーキを売りさばく。

 サンタのコスチューム有、ということだから、変装効果も期待できる…と、まことに後ろ向きな理由で応募したのだけど、いざ決定すると、バイトの日が近づくのがなんともだるい。

 23日、24日、25日の三日間、朝の8時から夜の21時まで頑張るのだ。

 一体何人のサンタ仲間がいるのやら。

 

 で、ハイジに「たぶん25日の終盤に、残りのケーキをもらえると思うよ」と伝えたら狂喜された。その喜びぶりを肝に焼き付けて、三日間を何とかやりとげようと心に誓う。

 12月に入ろうとする今、大学にいても買い物に行っても、クリスマスソングが嫌になるほど鳴り響いている。幽霊下宿に引きこもるにしても、テレビやラジオをつければ同じことだ。

 恋人はおろか友達すらいない身にとって、クリスマスなんか忌まわしいだけ。

 それに、どういう因縁か、思春期以来、あんまり良い思い出がないのだ。

 両親との不仲は今に始まったことじゃない。

 本当に、なんでだろうな。

 (何で、食卓の席で毎回、暴言がさく裂していたのかな)

 ものを食べるはずの、明るくて楽しくて、生きるエネルギーを補給するはずの場所で。

 それよりも何で、家族の食卓のことなんか頭によぎったのだろう。遠く離れた場所に来ているというのに、まるで昨日のことのように強烈に思い出される。ずきずきと目頭が痛み、熱くなってきたから上を向いて頭を冷やした。

 ちょうど、粉雪が舞い落ちてきたところだ。

 冬の夕焼けは、怪しい蛍光色で、まるで甘味料の効いたゼリーみたいだ。


 エコバッグを下げて戻った幽霊下宿では、テレビがついたり消えたりしていた。

 おかげでBSアニメの主題歌が細切れで、何を言っているのか分からんじゃないか。

 連中、クリスマスが近いから張り切りだしたか。溜息が出た。パチンパチンと台所、居間兼自部屋の電気をつけ、ついでに暖房もONにする。コンロを見ると、きちんとステンレスの鍋が乗っており、中を見ると(見るまでもなく)実に旨そうに煮しまったおでんが入っていた。

 炊飯器のごはんも炊きあがっている。

 完璧じゃないか。


 ごめんね……

 ……える

 思考回路はショ……

 ……よ

 

 セーラー●ーンも、ここまで細切れにされると訳が分からないじゃないか。

 電気代もバカにならんから、やめなさいよ。

 ぶつんとテレビのコンセントを抜いてやった。

 そしたら、ふすまがガタガタ派手になり始めやがった。ハイジの部屋に続くふすまである。

 放置しておこうと思ったが、あまりにも調子よく鳴らし続けるから、ふすまが破損するんじゃないかと心配になった。用心のために飛び道具(食卓塩)を持ってふすまを勢いよく開けたら、そこには乱雑で空虚な和室があるだけだった。

 別に変な霊なんかいない。ペーターすらいない。もちろんロッテンマイヤーさんもいないし、クララなんか成仏したんだから、出るわけがない。

 静寂があるだけ。はい解決ー、とふすまを閉める。

 「え?」

 底知れぬ恐怖がこみ上げてきて、一瞬、立ち止まってしまった、ふすまを背に、動けなくなる。

 ふすまを開けたら、そこには乱雑で空虚な和室が…。

 (そんなわけないそんなわけないそんなわけ…)

 指の関節が白くなるほど強く食卓塩を握りしめながら、わたしは必死に息を吸った。

 苦しい。吸っても吸っても吸っても吸っても吸っても吸っても。

 「いやだいやだいやだいやだいやだいやだ」

 幽霊下宿にたった一人で住み着くなんて両親との不仲のせいでお金の援助がないから安物件に住むしかなくて大家からはルームシェアを勧められたけど友達なんかいないから毎日毎日毎日毎日毎日。

 ひとりで。

 絶叫した。叫ぶことで、忌まわしい妄想を吹き飛ばしたかった。

 

 ハイジを待つ時間を、なるべく明るく、なるべく集中して、不穏な思考が湧き起こらないように過ごすには、これしか思いつかなかった。

 エコバッグからやきそばの材料をつかみだし、ピーマンとキャベツとベーコンを刻み、フライパンを温め、油を引き、野菜を炒め。

 その一方で、おでんのなべをテーブルにおろし、開いたほうのコンロでお湯を沸かす。

 元気な音をたてはじめる野菜たちに少し水を回しいれ、蓋をして蒸らす。

 その間にポットとマグカップの用意をする。

 ネ●カフェの粉を入れて、砂糖も入れて、そうこうするうちにやかんが鳴りだして。

 ドボドボドボドボ…お湯をポットに注ぐ音も、じゃあじゃあと弾く音をたてる野菜炒めの輝きも、全てがきちんと示しているじゃないか。

 わたしはここにいる。

 ここにいて、ごはんを食べて、元気になっているっていう事実を。

 だから、そんなばかなことがあるわけがない。

 実はハイジなんて存在しないなんて。

 実は、ここに住んでいるのはわたし一人だなんて。


 やきそばをもりもり食べていると、どんどんお腹がふくれてきて、気分も明るくなってきた。

 例えるなら、綺麗なオレンジ色のエネルギーが体の芯に宿るような感覚だ。

 だからものを食べずにはいられない。調理して、美味しくいただき、生きる。丁寧に調理された食事には力が宿ると思う。わたしは料理するのが好きだし、それをいただくのも大好きだ。

 お皿を洗ってしまったら、度胸がついたみたいで、わたしはもう一度ハイジの部屋を覗いてみた。

 何度もこんなことをせずにはいられない、自分の不安定さを嘲笑しながら。

 口の中に残るやきそばのソースを味わいながら。

 ああ、美味しかった、という幸福感がお守りであるかのように、口の中で大切に味わいながら、そして、わたしはふすまを開いた。

 そして、がくんと手を落とした。

 状況はなんら、変わらなかった。


 一晩寝ないで待った。

 何をって。

 (ハイジ)

 あの子が帰って来たらすべて解決するはずだから、全部大丈夫なはずだから、今は待つしかない。

 これだって一種の超常現象だそうに決まってる。

 まんじりともせずに夜が明ける。

 ハイジなんて帰ってこなかった。

 誰もいないまま、自分だけの朝がきた。

 コンロには鈍く光るステンレスの鍋があって、その中には手をつけられないままのおでんが沈殿している。

 昨晩から何度も何度も狂ったように開けては中を確認した件の部屋は、まぎれもなく自分の部屋。

 一個980円のカラーボックスに、テキストが乱雑に並び、酒瓶も一緒に並び、ビール缶も何個か空になっていて(寝酒するからなぁ…)何の色気もない、寒々しい和室がそこにあった。

 明るくなってから少し冷静になると、その部屋のかび臭さが気になってきて、思わず窓を開いて換気した。

 昨日から雪が降り続き、うっすら積もってきている。ぞわっとする冷気が部屋になだれこんできた。

 (行こう)

 あわただしく外出の準備を始める。

 和室のさんにかかっているダッフルを取り、マフラーを巻いて。

 全てを明らかにするしかなかった。

 でないと、このままだと、自分が崩壊してしまいそうだった。

 (行くの?本当に?)

 その一方で、引き留めようとする自分もいる。

 だが、もう止められなかった。ハイジが戻っていないのは事実だし、わたしはすべてを明らかにするしかなかった。

 

 その小さな不動産屋には、いつも事務のおばさんしかいない。

 おばさんというか、もうおばあさんと呼んで良いような年齢だと思われる。

 家族経営ということもあり、ばあさんはいつもラフだった。夏は甚平姿だったし、今はスウェットにはんてんを着込み、湯気をたつ湯呑を手に、窓口から顔を出した。

 「家賃なら引き落としでもらってるよねえ」

 なんて、のんきに言いながらわたしの顔色を上目でうかがった。

 「顔色悪いねえ、ちゃんと食べてるの。あんな所、いくら安くてもオススメしたくなかったんだけどねえ、元気でやってるのかい」

 がくがく膝が笑いだしてくる。ばあさんそれ以上言わないでくれ。頼むから、自分からきちんと聞くから確かめるから。

 で、今日はどうしたの、と聞かれたので、ろれつが回らなくなりそうな口で、わたしは言った。

 「同居人のことを聞きたくて」

 言ってしまってから、わたしは逃れようのない現実に直面した。

 ノックアウトだ。ああ。

 同居人。ハイジ。…で?

 ハイジって名の日本人なんかいるわけないだろう?

 そりゃそうだ、だってハイジはあだ名で。

 じゃあ本当の名前は?出身は?家族構成は?そして、大学の学部や講座は?

 真っ白になってしまったわたしを、おばあさんはまじまじと見ていたが、やがて溜息をついた。

 「まあ、あがって茶でも飲んできな。寒かったろう」

 嫌な予感がしたんだよ、あんたが安物件を探しにうちに来たときに。

 ばあさんはそう言った。

 温かい部屋に通され、お茶をごちそうになりながら、わたしはおそるおそる聞いた。

 「嫌な予感ってなんですか」

 ばあさんは、ためらわずに言ってのけた。

 「病気なんじゃないのかね。なんていうのか知らんが、心の。不安定な学生には部屋は貸したくないってわたしは思うんだが、いかんせんうちも商売だからね」

 じいっとわたしの目を覗き込みながら、おばあさんは言った。

 「悪いことは言わないよ。一回、実家に帰って休んできな。それかクリニックに行っておいで。あんた、気づいていないだろうけれど」

 それで十分だった。

 ごちそうさまでした、と湯呑をお返しすると、あわただしくわたしは立ち上がる。

 次に行く場所は決まっていた。

 

 繁華街の隅にそのパン屋はある。

 「パン工房アルプス」。

 そこなら、ハイジのことについてわかるはずだ。ハイジのバイト先なんだから。

 白パンとか、クロワッサンとかドーナツとか、バイト帰りのたびに美味しい残り物を持ってきてくれたじゃないか。

 小さなクリスマスツリーが飾られている、明るい店内に入ると、広々としたフロアに、子連れの客が何組か見える。どきどきしながら足を踏み入れる。

 (まさか、実はここでバイトしているのはわたし自身で、パンをもらって来きては、ハイジにもらったような気になっていたわけじゃないよな)

 不安な気持ちで店内を見回すが、ここにきた覚えは全くない。

 小さなチーズパンを選び、レジに持ってゆくと、感じの良いバイトさんが笑顔で対応してくれた。

 「いらっしゃいませ、ありがとうございます」

 手早く袋に入れられたパンを受け取りながら、祈るような気持ちで聞いてみる。

 「あのう、ここにホッペの赤い、小柄の、茶髪を三つ編みにした女子大生がバイトしていませんか」

 即座に答えが返ってきた。あいさつの時の感じよさと同じ調子で。

 「いいえ、当店はバイトはわたしだけですよ。ああ、そうそう、二号店が大学近くのスーパーにテナントを持っているんですが、そこかもしれませんね」

 そうですか、ありがとうございます、と頭をさげて、わたしは店を出る。

 スーパーの一角に、確かにパンコーナーがある。

 焼き立てパン、安心の無添加、美味しい…。

 ふいに、心臓が苦しいほど速打ちを始めた。

 ぐるぐると世の中が回り始めたので、並木のポプラによりかかって急をしのぐ。

 溶けかけた雪が水たまりを作っていて、片足をそこに突っ込んでいることに気づく。じんじんと足が痛くなってきた。

 

 週に二度、わたしはスーパーに行く。

 お客様感謝デーと、ポイントデーだ。

 だいたい、店が開いたばかりの朝か、客足が遠のき始める夕方遅めに行く。そうして見切り品を狙うのだが、そのパン屋は夕方に、一日の残りのパンを詰め合わせにして、ワンコインで売ってくれるのだ。

 (ああ、神様)

 「いつもありがとう」

 と、バイトの子がわたしの顔を覚えてくれて、特に親切にしてくれる。そして、最近は「内緒だけど、これ、もう見切り品になるから」と、まだ見切り品扱いしていない袋をワンコインで売ってくれることもあった。

 (そんなはずは、ああ、神様、そんなはずは)

 濡れた足を引きずりながら下宿に戻ると、かじかんだ手指で財布の中をあさった。

 ここ数日のレシートがぐちゃぐちゃに詰め込まれていることを思い出したのだ。

 これが最後の砦だ。最後の。

 震える指でレシートを広げる。

 「スーパー大学前」のレシートを選んで目を皿のようにして内容を確認する。

 残酷な現実が、はっきりと印字されていた。

 ふらふらと暗い居間に入ると、リモコンを取り上げ、なぜかテレビを入れた。

 自分でもわからない。何か、自分以外の物音が欲しかった。

 テレビは歌謡番組をやっていて、クリスマス前の特集だった。

 ジングルベルがほがらかに楽し気に流れはじめ、茫然と座り込んだわたしのまわりをメロディがむなしく回った。


 電気をつけ、カーテンをひき、おでんを温めるころになると、わたしは平常心を取り戻していた。

 お湯を沸かしてコーヒーを入れ、ごはんを盛り、おでんを皿に並べる。

 クリスマスソングを聞きながらの食卓。ひとりの食卓。

 よく味のしみた大根を噛みしめると、ふいに焼酎が欲しくなった。

 もう何のためらいもなく、件のふすまを開けるとかび臭い自室が広がっている。

 薄暗い部屋に足を踏み入れ、カーテンを引き、本棚から焼酎を取り出した。

 そうだ。この和室は陰気で湿っぽいから寝室にするのも嫌で、結局居間のソファで寝るようになったんだった。

 台所に戻ると、そこの明るさにはっとする。

 こうこうと蛍光灯に照らされた食べ物はどれも艶っぽく、湯気を立てていて、活き活きとした輝きを放っていた。

 (さあ食べて、わたしを食べて早く元気になって)

 まるでそう言っているようだ。

 わたしはお湯割りを作り、席についた。

 カーテンの向こうでは、また雪が降り始めた。夜になると積もった雪は青味を持つ。

 お湯割りを飲むと、身体が一気に温かくなった。

 大根を食べ、ちくわを噛み、こんにゃくの食感を楽しみながら、ふりかけご飯を味わう。

 焼酎が食欲を増進させる。夢中で食べているうちに、お腹が満ちてゆく。生命力が戻ってくる。

 そしてふいに、混濁した脳内がはっきりとした。

 (ああ、そうか。ここにはハイジなんかいない。ハイジなんか)

 最初から一人で住んでいた。

 一人で調理し、食べ、元気をもらい、立ち直ってはまた過酷な世界に戻ってゆく、そんな日々を送っていた。

 もうわたしはとっくに気づいていたのだが、さっき帰宅してから幽霊はおろか、ポルターガイスト現象も起こっていない。実に静かなものだ。

 ハイジもいないのに。

 ふいに、ぶるぶると携帯が鳴りだして、わたしは食事の手を止めた。

 思わず時計を見る。もう夜の11時を回っているじゃないか。

 誰だ、と取り上げると、表示画面に「はは」と出ており、息を飲んだ。

 ざざざざざ、と薄く積もった雪が屋根を滑り落ちる音が聞こえた。


 (さよならハイジ2に続く)

 

短編シリーズの最終話を二話編成で執筆しておりますが、お気に召しましたら他のお話もどうぞ。

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