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深淵からのぞいていたのは、あくまでも神でしたか?  作者: Yuzuki
第一章 「死者と共に暮らす村」
9/10

第九話 「帰還、そして」

本日は二話(第九話と第十話)連続投稿とします。


第十一話は3/23(月)の深夜に投稿します。

よろしくお願いします。

 以前、同じ道から木々の間を抜けてきたとき、見えた村の様子は新しい生活を予感させるもので、不安はあっても期待のほうが大きかった。

 しかし、遠征から戻った今、目に映る村の姿は、どこか物悲しさに包まれていた。


 坂の上、村長の家の前の広場に、村人たちが集まっている。

 その頭上に、煙が静かに立ちのぼっていた。


「……嫌な予感がするわ。子どもたちに何かあったのでは!」

 トリリシャが呟き、駆けるように村長の家へ向かう。


 悠は肩に担いだカッシオの体を支えながら、息を切らせてその後に続いた。


 村に足を踏み入れると、空気が止まっていた。

 倒れた柵。泥にまみれた地面。


 そして、広場の中央に白い布がかけられた何かがある。


 いや、何かはすぐにわかった。わかってしまった。誰かの命が、失われたということを。


 それでも悠は、聞かずにはいられなかった。

「……そ…その、」

 声が出ない。

 息を吐かなければ声にならないというのに、息を飲み込んでしまう。

「その、ぬ…ぬのは?」


 ゴードンが答えた。

「……トールだ。」

 彼は静かに首を振った。


「喰われた。子どもたちを守ってな。」

「……遺体は見んほうがいい。心がもたん。」


 トリリシャは白布へと手を伸ばした。

 しかし、指先はそれをすり抜け、何も掴めない。

 触れようとした場所に、淡い光が弾けて消えた。

 まるで、涙の代わりのように。


「お父さん……」

 彼女の声は風の音に紛れていく。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 それでも、誰も彼女を抱きしめてあげることはできなかった。

 幽霊である彼女には、慰めの手を受けることも、誰かを抱くことも叶わない。

 その孤独が、沈黙よりも痛かった。



 悠はふらつく足取りのまま、レネに手伝ってもらいながら、カッシオを村長の家の縁側に降ろした。

 ずっと背負っていたために、腕の感覚がなくなっていた。

 悠は気づいていなかったが、レネもずっと後ろでカッシオを支えてくれていたようだ。


 ミランダが駆け寄り、カッシオの脈を取る。

「……寝ているだけみたいね。カッシオに何が——」


 その瞬間、カッシオが小さく呻き、目を開ける。

「……悠、ここは……村か?」


「ええ。帰ってきましたよ。」

 悠の声は、思わず震えていた。


 カッシオはぼんやりと周囲を見回し、白布のかけられたトールを見つける。

 その目が静かに曇り、唇が微かに動いた。

「……そう、か。俺たちは……」

 カッシオはそれ以上に言葉を続けることはなく、再び目を閉じた。



 その日の午後、村の中央で葬儀が行われた。普段であれば晩ごはんの準備を始めて、村の家々からいい香りの漂う時間だった。


 棺には、トールの遺品がひとつずつ納められた。

 いつも被っていたお気に入りの帽子。古びた眼鏡。

 火の光がそれらを照らし、やがて灰の中に沈んでいく。


 幽霊たちが祈りを捧げる中、悠はふと周囲を見回した。

 トリリシャもほかの霊たちもいる。だが、トールの姿はない。


「……そういえば、トールさんは幽霊になったんじゃないんですか?なんで……いないんですか?」


 悠の問いに、リオーネは沈痛な面持ちで答える。

「…ハルはまだ、知らなかったわね。幽霊には、なれる人となれない人がいるのよ。あの人は……なれなかったんでしょうね…」


「おそらく、寿命を使い切ったのだろう。」

 ゴードンが静かに言葉を継ぐ。

「自然死や病死したものは幽霊になることはない。事故死や突然の死を迎えた者だけが幽霊となれる。おそらく、本来なら生きられた年齢までの生命力のようなものが関係しているのだろう。」

「あの人は命を燃やし尽くして、あの子らを守った。そういうことなんだろうのう。」


 トリリシャがすすり泣く声が、夜気に溶けていった。

 リオーネが泣きじゃくるテオを抱きしめ、アイネはただ黙って空を見上げていた。

 火の粉が星々の間を舞い、やがて夜空に消えていく。



 夜の帳がすっかり下りた村の集会所では、遠征隊と村長たちが囲炉裏を囲んでいた。

 炎は小さく、火の粉がときおり跳ねては、誰かの沈黙に消えていく。


「……サラビたちは、もう理を失っている。」

 カッシオの低い声が空気を裂いた。

「山の奥で見た痕跡は理性的な者の仕業じゃあなかった。食うこと、そのものが目的みたいだった。」


 ゴードンが眉を寄せる。


「……山の気がゆらいでいるから、だからこんなことに……。」

 集会所に集まった者の中から、そんな声が聞こえてきた。


「その“山の気”というのは、何なのでしょうか?」

 悠は黙って聞いていたが、やがて口を開いた。

「以前、カッシオは“山の機嫌”と言っていました。慣用的な表現かと思っていましたが……事実、なにかがあるんじゃないですか? サラビたちを狂わせてしまうような、“何か”が。」


 カッシオはわずかに顔を上げた。

「……山の気、か。確かに……何かが、いた。」


 言葉を探すように、彼は目を伏せる。

「黒い沼があった。朝の霧の中で、そこに“何か”が見えた気がしたんだ。輪郭も、形も、覚えてはいない。だが、あれを見た瞬間、強烈な頭痛に襲われて……気づいたら、倒れていた。」


 しかし、その“何か”が何であるのかを答えられる者がいるわけもなく、再び沈黙が訪れる。


「ひとまず、休息をとるとしよう。みな疲れておる。心も体も。」

 ゴードンが沈黙を破り、今日の終わりを告げる。


 遠征から戻った若者たちは、村長宅で休息を取ることになった。

 昨日の惨劇が再び繰り返されないよう、村長の家には村人たちも避難していたが、遠征に参加した者には一番広い部屋が与えられ、静かに体を休めることが許された。


 カッシオは悠に支えられ、布団の上に横たえられる。

 深く息をつき、まるで体の奥から抜けていくように力が抜けた。


 夜が深まり、外の静けさが村を包むころ、悠もまた布団に身を預け、目を閉じた。

 長く厳しい山中での行動と、村での惨劇の余韻が、疲労と共に心に重くのしかかる。


 互いに言葉を交わさず、ただ夜の闇に沈む村を感じながら、遠征の夜は静かに更けていった。


 「幸い」と誰も言えるはずもなかったが、その日の夜はサラビたちが村を襲うことはなかった。

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