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深淵からのぞいていたのは、あくまでも神でしたか?  作者: Yuzuki
第一章 「死者と共に暮らす村」
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第八話  「黒い沼の朝」

次の投稿は3/21(土)の深夜に行います。

 家に飛び込むと、二人は言葉を失った。

 ショックのあまり、テオは息を荒げる。胸の奥が締め付けられ、呼吸がうまくできない。


 ミランダがすぐさまテオを抱きしめる。

「大丈夫、大丈夫だから……落ち着いて。」

 震える声と体を包み込み、落ち着かせようと必死になる。


 村人たちの合間を縫って、リオーネが真っ青な顔で現れ、ミランダに代わりにテオを抱きしめる。

 一方、アイネは立ったまま動けず、目の前にある現実と恐怖との間に取り残される。意識はふわりとどこか遠くに飛んでいってしまう——。


 ——何時間も経ったように感じられた静寂の後、ようやくアイネが口を開いた。

「おじいちゃん……まだ外にいるの。」


 その言葉に、ゴードンが顔を上げる。


「助けに行かなくっちゃ。」

 アイネが小さく呟き、扉へ歩み寄る。


 ゴードンがそっと肩を抱く。

「……やめてくれ、アイネ。」


 祈るような、あるいは泣き出しそうな声色だった。ゴードンの、その初めて聞くその響きに、アイネの指が扉の取っ手に触れたまま、力なくほどけていく。


 リオーネの腕の中で、テオが小さな泣き声をあげた。


 外では、もう何の音もしなかった。


——逝ってしまったのか…、トール。



 村への襲撃が行われている頃、遠征隊はカッシオを中心に山中の調査を慎重に進めていた。悠とカッシオが昨日訪れた場所よりさらに奥、サラビの住まいがあったという風穴まで来ていた。

 道中、昨日まではなかったはずの動物たちの死骸が無惨にも残されていた。


——食うために殺したあとか?これが……。


——食わんでもええのに、無理矢理腹に詰め込むことを強要されてるみたいや。


「……嫌な空気だな」

 悠の隣で、カッシオが低く呟いた。


 夜霧の中、まるで自分たちしかいないように衣擦れの音ばかりが聞こえる。

 風はなく、まるで森全体が警戒するように息を潜めているようだった。


 斜面を登るにつれ、空気がじっとりと湿り気を帯びて重くなっていく。夜の闇が粘りつくように手足にまとわりつく。切れない糸に絡めとられるようだった。


「—ふ、はあぁ、今日はここまでにしよう。」

 カッシオがまるで今まで水に潜っていたかのように息を吐き、遠征に参加する者たちに野営を指示する。


 若者たちは使命感からここまで進んで来たが、体力はすでに限界に近かった。全員が安堵するように野営の準備を始めた。


「このままここで夜を明かすのは危険だわ。引き返すべきではないかしら?」

 トリリシャが静かに悠に囁く。


「……そう、かもしれません。でも、ここで引き返してしまったら、早く解決できないと——村の人たち、特に子どもたちに被害が出てしまうかもしれません。」

 悠の声には焦燥が滲んでいた。


 トリリシャは悲痛な面持ちでそれを聞く。

 アイネやテオ、トールやリオーネたちの顔が脳裏をかすめ、胸が痛んだ。


「せめて、わたしたち幽霊がこの先も確認してくるわ。わたしたちはもう死ぬことは無いんですから。」

 悠が何か言う前に、トリリシャは他の幽霊たちに二言三言話し、夜の闇に溶けるよう消えていった。


 やがて野営の準備が整い、交代で二人ずつ休むことになった。

 昨日から山へ入っていた悠とカッシオは、先に休息を取ることになった。


———


「—。——ビたちはこの付近におらんかった。」

「ただ近づくことができない、いいえ、禁止されていると感じる場所があったわ。開けていて何も無いように見えたけれど…。」


 幽霊たちの声が聞こえ、悠は目を覚ます。


 それに気づいたボルドーが悠を気づかう。

「ハル、起こしてしまったか。まだ交代までは時間がある。寝ているといい。夜が明けたらまた動かなければならんからな。」


「いえ、大丈夫です。目が冴えてしまって……水でも飲んで大人しくしておきます。」


「そうか?無理はするなよ。」


 やがて、交代の時間が来て次の2人が眠りに入った。

悠は焚き火の光を見つめながら、村で過ごした穏やかな日々を思い出していた。


———


 夜が白み始めたころ。

 山は濃い霧に包まれていた。木々の間から、自分たちよりも低い位置に開けた窪地が見える。幽霊たちが言っていた“開けた場所”だろう。霧が溜まり、雲海のようになっていた。


「カッシオ、あそこ池か何かがあるんでしょうか?」

「ああ、普段ここまで釣りで来るこたぁねぇけど、魚がいっぱい泳いでて綺麗な池だったはずだぜ。」


 そのとき霧の奥で黒いものがちらりと見えた。やがて、霧の切れ間の向こうに——黒い水面が現れた。


 水ではない。ぬめりを帯びた闇が、池であったは

ずの場所に溜まっていた。

 光を吸い込み、輪郭を曖昧にするそれは、まるで夜の残滓のように沈んでいた。


「……池…ですか?」


 悠が声をかけた瞬間、カッシオの足が止まった。

 何かを見つめるように立ち尽くしたまま、応えない。

 悠がもう一歩近づこうとしたとき——


「……カッシオ?」


 その名を呼ぶ声に反応することなく、カッシオの身体が崩れ落ちた。

 音もなく、まるで糸が切れたように。


「カッシオッ!」


 悠は慌てて駆け寄り、体を抱き起こす。

 額には汗がにじみ、恐ろしいものを目にしたように白目を向いている。


——は、はあ?え、えっと……。


——っとあかん、助けを!


———


 カッシオが倒れた後の一、二時間、遠征隊の間には沈黙が漂っていた。

 晴れない霧の中に何が潜んでいるというのか。自分たちの根拠のない自信を崩すには、十分な時間だった。


 野営地の焚き火の側に寝かされたカッシオは、まるで深い眠りに沈んでいるようだった。

 呼吸は浅く、時折、微かに眉を寄せる。夢でも見ているのかもしれない。


「……戻ろう。いったん村へ。」

 誰かの、誰に向けたものでもない呟きが冷えた空気に溶けた。


 誰も異を唱えず、静かに頷く。

「ただの村人には無理な話だったんだ」

 そんな声が聞こえた気がした。


 悠は身をかがめ、カッシオを背に負う。

 体格差に重心を取られながらも、歯を食いしばって立ち上がった。


「何が起こってるんや……。」

 息を荒げながらも、足を前へ運ぶ。

 背後の黒い沼は、相変わらず静かに、まるで何事もなかったかのように凪いでいた。


 山を下りる道は、霧のせいで見通しが利かない。

 それでも、だれも足を止めることはなかった。

 ただただ村へ、家へ帰って安心したかった。


 道中、レネやボルドーたちが「背負うのを代わろう」と言ってくれた。

 けれど悠は首を振った。

 責任の有無は関係ない。ただ、何もできていない自分の無力感を紛らわせたかった。


 誰も口を開かない。

 風もなく、ただ足音と衣擦れだけが響く。


 ようやく霧の切れ間から村の屋根が見えた頃、

 悠の背を支えていた緊張が一気に抜け、膝が笑った。


「もう少しです、カッシオ……もう少しで着きますから。」


 その声に応えるように、

 カッシオの唇がわずかに動いた気がした。

 しかし言葉にはならず、再び沈黙が戻る。


——村の方角から、煙の匂いがした。

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