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深淵からのぞいていたのは、あくまでも神でしたか?  作者: Yuzuki
第一章 「死者と共に暮らす村」
4/10

第四話 「川の音にまぎれて」

第四から六話の投稿です。

第七話は明後日3/17(火)に投稿します。

当面は二日に一度更新します。

 朝、霧が川面に薄く立ちこめていた。

 木々の葉を撫でる風の音が心地よい。村の一日は、いつもこの穏やかな空気から始まる。


 悠はいつものように水路掃除の道具を肩に担ぎ、川沿いの道を歩いていた。


 時が過ぎるのは早いもので、この世界へ来てから、もう三ヶ月ほど経とうとしていた。

 最初の頃は、「ひょっとすれば夢なんじゃないか、いずれは覚めるんじゃないか」などという考えが頭を離れなかった。しかし、時間が経てば経つほどに、水路の水の冷たさや、足元を撫でるこそばゆい水草の現実が、実感となって悠に染みついた。


 三ヶ月も経つと、言葉はまだ拙いが、アイネとテオが毎晩のように倉小屋へ来て教えてくれるおかげで、意思疎通はなんとかできるようになっていた。なぜかカッシオとは普通に話せるのもあって、習熟は早い方だろうと悠は思う。


 水路の掃除にも慣れてきた。

 まずは上流から下流まで水の流れを妨げる箇所を確認し、詰まりがあれば取り除く。ただ片っ端から掃除するのではなく、流れを整えることが目的だ。要は、水が滞らずに流れていればいい。


 昼過ぎ、見知った顔の少年が暗い顔でやってきた。

「おーす、ハルいるか?ちょっとだけ匿って欲しいんだけど。」


「別に僕の仕事を手伝ってくれるんなら構わないけど、今日は鍛冶の手伝いはもういいの?」


「いいんだよ。あんな雑用ばっか、今日絶対やらなきゃいけない仕事じゃねーし。」

 悠のことを「ハル」と呼ぶこの少年は、鍛冶屋の息子のレネだ。今年で十五歳。大人の働き手として数えられる年齢になったばかりで、仕事の厳しさに辟易してよくこうして逃げてくる。


 レネは苦笑いを浮かべながら、煤の残る手のひらで頭をかいた。


「カルロスさんは相変わらず厳しいの?」


「うん。まあな。けど、それが仕事だし……。俺、親父の跡を継ぐ気はあるんだけどさ、時々、これ以外の仕事してる自分とか考えちまうんだよ。別に他にやりたい仕事があるわけじゃないけど。」


 悠は笑って頷いた。

「わかるよ。仕事って、覚えるまでが一番大変だから。嫌になるかもしれないけど、続けるのが一番の近道だよ。」


「でもさ、炉にくべる薪切ったり、運搬ばっかりじゃつまんねーよ。」


 ふたりは水路沿いを歩きながら、落ち葉を掬い上げていく。澄んだ流れの底では、小石が陽を受けてきらめいていた。

 遠くでは、子どもたちのはしゃぐ声。アイネとテオが川辺で遊んでいるようだった。

 テオは草むらに身をかがめ、何かをじっと見つめている。

 虫でも探しているのだろうか——悠はそう思いながら、気にも留めずに通り過ぎた。


 そんな子どもたちを見守るように幽霊たちも村を漂っている。生者と死者が同じ空を見上げる光景——この村ではそれが、何より自然な日常だった。


 しばらく作業をしていると、悠の熊手が何か固いものに触れた。掬い上げてみると、それは見慣れぬ獣の肋骨。野生動物の死骸が水に流されて来たとは思えないほどに綺麗なものだった。


「この前この辺掃除したときは無かったのになぁ。すぐ汚れるもんだね。」


 レネも覗き込み、眉を寄せる。

「その骨、猪……かも。けど、ここらに猪なんて滅多に出ねぇぞ。死んだのが流れてきたにしては綺麗過ぎるし、誰かの食い残しか?」


「かもね。でも普通、砕いて肥やしにするんじゃないの?水路に捨てるなんて変じゃない?」


 ふたりが水路で考えていると、猟師のベルトラムが通りすがった。


「お、ベルトラムのおっさん。珍しいじゃん。村にいるなんて。」


「こんにちは、ベルトラムさん。」


「おう、こんにちは。今度山を降りるから、村長に挨拶にな。」


「また、熊売りに町に行くのか?」


「そうだ。ところで、お前が持ってるの熊の骨か?どこで拾ってきたんだ?」


「何か、水路に流されてきてたんだ。これ熊なのか?」


「大きさ的にはそうだな。ふむ、最近は狩り場が妙に獣に荒らされているから、その死骸が流されてきたか。」


「村の近くに獣が来ているのかもしれん。ハル、カッシオに教えておいてやるといい。」


「ええ、わかりました。」


 骨は回収し、他のゴミと一緒に処分する。ベルトラムが去った後、ふたりはまた無言で作業を続けた。しかし、どこか空気が変わったような気がしていた。

 いつもと違うことが起こって、今日は何か特別な日なんじゃないかと考えてしまいがちになっているだけかもしれないが。

 でも、後で思い返すと——風の匂いは、確かにいつもとは違っていたのかもしれない。


———


 日が傾く頃、ふたりは作業を終えて各々の帰路についた。

 悠は家に帰り、仕事道具を下ろすと、トリリシャたちの家へ向う。悠の住む倉小屋は料理ができるような設備がない。

 だから、トールが「うちに来て一緒に食えばいい。孫たちも喜ぶ」と言ってくれたのだ。


「帰りました」と扉を開けて入ると、トリリシャが子どもたちと夕食の準備をしていた。

「おかえりなさい」と3人の親子が声をかけてくれる。

 炉の前でアイネが小さな手で野菜を刻み、テオが火吹き竹をふうふう吹いている。

 トリリシャは微笑みながら、その手元を見守っていた。


「トールさんとリオーネさんは?」


「雨の季節が近いからって、畑の整備をしてるわ。でも晩ごはんには戻るそうよ。」


「今日はね、アイネとテオの特製スープ、——ツァルのつくね入りよ。」


「へぇ、期待大ですね。」


 トリリシャは嬉しそうに微笑んだ。幽霊であることを忘れてしまうほどに、温かい笑顔だった。

 

 その夜、家族揃っての夕食。笑い声が絶えない食卓。炉の火がぱちぱちと弾け、湯気が天井に昇っていく。

 生者も、死者も、等しくその温もりの中にいた。

 母が幽霊であっても、そこにあるのは何気ない幸せな夕餉の風景。


 それが、永遠に続くようにすら思えた。


———


 夜が更け、皆が眠りについたあと。

 トリリシャはひとり、外に出た。今夜もまた、川へ祈りを捧げに行くためだ。

 だがその夜、風はいつもと違っていた。重く、湿り気を帯び、見えない何かがゆらめくような気配を孕んでいる。


「……これは……?」


 川面は静かに揺れているだけだった。

 けれど、その下に何かが蠢いているような——そんな錯覚を覚える。


 トリリシャはしばらく立ち尽くし、やがてそっと祈りの形を結んだ。

 右手を首の後ろに、左手を胸に。


——魂を、まだ連れて行かないで。


 夜風が草を揺らし、遠くで犬の遠吠えが響いた。

 川のほとりには、まだ誰も知らない“不穏”の影が、静かに滲みはじめていた。

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