第十一話 「閉ざされゆく道」
第十二話の投稿は3/25(水)に行います。
どうぞよろしくお願いします。
トールの帰還の知らせを受けた村人たちは、その日の午後、いつもより早く仕事を切り上げ、避難所となっている村長宅へと集まった。
囲炉裏の火を中心に、ぎっしりと詰めかけた村人たちへ、これまでの調査で判明したこと、そしてトールが持ち帰った情報が共有される。
「つまり、山には龍がいて、そいつがなぜかわからんがサラビを狂わせて、俺たちを襲わせているってわけか?」
「“龍らしき存在が関係している”というだけだ。そやつがサラビたちを使って俺たちを襲わせているかどうかまでは、まだ分からん。」
苛立った声に、ボルドーが静かに答える。
「そんなことはどうでもいいだろうがッ!」
男が怒鳴り、場の空気が一気に張り詰めた。
「トールじいさんが死んだんだぞ!どう解決するんだよ!俺らの家は!?家族はどう守るんだ!?」
その叫びを皮切りに、堰を切ったように不安の声が上がる。
「具体的にどうするかを考えないといけませんね。」
「はっ!気楽なもんだな。新参者で家族もいないから落ち着いて言えるんだろ。知ったような顔してさッ。」
小さく吐き捨てる声。
「おいっ!今の誰だ!悠だって村の仲間だろうが!俺の友だちバカにしてンじゃねぇぞ!!」
「…いいんですよ、カッシオ。みんな余裕がないんですから。思ってもないことだって言っちゃいます。」
「そういうことじゃねぇだろ!言っていいこと悪いことってのがあンだろ!」
「家族もいねぇお気楽な奴らは黙ってろ!!」
「ンだと!?ぶっころ、…ぶっ飛ばしてやる!!表へ出ろ!!」
カッシオは、倒れたばかりだというのに土気色の顔を赤く染めて、外へ飛び出しそうになる。
「やかましい!やめんかっ!」
ゴードンの怒声が場を叩き割った。
「喧嘩なんてガキみたいなことをしとる場合かっ!」
しん、と場が静まる。
「ハルの言うとおり、わしらはこれからどうするかを考えねばならん。」
「まず、わしはもうこの件は、わしら村人の手に負えるものではないと思っておる。」
「害獣を一匹狩る程度なら、熟練の猟師がおればよかった。だが、一人の命が理を失った妖の集団によって失われた。…トールにはすまんが、一人だけで済んだのは不幸中の幸いというやつだろう。」
「さらに、加えて龍までおるかもしれん…。村人の、手に余る事態だろう……。」
「…それは、村を捨てるって言いたいのか?」
「ここを出て、どうやって生活をすれば良いの?」
「豚や馬なんかは置いていくのか?」
誰もが現実を受け入れきれず、声が上ずる。
「ひとまずは、だ。山がこのままではいずれまた犠牲が出る。命を捨てるような真似を許すことはできん。」
「山を降りて、領主様に助けを求めるべきだろう。」
ボルドーも頷く。
「山を降りてから領主様に連絡したって……早馬でも三日はかかるぞ。」
「軍が動くなら、二週間は村を離れることになる……。」
「でも、他にどうしようもないんじゃないか?ここに無理に止まっても、次に誰が死ぬことになるか…。山を下りてからの蓄えだって全くないわけじゃない。仕事を探してなんとか——」
「蓄えはある。潤沢とは言えんが……一週間、それぞれが生活できるだけの支援金は出せるはずだ。」
「明日の朝には出発できるよう準備しておいてくれ。
ボルドー、各家に渡す支援金の準備を頼む。」
「ああ、任せてくれ。」
ゴードンと各家の家長により村を出てからの計画の細部が詰められ、話し合いはようやく終わりを迎えた。
村長宅を出ると、空には厚い雲がどんよりと垂れ込めていた。
唸るような風が山肌を撫で、遠くで雷鳴にも似た響きが鳴る。
——まるで、村の行く末を暗示するかのように。
———
その夜、村はいつになく静まり返っていた。
子どもたちは村長宅へ集められ、若者と大人たちは見張りに立っていた。また、壮年の女性陣はミランダを筆頭に見張り小屋代わりの家に詰めている。
トールの、サラビたちが川沿いを伝って黒い沼に戻ったという情報から、川沿いを重点的に見張りが置かれた。
村の灯りは落とされたまま、代わりに見張り小屋や柵沿いに灯る松明の炎だけが、夜気の中で揺れている。
誰も眠らない。
「……空気が重い。」
柵のそばで槍を構えていた若者が口の端から漏らす。
「風が凪いでいる。」
別の猟師が、湿った空を睨む。
悠とカッシオは、柵の内側で木の先端を鋭くしただけの槍を握っていた。
狩りや釣りをしたことはあっても戦いは初めてだ。
「怖いか?」
カッシオが悠に尋ねる。
「怖いですよ……殺すのも殺されるのも。」
悠は震える手を握りしめた。
「それもそうですけど、カッシオはもう大丈夫なんですか?」
「寝てるわけにもいかねぇだろ。」
「それに、悠が考えた秘策があるからな、俺はそこまで心配してないぜ。」
「策なんて立派なものじゃありません。その場しのぎの対応策です。焼け石に水かもしれませんよ。」
この日の夜は悠の提案で川沿いに肉などの匂いの強い食べ物を配置している。
「サラビたちが気が狂うほどの空腹であるなら、食べ物を置いておけば、なんて安直な考えです。」
「夜行性?がどうとかって話は感心したけどな。誰もサラビの習性なんて知らねぇしよ。」
その時。
——カランッ。
張り巡らされた鳴子が一斉に騒ぎ出す。
カラカラ、ガラガラガラ——
ざぁざぁ、ざぁざぁ、ざぁざぁ——
地面を這う音が、波打ち際のように広がる。
——来たっ!
誰もが心の中でそう思う。
その時、柵を飛び出した影がサラビたちに向かって叫んだ。
「やれるもんならやってみろぉ!!」
「バカッ!!何やってんだ!!みんな構えろおぉぉ!」
ボルドーが叫ぶ。
ボルドーの怒号と共に、サラビたちに向かって松明が投げ込まれる。
松明の灯りがサラビの姿を露わにする。
目は白く濁り、所々、剥がれ落ちた鱗が痛ましい。
裂けた口には赤黒い血がついている。獲物の血か、あるいは彼ら自身が吐いた血か。
投げ込まれた松明にサラビたちは怯まなかった。
しかし、集団の動きが少し変わった。
集団はばらけ、多数が村長宅から遠い川の下流に向かうような進路をとる。
下流に向かわず、柵を乗り越えようと這って近づいてくるものは槍で突き刺して対処する。
だが、上手く刺さらない。
サラビの硬い鱗と筋肉質な体にはかすり傷にしかならない。
槍は、気付けば払い除けたり叩きつけるようにして使うようになっていた。
「だめだ!数が多すぎる。下流に向かわせた集団も少しこっちに戻ってきてるぞ!用意した食いもんも全然足りてない!」
「耐えるしかねぇ!絶対に柵を越えさせるな!!」
「ぐぁあぁあ!くっそがぁ、食われてたまるかよ!」
「あ、あしが、あしがぁあ!」
槍を持つ手を噛まれる者、足に食いつかれる者が出始める。近くにいる者がそれらを引き離すようにして槍を叩きつける。
「頑張れ!俺らが負けたら、村は終わりだぞ!!ふんばれ!!」
「怪我人は下がれ!小屋で治療してもらえ!!」
「だめだ、全然手が足りんぞ!このままじゃ崩壊する!」
ミランダたちが手に鍋を持って飛び出してくる。
「うちの旦那に手を出すなぁ!」
熱した油やら熱湯をサラビたちに浴びせかける。
「は、ははっ!母は強しってやつだな!悠!」
カッシオは苦しそうに肩で息をしながら言う。
「ほ、ほんまに、すごいですね。…ぼ、僕なんか全然あかん、、」
悠はカッシオ以上に疲労し、息も絶え絶えになっている。
どれほどの時間が経っただろうか。悠は疲労と酸欠で目を回して倒れて、柵の内側で寝かされていた。
「サラビたちが退いていく…?」
「これで終わったのか?」
川沿いに山頂へ戻るように、サラビたちは引き上げていく。
深い静寂が戻り、村人たちはその場に崩れ落ちた。
村人たちは、荒い息の中でへたり込む。
「……死人は、いないな?」
ゴードンが確認する。
「腕の骨折が一人、裂傷は五人……だが、全員生きてる!!」
ボルドーが叫ぶ。
それは唯一の救いだった。
だが誰も、喜びはしなかった。
ただ、やはり限界が近いと悟っただけだった。
「翌朝、村を出るぞ。」
ゴードンが低く言う。
いつからか、村人たちの頭上には雨が打ちつけるように降っていた。
———
翌朝。
夜を通して降り続いた雨は、朝になっても衰えを見せなかった。
風は細い村道を巻き込み、村の家々の屋根を震わせる。雷鳴が遅れて山腹に響き、湿った空気が肌にまとわりつく。
それでも、村人たちは荷を背負い、家畜を引き連れ、出立の準備を整えていた。疲れた顔のまま、それでもどこかほっとした表情を浮かべている。
「昨晩みたいな目に遭うよりマシだ……。」
「山を下りちまえば、助けも呼べる。やっと……終わる。」
誰かがそう呟き、周囲に小さな安堵の波が広がった。
「みんな列になるんだ。特に子どもらは足元に気をつけて歩くんだぞ。ぬかるみが酷いからな。」
ゴードンが声を張り上げる。
村人たちはゆっくりと山道へ向かい始めた。背負子には毛布と最低限の食糧、抱えた荷篭には衣服や家から持ち出した思い出の品。それらには、ここでの生活の名残が詰まっている。
荷をまとめる村人たちの周囲には、幽霊たちの淡い光が揺れていた。
しかし、その光はどこか儚げで、村人の後を追うでもなく、ただその場に留まっていた。
ゴードンが振り返り、幽霊たちに問いかける。
「すまんが……わしらは山を下りる。麓までは共に行くか?」
ライエンは静かに首を振り、答えた。
「……いや、やめておこう。触れることは叶わないが、馴染みのある家にいたいと思う。」
その言葉に、村人たちは改めて悟る。
——幽霊は、生者の逃避行には同行できない。
——彼らはここに“残る”しかない。
ライエンは続けた。
「それに……サラビたちがどう動くか、見ておきたい。わしたちにできるのは、せいぜい村の変化を見届けることくらいだ。」
静かな声だったが、その奥には諦めではなく覚悟の色があった。
村人たちは小さく礼を告げ、それぞれ視線を前へ戻す。
だが、山道の入口に近づくにつれて、空気が変わった。
雨脚がさらに強まり、風が一段と鋭くなる。木々が軋み、枝が折れ、湿った土の匂いに、どこか金属めいた匂いが混じる。
「風……強くなってねぇか?」
その時だった。
先行していた数名が、泥にまみれながら駆け戻ってきた。
「戻れッ!前に出るな!!」
「道が……やばい!崩れ——」
しかし、警告が声として届くより早く、山が呻いた。
——ゴゴゴゴゴォォォッ!!
地鳴り。次いで、空気が震えるほどの轟音。崖の上から巨大な岩塊がひとつ、ゆっくりと、しかし抗いようもなく落下してくる。瞬きする間もなく、次々と土砂が崩れ、倒木が絡まり合い、濁流のように山道へ雪崩れ込んだ。
視界は茶色と灰色の土煙に覆われ、辺り一帯が土砂の奔流に飲み込まれる。
「うわあああああッ!!!」
「下がれ!全員下がれぇッ!!」
村人たちが泥に滑りながら後退する。怒号と悲鳴が雨にかき消される中、崩落はしばらく続いた。
やがて、轟音が止む。
雨音だけが残る。
そこにあったはずの山道は、跡形もなく塞がれていた。岩、土砂、折れた大樹が折り重なり、まるで自然が巨大な壁を築いたかのようだった。
「……嘘……だろ……」
誰かが呆然と呟く。
「山が……道を閉じたッ……!」
「こんな規模じゃ…何日かかるんだ……掘り返せるわけがねぇ……」
誰も、言葉を続けられなかった。
ゴードンは、雨に濡れた髭を握りしめ、唇を噛み締める。
「……戻るぞ。今は動けん。全員、村へ退避だ。」
村人たちはただ無言で頷き、再び村へと足を向けた。その道のりは、朝よりも遥かに重く、冷たかった。
そして誰もが、胸の奥で同じ恐ろしい直感を抱いた。
———この山からは逃げられない———




