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深淵からのぞいていたのは、あくまでも神でしたか?  作者: Yuzuki
第一章 「死者と共に暮らす村」
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第一章 第一話 「目覚め」

妖や龍、奇妙な現象。それらが当たり前に存在する世界で暮らすなら、きっとこんな感じ——そんな日常を描いた物語です。


あまり戦いの多い話ではありませんが、その時はいずれ訪れるかもしれません。


少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

 土の匂いが鼻をついた。湿った苔が指先に触れ、かすかに冷たい。

 青年・椿木 悠(つばき はるか)はゆっくりと上体を起こした。木々のざわめきが耳に入る。風が吹き抜けるたび、葉の音が波のように広がっていく。


——ここは、どこや。


 そう思っても、直前の記憶が霞がかったように浮かばない。

 名前は、わかる。そして、顔も。幼い頃の記憶もある。しかし、昨日の夜を思い出そうとした瞬間、まるで何かが意図的に削ぎ落とされたかのように思考が空回りした。


「……飲みすぎたん、か?」

 そんな言葉が口をついて出る。


 しかし、そんなはずはない。

 酒を飲んだ覚えはない。

 ましてや酔って野外で潰れるような真似など、一度たりともしたことがなかった。


 胸の奥が、ざわり、と蠢いていることに気づく。心臓ではない。感情そのものが、生き物のように体の内側でうごめいている。喜びや悲しみではない。緊張しているわけでも、ましてや恐怖でもない。怒り、だろうか。まるでたった今まで激怒していたかのような、そんな気がする。

 やがてそのざわめきが静まり、ようやく周囲を見る余裕が生まれた。


 目の前には、黒ずんだ灰と崩れかけた焚き火の跡。焦げた木片の間に、まだ白い煙が細く漂っている。

 誰かが、ここにいた。そして、火を焚いていた。

 それが自分なのか、他人なのかさえ、悠にはわからなかった。


「おっ、起きたか。」

 不意に背後から声がした。振り返ると、ぼさぼさの髪に草のついた上着、釣竿を片手にした男が立っていた。男の服は泥だらけで、魚の匂いがする。だがその目だけが、妙に冴えていた。


「……おまえ、誰や?」

「名前を聞く前に、礼ぐらい言えよ。焚き火、俺がしてやったンだぜ?」

 男はにやりと笑った。その笑みが、どこか神々しく見えたのは気のせいだろうか。


 悠は焚き火の跡を一瞥してから、男に向き直った。

「……火を、焚いてくれたのは、あなたなんですね。助かりました。」

 頭を下げるその仕草は礼節をわきまえていたが、視線だけは一瞬たりとも相手を離さなかった。


 男は釣竿の根元の方で土をつつきながら、肩をすくめる。

「助けるってほどのことはしてねぇよ。ただ、放っておいたら熊の朝食になるだろうと思っただけだ。」


「……そう、ですか。」

 悠は小さく息をつき、続けた。

「椿木 悠といいます。あなたは?」


 男は顔を上げ、少し意外そうに笑った。

「カッシオ。魚を釣ってるだけの、ただの男だよ。」


「カッシオ……、かしおさん、じゃなくて?」

「外国の方ですか?日本語がとてもお上手です。」


 カッシオは、きょとんとした表情を浮かべ聞き返す。

「……にほんご?」


「?ええ、今あなたと話しているこの言葉です。」


「あぁ…?悪いけどよ──“にほんご”ってのは、どこの国の言葉だよ?」


 悠の思考が止まった。

 カッシオの言葉が、音が耳を滑り意味をなさない。


「……今のは、どういう──」


「どっから来たのかは知らンが、お前の名前を聞くに、確かに故郷は違うのかもしれねぇな。そんで、俺は生まれた時からこの国の人間だぜ?……どっちかって言うと、お前の方が“外国人”なンじゃねぇの?」


 焚き火の灰が風に舞い、空へ溶けていった。悠は言葉を失い、ただ森のざわめきだけが、ふたりの間に落ちた。

 カッシオは悠の様子に興味もなさそうに、釣り糸を結び直している。その動作に妙な落ち着きがあった。


「……外国人、ねえ。」

 悠はゆっくりと辺りを見渡す。


 樹々の幹は細く、葉の形は見慣れたブナや楓に似ている。しかし、細部が微妙に違う。葉の縁は透けているように薄く、陽の光を受けると淡く光った。地面に広がる苔は青みが強く、つま先を押し付けると水分を含んだ音を立てる。


──日本の森に、こんな色はない。


 カッシオの脇に置かれた桶の中では、魚が跳ねていた。だがその鱗は銀でも青でもなく、ほのかに“金属のような虹色”を帯びている。

「魚、じゃ……ないんか?」


 思わず口に出た呟きに、カッシオが顔を上げる。

「ん?ああ、こいつか。『ツァル』だよ。うまいぜ、焼くと脂がじゅうじゅういう。一匹焼いてやるよ。」


 聞いたことのない名前だった。


 言語の響きもどこか奇妙で、悠の頭の中の「常識」という棚がひとつずつ音を立てて崩れていく。


——おかしい。


 空を仰ぐと、そこには確かに青があった。

 だがそれは“空色”ではない。

 まるで信号の青をそのまま水に溶かしたような、冷たく、光を拒む青だった。


 悠は唇を噛んだ。

「……なるほど、確かに僕が“外国人”みたい、やな。」


 その呟きに、カッシオがにやりと笑った。

「そういうことみたいだな。ま、気を落とすなよ。」

 それだけ言ってカッシオはまた視線を手元に落とす。


——ここはなんていうか、前に見た夢に似てる。何回も夢ん中で歩いた気ぃする。


 ふと悠が振り返る。並び立つ木の陰から誰かが囁くような声を聞いた気がした。

 何もいないように見える。しかし、確かに何かがいてこちらを興味深そうに覗いていたと感じた。

 気づいた瞬間、胸の奥の“ざわめき”が再び蠢いた。


「……何か、おる?」


「ん?あぁ、まぁ、いるだろうさ。」

 カッシオは悠の言葉を流すように答える。その意識は手元の魚の処理に向いているようだった。

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