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ナンジャモンジャ  作者: 藤堂慎人
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康子の葬儀

 式当日、私の家に両親と義両親が集まった。兄弟はいないので全部で5人の寂しい葬式になった。家族葬ということもあるし、コロナ禍での葬儀だ。内容的にはよくあるパターンとは異なる。葬儀社との打ち合わせでは、お経はリモートで行なわれることになった。これも感染拡大防止の一策ということだが、私も両親たちもここまでこれまでと異なるのかと驚愕した。


 集まった5名はその様子に落胆した状態だったが、式は静かに進んだ。葬儀社のスタッフはいたが、リモートでの読経が終わればすぐに帰った。


 私たちだけがその場に残された状態だ。


 喪主となっている私は気丈にふるまわなければならない。


 だが、気の利いた言葉が出る訳はなく、それは周りも同じだ。通常の葬式であれば故人との関係性からいろいろな話が出てくるのだろうが、全て家族だ。こういう時、全員が同じ気持ちになっているので、無言の時が過ぎていく。沈痛な面持ちで顔は下を向いている。義母は涙を流している。私も泣きたい気持ちだが、喪主が泣いたらもっと場が暗くなるのではと思い、必死にこらえた。時折トイレに行くふりをして、そこで涙をそっとぬぐった。もちろん、そのことは全員分っていたが、何も言わない。それが余計に悲しみを募らせる。


 トイレの中では自問自答していた。


「一緒に感染していたらどうだったんだろう。同じ病室にいられたのかな。そうしたらもっと一緒にいられたのに・・・。いやいや、重症化して自分がエクモを使うような状態になった時、康子に心配をかけることになる。そうすると、治るものも治らないかもしれない。でも、少しでも一緒にいることができたら・・・」


 答えが出ない「もしも」ということばかりを考えた。


 しばらくトイレに籠っていたがあまり長いと迷惑をかける。少し気持ちが落ち着いた時点でみんなのところに行った。


 母と義母が気を使い、用意してあった食事をするようにといった。食べないと身体に良くないし、康子も悲しむ、ということだった。仕出し屋にお願いした料理だ。お茶は2人の母が用意してくれた。


 家族ではあっても、適正な距離を取って食事をいただくことになったが、葬儀でこの様子はとても悲しい。コロナを恨む、という感情が高まってくる。おそらく世界中で同じような思いをしている人たちがこの瞬間にいるのだということを思うと、胸が切なくなってくる。


 味気ない食事でも、お腹に入れば少し気分も変わった。その時、義母が言った。


「この料理、康子が小さい頃、好きだったんですよ」


 思い出話のようなことを語り始めた。


「でも、私の味付けと違っているんで、もし康子がいたら、そのことを言ったかもしれませんね」


 目を細め、康子の小さな頃の話をし始めた。好きな食べ物だけでなく、どんなことをして遊んでいたか、幼稚園、小学生、中学生、高校生、大学時代などの話には、私が知らないこともたくさんあった。


 そのことは私の涙を誘ったが、この時は全員同じ状態だったので遠慮することも隠すことも必要ない。義母の話にみんな耳を傾けていた。



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