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ナンジャモンジャ  作者: 藤堂慎人
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思い出の深大寺 1

「久しぶりだな。でも、変わっていない。何だかホッとするな」


 私は3年ぶりに三鷹駅に降りた。今の住まいは荻窪なので、駅で言えば3つ目になる。だが、私にとってはとても遠くに思えていたのだ。


 南口に出て歩道橋の上に立った。目の前にはいろいろな店が入るビルがある。


「そう言えばここで康子と一緒に食事したな」


 独り言を言いながら目線を横にずらしたが誰もいない。私の脳裏には存在しているのだが、実体として存在していないのだ。


 自分の言葉に思わず口角が緩んだ。


「俺、一人なんだよな・・・」


 現実を見てしまう。それが自然に肩を落とし、背中を丸くしてしまう。


「吹っ切ったはずなのに、思い出の場所に来ると思い出すな。多分康子、天国で笑っているかもな・・・」


 そう思いながら深大寺に行くためのバス停に向かった。乗車するのは調布駅北口行きだ。


 日曜日の10時頃ということもあり、乗客は比較的年齢が高い人が多い。会社に出勤するのでなく、別の用事で乗っている感じだ。後方の2人掛けの椅子に座ったが、すぐ横に同じような年齢の女性が座った。


 その女性の髪から、康子が使っていたシャンプーの香りがしてきた。嗅覚も康子を覚えていたのだ。もう康子はいないと分かっていても、その香りに思い出が蘇った。


 だからといって話しかけるわけではない。見知らぬ男性から突然話しかけられでも不審がられるだけだし、第一、康子に申し訳ない。私は車窓を眺めながら、目的のバス停までの短い旅を楽しむことにした。


 バスに揺られて約20分、「深大寺入口」というバス停に着いた。その前に「神代植物公園」という停留所があるが、乗客はこの2つの停留所で半数以上が下車した。


 私が三鷹に来たのは深大寺に行くことが目的だったが、それぞれの理由は分からずとも、目的地は同じような場所だったのだ。


 バス停からは桜の並木道を歩いた。5月だったので、もう葉桜だ。桜の季節に訪れたならば、そのアーチの下を歩くことになる。もし、満開ならば花のボリュームに感動し、それを少し過ぎた頃なら散りゆく花びらの中を歩くことになる。いずれもその時期の最高の情景だ。


 桜を見ることができなくても、時折吹いてくる薫風も心地良い。視覚で楽しめなくても肌をくすぐる風の感覚が私を心地良くさせてくれる。


「康子がいれば、もっと心地良い気分なんだろな」


 そんな気持ちにさせてくれる空間と時間だった。


 停留所から数分歩けば深大寺の参道の入り口に着くが、私にとってはそこまでの道も参道の様な感じだ。途中にある水車小屋も、清らかな水で静かに回っている。こういう感じは少しも変わっていない。そのことが私の心に穏やかさを取り戻してくれる。


 私が初めて深大寺を訪れたのは6年前で、当時は仕事に追われ、心身ともに疲れていた時期だ。そんな時、友達から都内に落ち着ける場所があると聞いた。それが深大寺だったが、テレビでも紹介されたのでめったに取れない休日に訪れた。その時は桜が満開で、今の季節よりも1ヶ月ほど早い。今とは雰囲気が異なるが、いろいろな顔がある場所だということは知っていた。


 というのは、初めて訪れてからの2年間、実は結構訪れていたのだ。


 それには理由があった。


 6年前、ここで運命の人、康子と出会ったからだ。


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