七、顔合わせ ~カーティス視点~
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
そうして迎えた、エインズワース侯爵令嬢との顔合わせの日。
俺は『あまり堅苦しくない形式がいい』という、エインズワース侯爵令嬢の望みに従って待ち合わせた、互いの領境付近のカフェで、彼女の姿を見た瞬間に固まってしまった。
ふわふわと柔らかそうな紫の髪、身のこなしの美しさ、そして何より。
今は顔を俯けているがゆえに見えない、顔を俯ける前に一瞬だけ見えた、強い光を放つ瞳に俺は魅入られ、挨拶するのも忘れて暫し呆けてしまった。
もう一度、あの瞳が見たいのに。
どうして、こんな風に顔を俯けているのか。
「・・・・・はじめまして。カーティス・グローヴァーです。隣り合う領地に育ったとはいえ、お会いするのは初めてですね」
何故、彼女が顔を俯けているのか。
それは、より高位である俺の挨拶を待っているのだと、漸く気づいた俺は、我ながらぎこちない笑みを浮かべて、何とか声にした。
「はじめまして。マーシア・エインズワースでございます。お会いできて光栄でございます。グローヴァー公爵子息」
そんな俺が見たのは、ゆっくりと顔をあげ、言葉を発するエインズワース侯爵令嬢。
声も可愛い。
そしてやっぱり、瞳がいい。
「あー。まずは、座りましょうか」
ただ、その姿を見つめて声に耳を傾ける。
そうしたい思いを、俺は無理にも抑え込んだ。
恋人同士であるならそれでもいいだろうが、今の俺と、エインズワース侯爵令嬢は、顔合わせの初対面。
つまりは、知らない者同士。
それなのに、ぼうっと彼女を見つめてその声を求めているなど、このままでは変態一直線だと、俺は何とかエインズワース侯爵令嬢をエスコートして、席に着くことに成功した。
ああ。
こんなことなら、もっと悪友の言うとおり女慣れしておくのだった。
見たか、今のエスコートの仕方。
少しも練習通りになんて、出来なかったじゃないか。
実践を積むというのは、大事なんだな。
「ありがとうございます。グローヴァー公爵子息は、とても誠実な方なのですね」
だけど、そんな俺の慣れないエスコートに、エインズワース侯爵令嬢は好意を持って微笑んでくれた。
よかった。
この令嬢は、手慣れた男より不器用でも誠実な男を好むんだな。
女慣れの必要なんて、やっぱり無い。
「あまり、女性と接する機会が無かったものですから。不調法ですみません」
「いえ。その方が、好感が持てます」
きっぱりと言い切る彼女の瞳に嘘は無く、俺は、天にも昇る心地でメニュウを開く。
「エインズワース侯爵令嬢は、何にしますか?」
「わたくしは、コーヒーがいいです」
迷うことなく口にした彼女が、真っすぐに俺を見ていることに気付いて、俺はにこりと笑みを浮かべた・・つもりが、口元が引き攣った。
何だ?
もしかして、何か試されているのか?
「コーヒーですか。この国では、エインズワース領だけが、コーヒーの輸入を行っていますよね」
彼女が俺に何を求めているのか。
分からないまま、正解だといいと言った俺に、エインズワース侯爵令嬢は嬉しそうな笑みを浮かべた。
「そうなのです。何とか、満足のいく取引を成立させることに成功しました。本当なら、わたくしが現地に行きたかったのですけれど、どうしても許してもらえませんで。苦労しましたの」
「そうでしたか。お蔭でお・・私も、コーヒーを楽しめるということですね」
危うく俺と言いかけて、慌てて訂正する。
「グローヴァー公爵子息。わたくしは今『わたくしが現地に行きたかった』と申しましたのよ?しかも、事業を手掛けている前提で」
そんな俺を、エインズワース侯爵令嬢はどう思ったかと気になってみれば、彼女は違うことが気になる様子で、そんなことを言って来た。
「ええ。そう伺いました。ですが、それは当然のことですよね?輸入したい物があれば、現地で、自分の目で確認したいと思うのは当然のことです」
「わたくしは、女性ですよ?しかも、貴族籍の、令嬢と言われる立場です」
「ああ。なるほど」
その言葉で、エインズワース侯爵令嬢が何を気にしているのか理解した俺は、納得と、やや不安そうな彼女を見る。
「『侯爵令嬢が』とは、おっしゃらないのですか?」
そして、予想通りの言葉を聞いた俺は、彼女の目をしっかりと見つめて頷いた。
「言いませんし、思いもしません。確かに、この国では、貴族女性が働くことは珍しいので、そういう扱い、言われ方をすることも多いのでしょうが。そんなのは、本人の自由ではないですか」
貴族女性だろうと、裕福な家に生まれるか嫁ぐかして、自身で稼ぐ必要のない立場だろうと、自分が働きたいと思うのであれば働けばいい。
他国での留学が長く、余りこの国の考え方に染まっていない俺は、本心からそう思っている。
「では、グローヴァー公爵子息。婚約、婚姻後も働きたいと、もしもわたくしが言ったら、どうなさいますか?」
「もちろん、好きになさったらいいと思います。ああ、ただ。私は公爵位を継ぐ身なので、私の妻、夫人としての役割は果たしてもらいたいです」
エインズワース侯爵令嬢を見て『妻』という時、妙に心臓が跳ね、顔が赤くなった気がして苦労した。
いや、何を苦労って、静まれ自分と懸命に唱えただけなのだが。
彼女に、この焦りが伝わっていないことを願う。
「家での役割を果たす・・それは、もちろん承知しておりますけれど」
そこは当然了承していると即座に頷いた彼女が、何かを迷うように俺を見た。
何だ?
夫人としての役割を果たすのは当然だが、その相手が俺だと嫌だとかか?
俺の『妻』となるには、抵抗があるとか、そういう話か?
なら、この話は破談・・・!?
「けれど・・なんでしょうか」
再び、ばくばく煩くなった心臓を気にもしない風を装い、俺はそっと手を組んだ。
「失礼ながら、グローヴァー公爵子息・・・あなた様は、ご次男でいらっしゃると、お聞きしたのですが」
「ああ、なるほど」
そこでまた、俺はさっきと同じような言葉を発して納得した。
「すみません。立ち入ったお話を。ですが、ご次男でいらっしゃるということで、わたくしは、エインズワース侯爵家を継ぐつもりが無いことも、ご了承いただく必要があるかと思って来たものですから」
そして、更なるエインズワース侯爵令嬢の言葉で、彼女が何を危惧していたのかも理解する。
貴族社会に於いて、次男という立場は、やがて家を出る存在であり、そうなれば婿養子となるのが手っ取り早く爵位を得られるということに繋がる。
つまり、エインズワース侯爵令嬢は、自分と結婚しても爵位は得られないと言っているのだと分かって、俺は大きく頷いた。
「そうでしたか。ですが、そのような心配は無用です。私は、エインズワース侯爵位は、貴女の弟君が継ぐものと、思っていますから」
「ああ。そうなのですね。疑うような物言いをして、申し訳ありません」
エインズワース侯爵令嬢が、本当に申し訳なさそうに俺に頭を下げる。
そんな姿も可憐だけれど、謝罪など不要だと、俺は慌てて手を伸べた。
「気にしないでください。それより、こちらも事情を説明する必要がありますので」
次男の俺が、グローヴァー公爵家を継ぐ理由。
それは兄が、とてもではないが公爵家を継げるような人間ではないと、両親、祖父母、親族、果ては関係する各家すべてから拒絶されたからなのだが、その愚行の数々についてここで話してしまえば、俺への心象も悪くなりそうで、何処まで話すか悩む。
俺も、そう詳しく知っているわけでも無いしな。
だが、まったく説明せずに、次男の俺が継ぐと言っても、禍根があるように聞こえる。
さて、どうするか。
これまでも悩まされて来た愚兄、モーリスの件をどう話すか。
俺は、エインズワース侯爵令嬢に忌避されないことを祈りつつ、重い口を開いた。