五、ファーロウ大公
「ふたりとも、よく来てくれた。顔をあげてくれ」
よく通る、凛とした声を発するのは、先だって、フリント男爵令嬢の件で、ゴシップ紙の餌食となったと聞いたばかりの、元第三王子殿下。
『本日はお招きいただき、ありがとうごございます』というカーティスとマーシアの挨拶に、鷹揚に返す偉丈夫・・最近、自分達の界隈で話題の彼を、初めて間近にしたマーシアは、思わずじっと見つめてしまいたくなる衝動を堪え、貴族令嬢の微笑みを湛えた。
「・・・え?ファーロウ大公からの、お呼び出し?しかも、私も一緒に?」
偉丈夫と対面する、三日前のその日。
両家共同開発による鉄道事業の進捗を、カーティスと共に確認したマーシアは、お茶をしている最中に届いた招待状を見せられて、驚きに目を見開いた。
「うん。そう書いてあるね。『マーシア・エインズワース侯爵令嬢も共に』と。君の方へ別に招待状を出さなかったのは『婚約者として、共に来てほしいから』らしい。つまりは、別々に来るのを避けたということか」
「ああ。家族への招待状を一枚にするようなものね」
夜会や茶会でも、別々での参加でも構わない場合は、個人それぞれに出す招待状だが、家族や夫妻で一緒に参加してほしい場合は一枚で出す。
そういうことかと納得したマーシアに、カーティスがいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「家族。そうだね。俺達は、もうすぐ家族、夫婦になるんだから。何ならもう、一緒に住む?」
「式が終わるまで、グローヴァー公爵邸に住まうことはしません。エインズワース家に居ます」
つんと澄まし、きっぱりと言い切るマーシアに、カーティスが真顔になる。
「式が終わるまで、か。じゃあ、婚約式をしようか。招待客も、たくさん招いて」
「うーん。でも、鉄道事業については、未だあまり詳しく説明したくない状況じゃない?理解されなくていいっていうか」
鉄道事業については、領地が隣り合うエインズワース侯爵家と、グローヴァー公爵家が順調に進めているが、その有用性については未だ理解されておらず、両家ともそれを無理に広めようとは思っていない。
「ああ。だから『どうして鉄道を敷こうなどと考えたのか』って嘲笑われるだろうね。でも、そうしたらそう思わせておけばいいよ。これまでだって、あっただろう?」
「それはもう。たくさんあったわね。『馬鹿なことを考えたものですな』なんて、正面切って言われたこともあるわ。『エインズワース侯爵家もグローヴァー公爵家も、今の代で終わりとするつもりですか。致命傷にならないうち、早々に手を引くべきでしょう』っても言われたわね。人の家の新事業に注進するなんて、お優しいことだわ」
さも心配しているかのような言葉を嘲る表情で言われれば、いい気持ちはしないが、こちらの計画に自信のあるマーシアが、そのような言葉に揺らぐことは無い。
それでも気分が悪いことに変わりはないので、嫌味には嫌味で返してもいいだろうとは思っているマーシアだった。
そんな勝気な表情を見て、カーティスが楽しそうに笑う。
「いいね。今に見ていろって?」
「内心ではそう思っているわね。でもそれは、カーティスもでしょ?」
「ああ。『後で泣き付いて来た時には、高額で使用させてあげますよ』って心のなかでいつも言っている」
冗談のように言い合い、ふたりは、ふふと笑い合った。
「じゃあ、何も問題ないじゃないか。婚約式をしよう」
「でも、時間もそう取れないからってやめることにしたんじゃない。どうして今になってこだわるの?」
正式に婚約を結んだ際、王家や神殿への届け出の他、自宅で婚約式を開き招待客を招くことは珍しくない。
しかし、元からの事業に加え、鉄道事業のことで忙しい今、婚約式までする必要は無いのではないかと言ったのはマーシアだった。
普通、婚約式を望むのは女性の方が多いにもかかわらず。
『本当にいいの?マーシアの友人たちは、華やかな婚約式を開いたと聞いたけれど?』
『いいのよ。友人は友人、私は私』
幾度も確認するカーティスに、やらなくていいと言い続けたマーシアは、ここに来てまた蒸し返すカーティスを怪訝な顔で見やる。
「だってやっぱり。一生に一度のことだし」
「男のひとは、面倒がるって聞いたけど?」
婚姻式ほど大仰でないにしても、衣装を揃え、夜会なり茶会なりを開くのはそれなりに準備の必要があり、特に衣装合わせでは男性が面倒がることが多いと、マーシアはそれこそ友人たちから聞いていた。
尤も、そんな風に愚痴を言う彼女たちは、とても幸せそうでもあったのだけれど。
「俺は面倒なんてことは無いな。マーシアと揃いの衣装を着て、俺の婚約者だって自慢したい」
「別に、他の夜会やお茶会でもいいじゃない」
「でも、その式が終わったら一緒に住める」
真顔で言い切ったカーティスを、マーシアはまじまじと見つめた。
「私が式が終わるまでと言った式は、婚姻式よ」
「未だ一年もある」
「・・・カーティスって、凄くしっかりしているのに、子どもみたいな所もあるのね」
くすくす笑うマーシアに、カーティスは渋い顔になる。
「違うだろう。子どもじゃないから、早く一緒に住みたいんじゃないか」
カーティスは、マーシアに聞こえないよう、そう、そっと呟いた。