十九、世界は自分のために
「何を愚かな。マーシアは、私の婚約者です」
すっとマーシアの前に出たカーティスが、怒りを抑えた冷静な声で言うのを、マーシアは嬉しく聞いた。
迷いなく、すっと出てくれて。
背中、こんなに広いのね。
「愚かはお前だろう!マーシアという名で、紫の色をしているんだぞ!僕の婚約者になるに決まっているだろうが」
「それは、兄上だけの理論です。それに、このような街中で騒ぐものではありません。人迷惑です」
我慢のきかない子供のように、喚き散らすモーリスを諭すようにカーティスが言い、カーティスとマーシアの護衛と侍従、そして侍女も傍へと近づく。
「お嬢様。また不審者でございます」
「アルマ。だから、駄目だって」
「いえ。大丈夫でございますよ、エインズワース侯爵令嬢。そちらの侍女殿がおっしゃる通りでございますから」
半目になって言う侍女アルマに、マーシアが苦笑していると、カーティスの侍従を務めるレナルドが、問題ないと告げた。
「そんな訳にはまいりませんわ。あちらはグローヴァー公爵家のご子息、アルマは侍女なのですから」
使用人の責任は主人がとるものというマーシアを、レナルドは好ましく見つめる。
「流石は、カーティス様がお選びになった方です」
「あなた、本当にカーティス様を信頼しているわよね」
事あるごとに、カーティスの有能さ、素晴らしさを口にするレナルドに、マーシアは少々呆れながら言った。
「わたくしは、カーティス様に心酔しておりますので。カーティス様の傍付きとなれたことは、一生の幸運、誉にございます」
きりりと言い切るレナルドは、まるでカーティスの信徒のようだとマーシアが思ったところで、じりじりとカーティスに睨まれ、小心者の代表のように怯え口を閉ざしたモーリスが、びしりとマーシアを指さした。
「その女は、僕とマーシアのために絶対に不可欠な要素なんだ。それを聞いても、お前は僕の邪魔をするのか?僕は、次期グローヴァー公爵なんだぞ?」
「何を失礼なことを言っているんですか。マーシア・エインズワース侯爵令嬢に謝罪してください」
モーリスの恋人マーシアと区別するためか、カーティスにそう呼ばれ、マーシアはほんのりと嬉しくなる。
要素なんて言われて、むかっとしたけど。
なんか、どうでもよくなったわ。
「謝罪?するのは、お前たちだろうが。この間といい、今日といい。お前は謝ることを知らない女なんだな。まあいい。僕は心が広いからな。そんな愚鈍なお前でも役に立つようにしてやるから、ありがたく思え」
そう言い捨てると、モーリスは人込みの中へと消えて行った。
「なにあれ。後始末もしていきなさいよね」
「そんな常識があったら、こんなことしないよ」
『蒔いた種は収穫して行け』というマーシアの言葉に、カーティスは肩を竦め、ふたり並んで、居合わせた人々に騒がせたことを謝罪する。
「マーシア。兄がまたもすまない」
「カーティスが謝ることじゃないけど。正直、グローヴァー公爵家の方で何とかしてほしいとは思っているわ」
「俺が家を継ぐことも、君と俺の婚約も、当主として父上が母上も居る場所で宣言したんだが。何を考えているのか」
少し離れた場所に留めてある馬車へと歩きながらマーシアが言えば、カーティスは遠い目になってそう言った。
「それは、何というか。あの耳は飾り?それとも、脳内でおかしな風に変換されているのかしら」
「兄上は、祖父母に異様なほどに甘やかされて育ったそうだから。世界は自分のためにあると、本気で考えているらしい」
『世界は自分のために』と鸚鵡返しに呟いて、マーシアはふとカーティスに尋ねる。
「カーティスじゃない方の、グローヴァー公爵子息っておいくつ?」
「三十歳」
「私と貴方が結婚したら同居、なんて言わないわよね?」
流石にそれは、色々と嫌だとマーシアが言えばカーティスがくすりと笑った。
「言わないから安心していい」
「ごねそうじゃない?」
未だに自分が次期グローヴァー公爵だと言っているモーリスに、マーシアは不安を覚える。
「ごねるも何も。兄上は、俺の結婚を機に邸を出て、領地無しの子爵位と邸を一軒与えられることになっているんだ。その話も、俺と母が居る場で父がした」
「それであれなの?」
それはもう、打つ手なしというものなのではないかと、マーシアはふむと考え込んだ。




