十六、来院の理由
「い、いつのまにか、着いていたのね。全然、気づかなかったわ」
どぎまぎとしながらカーテンを開け、街中を走るからとカーテンを閉めておいて本当によかったと、マーシアは落ち着かない心持でスカートを直す。
「・・・・・こんなことって、あるか?」
「ほら、行きましょう。カーティス」
「あ、ああ。そうだな」
呆然と、悄然と呟いたカーティスも、マーシアに促され、いつまで衝撃を受けていても仕方ないと、何とか気持ちを切り替えて立ち上がった。
「さ、マーシア。手を」
そして素早く自身が降りると、その手をマーシアへと伸ばす。
「ふおっふおっ。おふたりは、今日も仲睦まじくていらっしゃいますな」
そんなカーティスとマーシアを、自分の孫のように慈しむ目で見るのは、御者のエリック。
先ほど、馬車の外から到着を知らせた張本人である。
子どもの頃から、自身も祖父のように懐いているカーティスだが、この時ばかりは恨みたい気持ちになった。
尤もエリックは、坊ちゃんの好機を己がつぶしてしまったことなど、気づいてもいないのだが。
「エリック。どうもありがとう。貴方の馬車の扱いは、とても丁寧ね。安心できるわ」
馬車から降りて、マーシアは笑顔でエリックに声をかけた。
「お褒めいただき、感謝します。大事な坊ちゃんの奥様になられるお嬢様は、私どもにとっても大事な方ですから」
「じゃあ、エリック。また、迎えを頼む」
この建物には、馬を留める場所はあるが馬車を留めて置く場所は無い。
カーティスは、護衛ひとりを付けて、馬車を移動させるよう指示した。
「かしこまりました」
「カーティス様。こちらでございます」
そこへ、先触れとして馬を走らせた護衛のひとりが近づき、マーシアとカーティスは建物のなかへと進んで行く。
「カーティス。痛む?」
「いや。もうほとんど痛まない・・と、あ。そうだ。今から診療してもらう医師は、貴族だからと媚を売ったりしないから、驚かないでくれ」
そんな会話をしつつ、向かうのは診療室。
グローヴァー家の主治医を務めるほどの腕前である医師は、貴族、平民にかかわらず診療をする、少々変わった人物だと、カーティスはマーシアに説明した。
「素敵な先生じゃない。私、貴族だからってあからさまに態度を変えるひと、好きじゃないわ」
言い切るマーシアは、これから自分が嫁ぐ先の主治医が、そういった思考の持ち主であることを嬉しく思う。
「ほんとに。マーシアは、俺に嫁ぐべくして存在し、婚約してくれた相手って感じがするよ」
「あら。私は、カーティスにそう思うわ。ずっと働いてもいいって言ってくれるなんて」
「まあ、俺は。母親を見て育ったからな」
父親と共に、領地のことも事業のことも分かち合っている母を思い出し、カーティスはマーシアにその姿を重ねた。
機転がきいて働き者。
ちょっぴり気が強いところもあるけれど、人形のような女性よりずっといいと、カーティスは思っている。
そして一方のマーシアは、カーティスこそが理想の夫だと、笑顔が絶えない。
「私、本当に幸せだわ・・あ。ここで言うことじゃなかったわね」
これから診療だったと、マーシアは、律するように姿勢を正した。
「ふむ。確かにこぶにはなっているが、そこまでの腫れではないな。外傷もないし・・・カーティス様。ご気分はどうですか?気持ちが悪いとか、しゃべりづらいとか、そういったことは?」
「ありません」
「それは上々。明日まで、特に異常がなければ問題ないでしょう。それより、馬車の天井に思い切り頭を打ったとか。その際に、首を痛めたりは?」
医師の問いに、マーシアは、はっと気づいたようにカーティスを見た。
ぶつけて、こぶの出来た頭のことばかり案じていたが、言われてみればその通りだと、不安な気持ちでカーティスを見つめる。
「首を痛めてはいません。ぶつけた衝撃はありましたが、頭部の負傷も大したことは・・・あ」
「ふふ。そうでしょうね。普段から騎士と共に訓練して、多少の傷など医師は不要と嘯いている貴方様が、この程度のことで態々来るとは。原因は、そちらのお嬢さんですか」
『まあ。ちょうど休憩時間でしたから、いいですけれどね』と言う医師の目に、揶揄いの色、おかしみの籠った色を見つけて、マーシアは戸惑ってしまった。
「え?カーティス?どういうこと?」
「ああ。ごめん、マーシア。実はこの程度の怪我、珍しくもない」
「え?そうなの?」
驚いて、きょろきょろとカーティスと医師を交互に見たマーシアは、そのままこてんと首を傾げる。
「じゃあ。今日は、なんで?」
「その。マーシアと、もっと一緒に居たいなって。実は、大公閣下のお邸を出た時から、予定の立て方を失敗したなって思っていて・・・ええと、つまり。ファーロウ大公閣下の元を辞してからも、共に過ごすように予定を組めばよかったと後悔していたんだ。でも、どう切り出したらいいか迷って。それで」
「私の診療を受けることを、その口実としたわけですよ、お嬢さん」
くつくつと笑う医師と、へにょりと眉を下げ、所在なげなカーティスを見て、頭のこぶは本当に大丈夫なのだと確信したマーシアは、それならと真っすぐ医師に向き直る。
「先生。先ほど、訓練中に怪我を負っても受診しないこともあるようなお話がありましたけれど。それは、頭を打っても受診が不要な場合もあるということですか?こぶが出来ているとか、そういう判断で」
真顔で問いかけたマーシアを、笑いをひっこめた医師が目を丸くして見返した。
「え。今聞くのが、それなの?」
思わずと言った感じで、砕けた物言いをした医師は、面白いものを見るようにマーシアを見る。
「はい。わたくし、知識が無いものですから。この先、カーティス様がご無理をされているだけなのか、本当に受診するほどでもないかの判断が出来ないのです」
「そうですね。頭を打った場合でいえば、受診した方がいいのは、気分が優れない、うまくしゃべれないなど、何かしらの症状がある場合ですね」
真剣な瞳で、真面目に話を続けるマーシアに、医師も聞かれるまま真面目に答えた。
「・・・それでは。要は、神経質になりすぎたり、大丈夫だと過信し過ぎたりしないこと、翌日までは様子を見ること、冷やすことが大事だということですね?分かりました」
「ふふ。本当に面白いお嬢さんだ。カーティス様がご婚約されたと聞いて、どのような方がと思っていたけど。グローヴァー公爵家は、安泰だね」
腰に飾りのように付いているポーチから、慣れた仕草で紙とペンを取り出し、聞いたことを書き込んでいくマーシアを見て、医師が微笑みを浮かべてカーティスを見やる。
「それは、確かにそうなんだけど・・・・。マーシア?俺が、ここへ君と来たそもそもの理由について、怒ったりしないのか?」
「しないわよ。だって、私も同じこと考えていたもの」
騙すように連れて来てしまったと言うカーティスに、せっせと書き込みをしながらマーシアは答えた。




