ヒーロー
海沿いに並ぶ倉庫は静かに暗いものだが、今日だけは赤いパトランプがぐるぐると踊り狂っていた。
波ですら不気味なステップを踏んでいるように聞こえてしまう、そんな月の丸い夜だ。空だけは陽気に、パトランプに負けまいと星をきらめかせている。
そんな一夜のダンスパーティが開かれているのは、埠頭の端の端、小さな倉庫だ。重たい錆びた扉は半分ほど開き、そこには立入禁止と書かれたイエローのテープが二重に三重にと張られている。
「なんなんすか、これ……」
今宵のパーティのメインホールである倉庫内に、他より一足遅れてイエローを越えてきたのは若い男だった。
「おう、こういう現場初めてか。もう胃は空っぽになったか」
「初めてです。それに、空っぽでも吐けますよ、おえっ」
彼らはメインホールへの入り口の端で、邪魔にならないように立っている。
パーティはどうやら大盛り上がりだったようで、中は派手に散らかっていた。片付けにはまだまだ時間がかかりそうだ。
酒の代わりに血がぶちまけられ、瓶の代わりに人の頭が割られ、ガラスの破片の代わりに大量の薬莢が散らばっている。おまけに料理をひっくり返したように肉片があちらこちら。
「なら慣れんなよ、こんな現場。慣れたら終わりだ」
壮年の男が組んでいた腕を解き、歩き出した。若い男もそれについていく。
「この町では時々、こうやって出んだ」
「何がっすか……」
彼らが立ち止まったのは、この惨状の中では異常なほど綺麗なパイプ椅子だった。パイプ椅子自体は潮風で錆も浮いていたしクッションも一部破れて中のスポンジがこちらを覗き見している。
しかし、そのパイプ椅子はここでは目立つほど綺麗だった。
「亡霊だとか怨霊だなんて、オカルトなことは言わないですよね」
「言わねえよ」
そして、パイプ椅子の上にはこれまた綺麗なアタッシュケースが置かれている。中はまだ開いていないが、壮年の男には想像がついていた。
「いるんだよ、見習いが」
更に、そのアタッシュケースの上にはポラロイド写真が一枚置かれていた。写っているのは若そうな男女で、仮面舞踏会に遊びに来た際の記念撮影のように目元だけを隠す仮面を手に持ち、明るい笑顔で映っている。しかし、背景はこの倉庫内だ。華やかな仮面舞踏会には程遠い。そして、写真には蛍光グリーンと蛍光ピンクのカラーマーカーでサインが描かれている。
「――自称、ヒーロー見習いがな」
パーティ会場はまだ準備中だ。
観客たちは気もそぞろで、まだ始まらないのかと責めるようにひとりの男を囲んでいる。
「……なんだ、ありゃあ」
「兄貴! あいつですよ、裏でこそこそしていた野郎!」
パイプ椅子に後手で縛られた男はグリーンに染めた髪をワックスで固めてランダムに跳ねさせている。柔らかそうなジャケットに細身のパンツを身に着け、格好だけを見れば、これからクラブにでも行って飲んで踊って楽しむのだと言ってもなんら違和感はない。しかし、彼はダンスをするための体を縛られている。
「わあお! いかついお兄さんまで出てきたね! 眼帯っていいよね、分かるよ格好いい! 憧れるぅ!」
「……なんだこいつ」
兄貴と呼ばれて出てきた男は眼帯で覆っていない目を彫りの深い鼻筋に引っ込めて椅子の男を睨みつけた。椅子男は「ひゅー! いい顔するねぇ、痺れるぅ!」とショーを楽しむかのようにご陽気だ。
眼帯男はガムをくちゃくちゃと噛むリズムに合わせて、椅子男の真ん前に進み出て仁王立ちとなった。
「何にせよ現場を見られたんなら生かしちゃおけねえ」
「わああ! 待った待ったストップだよ! そんな気軽に殺されたって、おれは不死身のお下品ちゃんとは違うんだからさぁ! 生き返れないんだよ!?」
履き潰されたブーツがパコパコと鳴るのは椅子男が縛られたまま足をばたつかせているからだ。幾ら地面を交互に踏もうとも彼は移動することも出来ない。
「それに見てないよ見てない! そこのアタッシュケースに白い粉が入っているとこも、そこの坊主のお兄ちゃんが一袋パクったのだって見てないよぉ!」
「がっつり見てるじゃねえか! 殺せ!」
坊主男が他の男達に見られて「や、ややややってません!」と声を震わせているが、椅子男の「ひゃあ! みんな怖ぁいね!」の陽気な悲鳴の方が大きく煩い。
「やったらすぐ片付けろよ! そこの海にでも沈めてやれ!」
「は、はい! 兄貴!」
眼帯男の号令で周りの何人かが銃を構えた。
「わあお! シグだ!」
椅子男が元気いっぱい、ショーの始まりに歓声を上げた。
始まりは一発の銃声だった。次いで、ガラスの割れる音。
倉庫の二階通路のガラスが割れ、ミラーボールの光のようにきらきらと破片を舞い散らせる。
「おまたせダーリン! 迎えに来たよっ!」
そして、最後は華麗なる主役の登場だ。
「わあい! 遅いよ、ハニー! ミンチにされちゃうとこだった!」
レインボーに染めた髪を二束跳ねさせながら、ハニーはピンヒールでダンスする。くるりとターンする度に短いスカートがふんわりと広がり、彼女が握った銃が軽やかに跳ね上がる。彼女に射抜かれた男は拍手代わりに頭を弾けさせた。
「だってぇ! ダーリンが頑張ってるんだもんっ!」
軽やかなダンスにアクセントをつける重たい衝撃をなんなく扱いながら、ハニーは一曲を踊りきった。先程までそれぞれの銃を持っていた男たちは彼女のキュートなショーに完全ノックアウトだ。
「邪魔しちゃったら、ダーリンの格好いいシーンがなくなっちゃうでしょっ」
「ああん! 待たせちゃってごめんよ、ハニー! 縛られてちゃ格好良いポーズも取れないんだよぉ!」
「もぉーう。だから、ナイフくらい持っていったらって言ったのにっ」
縛られたままのダーリンと銃を片手にいちゃつくハニーの再会シーンを見せられる間、眼帯男はじりじりと下がっていく。このまま幕を引くのかアンコールの一曲が流れるのか。状況を見極めるように周囲に目配せをしている。
周りがじりじりと下がっていくことに気づいた様子もなくふたりだけの世界に浸っていたハニーだったが、はっとしたように細い指を目一杯開いて口元を覆った。ゴド、と銃が落ちる。
「あああ! ハニー、デザートイーグルが!」
「わたし、気づいちゃったっ!」
ハニーはニーハイソックスに包まれた細い膝小僧を合わせ、まつげを長く長く伸ばした大きな目を涙で潤ませた。
「悪いことする奴らを捕まえるダーリン、サイッコーに格好いいかも!」
「捕まってるのはおれだけどね! ナイフで縄を切っておくれよハニー!」
「はーぁい! 任せてっ。格好いいところ見せてねっ」
マジックショーでもしているような手捌きでスカートの内側からナイフを取り出し、ハニーが背もたれ側に回る。固そうな結び目にナイフを添わせた時、銃声がした。しかも一発ではない、ソロパートを任されたドラマーのように激しく叩きつける銃弾たちだ。
ダーリンとハニーは刺激的な盛り上がりに「わぁあお!」「いやぁん!」と歓声をあげる。
落とした銃を無視して、どこからともなく次の銃を取り出したハニーが新たに追加された観客に投げキス代わりの引き金を引いた。ダーリンが座ったままのパイプ椅子に手をつき、くるりくるりと場所を変えては銃弾を避け、パイプ椅子の前脚を浮かせてぎゅんと回転させては場所を移動する。その間にキスを投げつけるサービスも忘れず、ハニーはくるくると華麗に踊る。
「ハニーが可愛いのに視界がぐるぐるで追いつかないよぉ!」
ダーリンが呑気に嘆きながら首を回してハニーを目で追いかける。
「やぁだぁ、ダーリンったらいつまで座ってるのっ」
そう言ったハニーがぐるりとパイプ椅子の向きを変えた。銃弾が何重にも巻いた手触りの悪い縄をかすって切った。
「きゃぁ! わたしが切らなくても脱出しちゃうダーリン! 素敵っ」
ばらばらと縄を脱いだダーリンがすくりと立ち上がった。
何十、何百と銃弾を叩き込もうが一切当たる気配のないふたりにまだ息のある観客たちの空気がしんと静まり返る。
しかし、パーティを全力で楽しむふたりは彼らのことなどお構いなしだ。仲良く手を取り合って「ヒーローは愛で強くなるからね!」「ダーリン格好いい!」と謎のやりとりを続けている。
「なんなんだ、あいつら……!」
眼帯男が呻く。膝下を撃ち抜かれズボンを赤に染めているが上着はまだ黒のまま、パーティを楽しむにしては地味なままだ。
隣の死体が握った銃を抜き取り、軽やかに踊っているダーリンとハニーに向けて引き金を引く。
ハニーの厚みのあるスカートが風に吹かれたように揺れ、彼女は「きゃ!」と短い悲鳴をあげた。
「やだぁ、この衣装可愛かったのにっ!」
そして、穴が空いてしまったスカートを握って、ぷうと頬を膨らませた。
眼帯の男が動きを止めたハニーに向けてもう一発、しかし的である彼女の姿はすでにそこになかった。
「駄目だよぉ、駄目駄目! ヴィランはちゃあんと倒れていなくちゃ。覚えてろよって捨て台詞があるのは次回のあるヴィランだけなんだからね! ましてやヒロインに傷をつけるなんてもってのほか!」
ダーリンはハニーをすくうように抱き上げながら「分かってないなぁ!」と眼帯男へ顔を向けた。
「そんなだから、こぉんなしょっぱい取引しか任されないんだよ! 映画を見ようよ、映画! コミックでもいい! 価値のあるヴィランはそーゆーのじゃないからね? 勉強しないとぉ」
ぷんすこぷんすこ、といった効果音が見えそうな、ふくれっ面をしたダーリンはハニーをパイプ椅子に座らせる。瞳にハートマークのハイライトをいれたハニーはきらっきらに輝いた目でダーリンを見続けている。
ダーリンがそんなハニーの短いスカートから銃を引き抜いた。
「――だぁから! 駄目だっつってんだろぉが!」
それを、撃ち始める。
眼帯とは別の男は引き金を引くよりも先に指を吹き飛ばされる。
「分かってない分かってない分かってない!」
ダーリンは帰宅時間に気づいて慌てた観客を、ガラスの靴を落とす前に背中から撃ち抜く。
すっかり静かに黙りこくっている人形のような人間にも容赦なく。
空になった銃をまるでちり紙を捨てるような軽さで放り捨て、その空いた手にはハニーが次の銃を置く。
「きちんと悪役をしろよぉ! じゃないとヒーローが生まれないだろぉ!」
パーティも終盤。
派手な音楽の乱撃で終わりを迎え、ダーリンは最後の銃をぽいと捨てた。
大いに盛り上がった会場はしんと沈黙を迎え入れ、――パチ、パチ、パチパチ、パチパチパチ、と大きくなっていく拍手で幕を下ろす。
ハニーだけの盛大な拍手を身に受け、ダーリンははっとして額に手を当てた。
「あぁん! またやっちゃった!」
「ダーリン! 緑色の怪物みたいでサイッコーだよっ!」
「緑色じゃなくて青と赤の盾を持つヒーローがいいんだよぉ、ハニー!」
ぐちゃぐちゃになった赤の舞台、ハニーも立ち上がってふたりは手を取る。カーテンコールよろしく並んだふたりは血と肉片で溢れる倉庫内を見渡した。
「どっちにせよヴィランを倒したんだから、これでダーリンもわたしもヒーローにまた一歩近づいたよっ」
「……うん! そうだねぇ! これでスカウトされるかもしれないしねぇ!」
そしてふたりは顔を寄せ合い、どこからともなく取り出したポラロイドカメラのレンズを自身たちに向けた。片手に舞踏会の仮面を、もう片手はふたりでカメラを支える。
「じゃっ、今日の記念撮影ねっ!」
「スカウトしたくなるようなかっこよさでねぇ!」
シャッターが切られる。
仮面舞踏会さながらの派手なマスクに、蛍光ピンクと蛍光グリーンのサイン。
ふたりは今日もそれを飾って、闇に去る。
「ねえダーリン、わたしたちって、今、サイッコーに輝いてるよね」
「いいやハニー、おれたちはこれまでもこれからも、サイッコーに輝くのさ! ――ヒーローになる夢を叶えるために、ねぇ!」