牢獄っていうかワイン貯蔵庫ですよねここ
俺は、ラトヴィア城に到着したその日の午後から、さっそく行動を開始した。
仕事は、とっとと終わらせて早く帰りて―の。そういう主義なの。
まずは、エリヤナがこっそり部屋に運んできてくれた食事で腹ごしらえをして一息。
エリヤナからの最初の助言はこうだ。
万が一、俺が城内をうろついているときに、誰かに身分を聞かれればエリヤナの従者アーノルドだと名乗れという。
ほんとにそれでいけるのかどうかは怪しいもんだが、ま、郷に入れば郷に従え、だ。
とりあえず、エリヤナの兄であるディンブランに会ってみなければ。
そのことをエリヤナに伝えると、彼女は沈んだ表情を見せたあと、ディンブランが閉じ込められているという牢のカギをどこかから持ってきて俺に手渡した。
エリヤナは小声で言う。
「城内ではあまりご一緒はできません。これは合いカギですのでウルさんに差し上げます。私が密かに作らせて、今やっと出来た物です。兄は、この城の裏側。石の貯蔵庫に閉じ込められています」
「よし、わかった」
「私が王都に行っている間、誰も兄の世話をしていなかったようなのです。今は私も入る事をかたく禁じられていますので、入るところは誰にも見られないように。くれぐれもお気を付けください……」
俺はうなずいてぶっとい鉄製のカギを受け取った。
エリヤナのいう通りに、俺は客間から抜け出してまずは城の中庭へ向かった。そこから壁づたいに南へ向かう。
すると左に鉄塔、その真裏。ビンゴぅ。古びた石造りの平屋が現れた。
ごっつい扉にはどす黒い色の南京錠がかかっている。俺は扉に近づき、手にしたカギを回して開ける。そして鉄扉を少しだけ開く。
ガ……ゴゴ
ぐげっ。うるさすぎる。
俺は慌てて手を止めた。なんちゅう音だよ。これで誰にも気ずかれるなとか、むりむり。いま、ぜったい誰かに聞かれた。
俺は息を殺して周囲を見渡す。耳をすませるが誰かの足音が近づいてくることもない。俺は扉をそれ以上開けるのをやめて、隙間から中に忍び込んだ。
中に入った途端にすさまじい臭気。俺は両手で口をふさぎ、何度かむせこんだ。なんだこのニオイは。なんか酸っぱい。
顔をあげると、上部にあるいくつかの窓からうっすらとひらりがさし、中央辺りを照らす。
そこに、いた。
頭をうなだれて体に鎖を巻き付けられて、後ろに手を回された男の姿。おそらく、彼がディンブラン・ラトヴィア。
ディンブランの周囲の床は妙に湿っている。そして、なんだかよくわからない赤黒い塊がいくつも転がっている。
俺は足音を響かせないように、ゆっくり石の床をふみつけながらすすむ。
思わずつぶやいてしまった。
「くっせぇ……なんだこれは……」
俺はゆっくりディンブランに近づく。そして気づいた。このすえたニオイの正体。これはやつの排せつ物のニオイだ。
いったいなんてぇ環境だ。本当に放置されていやがる。
ようやくディンブランの頭がはっきり見える距離まで近づき、俺はしゃがみ込んだ。
ディンブランは、俺に気がつかないのか、長い薄みどりの髪を前に垂らし、うつむいたままだ。
白いブラウスは赤茶けて、あちこちボロボロだ。紺のパンツもぐしゃぐしゃに湿っている。糞尿をそのまま垂れ流しているようだ。
体には鋼鉄製であろう野太い鎖が巻かれ、後ろのクサビにつながれている。
やつの床周りには、やつを閉じ込めるように結界らしき何かの魔法陣が乱雑に描かれている。なんだ、こりゃ。さすがにやりすぎだろ。
その時、ぽつりと言葉がきこえた。
「……だれ? 誰かいるのかい?」
驚くほど穏やかな声だった。俺は一瞬混乱する。今コイツがしゃべったのか。
俺は少し待った。すると、やはり目の前の男から声がした。
「僕はすこしお腹がすいたんだ、何か持ってきてくれないか」
「……わかった、何が喰いたいんだ?」
「そうだな。肉だ、肉がいい」
肉。俺はディンブランの周りに散らばっている赤黒い塊をもういちどぐるりと眺めた。なるほど、これは動物の肉片か。
俺はたずねた。
「随分と残してるじゃないか。何の肉がお好みなんだ?」
「……そりゃ、決まってるだろ」
「なんだ。ブタかウシか、いのししか?」
「……ヒトの肉だ、ヒトの肉を持ってきてくれ。なんだったら君の肉でもいいから」
俺はその言葉にぞくりとした。反射的に思わず立ち上がり、一歩下がる。
このやろー、びびらせんじゃねーよ。
おだやかな声で、随分と過激な要求をしやがるじゃねーか。はぁ、おしっこちびりそうになったわ。
だが、想像以上に強力な呪いがかけられているようだ。
その時、胸元のポケットから、きゃっという小さな叫び声。
キャンディの奴、ようやく起きたな。
胸のポケットから黒いウサギのぬいぐるみが顔を出す。
キャンデイは呟く。
「もう、なんなのよここは! くさい!」
「しっ……起きたばかりで申し訳ないが、ちょっと小声でしゃべってくれ……」
「わかったわよ、なんだかすごい気配を感じておきちゃったわ」
「すごい気配? こいつのことか?」
俺は目の前のディンブランを指さす。キャンディはうなずいた。
「でも人だとは思わなかったわ、なんだか動物の気配かとおもちゃった」
「今はそうかもな」
「今は?」
「なんだか妙な呪いをうけてやがるんだ。とても普通の人じゃないよ」
「とにかく、早く出ましょうよ……」
「ま、もうちょっとまて、コイツをもう少し調べなきゃならん」
「ひゃー……はやくしてよ、もう」
キャンディはそういうと再びポケットの中に引っ込んだ