彼女の名はエリヤナだとさ★
俺は木陰をぬけて道に飛び出し、やや大きな通り道へと合流する。
少し左手、ちょうど道が緩やかに曲がり始めるあたりの大きなクスノキの下。
行き場を失った迷子のようにふらふらと揺れる影がみえた。
視線をやると、そこには大馬に乗った男がひとり佇んでいる。
複数人で会話をしていたような気がしたが、ほかの奴らはすでに散った後のようだ。
男は俺に気がついたようで、こちらに大馬の頭を向けなおすと、手綱をぐっと引きしぼる。
そして、ゆっくりと近づいてくる。
近づくにつれて、よくわかる。
あの大馬の毛並みは丁寧に櫛を入れられているようで、輝くほどに艶めいている。
それに、栄養たっぷりの食事をとり、よく調教されている大馬だ。
そこらの農民じゃ手にはいらねぇほどの、上質な優良馬。
俺は、その見事な大馬の背に乗る男の顔をちらりと見上げた。
さっき見た黒ローブの女と同じように、こいつもフードを目深にかぶって口元だけをだしている。
俺は口元で小さくつぶやいた。
「……なんだか似たもの同士の鬼ごっこといった感じだ……」
男は俺のそばまで寄ると、威圧するかと思いきや、意外なことに右足をうしろに振り上げて大馬から地に降りた。
そしてこちらに丁寧に頭を下げた。
「突然で失礼。少しお聞きしたい。このあたりで黒いローブをかぶった女性を見かけませんでしたか?」
「ああ、見たことは見たが」
「ほ、本当ですか!? で、どこに?」
俺は今しがた自分が出てきた木陰を指さした。
「あそこの奥の道でみたよ……だが、俺を見た途端に逃げ出して、滝の方へむかったぜ」
「滝? というと……」
「あっちだな」
俺は全く見当違いの方向を指差す。
ま、うそなんですけどね。滝なんて、どこまで行ってもないんですけどね。
見えない滝を探してどこまでも行きやがれ。
男は実にきびきびとした動きで、礼を言った。
その時、頭を下げた男のたるんだローブからのぞいた胸元。
薄汚れたローブの下に隠れていたのは、ローブとは対照的といってもいいほどの、見事に縫い上げられた真っ赤な制服。
そして、その制服にはりついていたのは、金色の刺繍。
俺はおもわずあごを前に出し、目を丸くしてしまった。
____金色の”八つ獅子”の紋章。
横向きの八頭の獅子の頭がぐるりと円を描くようにならぶ”八つ獅子”の紋章は、ここエインズ王国の宮廷魔術騎士団の紋章。
ということは、必然的にこの男は”エインズ王国宮廷魔術騎士団”ってことになる。
この国の中枢にいる、超絶エリートじゃねぇか。
やべーやつに嘘ついちゃった。
宮廷魔術騎士団の男は俺の動揺などには目もくれず、急いで大馬にまたがると俺の指さした方向に駆けていった。
俺はその姿を見送るうちに、徐々に後悔の念が沸き上がる。
やっぱり、俺の勘はただしかったのだ、賊はあの女の方だった。
俺は大きくため息をついて、木陰の方を睨みつけた。
案の定、黒ローブの女がすっと顔を出して、あたりをうかがいつつ出てきてこちらに忍び寄る。
女は口に手を当てて、ひとつ咳をしてから、もったいぶった様子で話しかけてきた。
「え……と、一応助けてくれたわけね。お礼を申し上げておくわ」
「お前さんさぁ、なにしたの? あいつ宮廷魔術騎士団じゃねぇかよ。あんな奴に嘘ついちまったら俺の身も危なくなる」
「大丈夫です。あの人たちは私の護衛ですもの」
「は? おまえさん、さっき賊に追われてるって言ったじゃねえか。嘘ばっかりだな」
女は肩をすくめた。
「だって、男の人ってそういうのスキなんですよね? か弱い女がおそわれている、よし、俺が一肌脱いでやろう、みたいな」
「ま、大体あってるな。でも違うな」
「あれ、違うんですの?」
「残念ながら俺はそういう男じゃなかったってこった」
すると女の声がどこかほころんだ。
「逆に好きですわ。そういう殿方」
「へぇへぇ、さようでございますか。とりあえず追っ払ってやったんだから、もうこの話は終わりだ、じゃあな」
「あ、助けてくれたんですから。せめて名前だけでも名乗ります。私はエリヤナと申します」
「どうでもいいよ、お前さんの名前なんか」
「名乗ったんですから、あなたもおなのりなさいな」
俺は手を挙げて断る。
「やめとく。次にあう機会があったら教えるよ。会わない事を心から願うよ」
「ふふ……じゃあ失礼しますね」
エリヤナは満足げに微笑むと、フードのさきをおさえて顔を隠しつつ背を向けた。
そして、音もなくさっていった。