工房長 ウォーレス
入り口から見渡したガラス工房は驚くほどに広かった。
通りに面した大きな窓から差し込む真昼の光。
反対側の壁際にはガラス用の溶解炉である坩堝がいくつか口を開けている。
その前には鉄製の長い棒や小道具が置台の上に整然と並んでいる。構造そのままのむき出しの柱や梁、足場が、そこにいる職人たちの武骨な姿とちょうどいい具合に調和していた。
しかし、職人が幾人かいるものの、みなその手に布切れを持ち黙々と各々の商売道具を磨いているだけで、肝心の大きな坩堝は稼働している気配はなかった。
立ち止まったアーシャが、こそっと俺に耳打ちする。
「では、工房長のウォーレス様をお呼びしますが……ひとつご忠告を」
「うん?」
「基本的にお優しい方ですが、怒らせると厄介です」
「ひぇぇ、怖いこと言うなよ。他に話を聞ける奴はいないのか?」
「他の方々は、さらに厄介です」
____そんな不安になるような事前情報いらねぇよ。
アーシャは足元に転がる道具や台をひらりとよけながら工房の奥に進むと、工房内でもひときわ大きな背中の男に声をかけた。
俺はその大きさに、ごくりとつばを飲み込んだ。
男はアーシャに声をかけられると、手にしていた道具を足元の台に置く。
腰に巻いている分厚いエプロンで軽く手をぬぐうと。俺の方にちらりと視線を向けた。
そして、仕方なさそうにこちらに歩いてきた。
ずんぐりとした大きな体は全身緑色。半そでの上衣から覗く猛々しい両腕の筋肉は、驚くほどに盛り上がり発達している。
のそりと揺れる頭からは短い角が生えていた。どうやら短躯角族のようだ。
俺は工房内のかたすみにあった鉄製の冷たい椅子に座らされ、ゴブル族のウォーレスと向かいあった。
遠目ではよくわからなかったが、厳つい身体つきとは対照的にウォーレスの表情はなんだか拍子抜けするほどに温和なものだった。
眉と目は外側に行くほど下に垂れ、石のような丸い鼻の下にある口は小ぶりに閉じている。
俺が名乗ると、ウォーレスは快く応じてくれた。
「ウォーレスだ。アーシャから話は聞いているよ」
「ならば話は早い。ショウブラ家の人々について知っている事をききたい。たとえば……恨まれるような商売敵がいたとか」
「ふぅ……そうだなぁ……」
「工房長なら何か知っているんじゃないかと思ってね」
「ジークベル様は職人の出でね。ちょっと気性の粗いところはあったなぁ。時々工房に入って職人たちと一緒に肩を並べて作業をしていたものさ。ただ、後を継いだカスパル様は、初めから商取引のほうに回られたからなぁ、あまりオレたちとは馴染みがないんだ」
ウォーレスは手持無沙汰なのか、腹のまえで組んだ両手をせわしなくさすっている。分厚い猪肉のような両の手のひらは、あちこち生傷だらけだ。ショウブラ家はガラス細工で有名だと聞いたが。俺はさっきカスパルと会ったときに見た、割れないグラスについて聞いてみた。
「実はさっき、カスパルと話した時、とても頑丈な青いグラスを見たんだが、あれはこの工房で作られたものなのかい?」
思い当たるふしがあるのかウォーレスは「ああ……」と言った後「青い頑丈なグラスというならば“ミスリルグラス”のことだろうね。ジークベル様が開発した特殊なグラスでね。珪石や石灰石の他にミスリル鉱石をまぜ込んだものなんだ。あの独特の青い色合いはミスリル鉱石の色さ」と続けた。
「へぇ通りで丈夫なはずだ。しかしミスリル鉱石っていやぁ随分と高級品のはずだが」
「さすが紋章師殿、よく知っているねぇ。ガラス細工にミスリル鉱石を入れるだなんてね。ジークベル様が最初に言い出した時には皆が反対したものさ」
ウォーレスはそう言うと、何かを思い出したのか、くくく、とおかしそうに笑った。
____どうやらこの男はガラス細工の話になると上機嫌になるようだ。
俺はその流れに乗って質問をした。
「どうしてミスリ鉱石を使うことに反対するのさ?」
「ガラス細工なんてのは高値じゃ売れない。生活の身近にあるものだからな。原材料にミスリル鉱石なんて入れ込んだら原価が上がっちまう。だから、商売として成り立たないんだよ。だが、ジークベル様は頑としてきかなかったね。利益度外視で自分の作りたいものをつくるって、お人でね」
そう言うと、ウォーレスはふと遠い目をした。
そして稼働していない坩堝をしばらくの間、みつめていた。
ウォーレスがこちらに顔を向けなおす頃合いを見て、俺は質問をつづけた。
「でもよ。立派な屋敷にこの広い工房、今は相当に利益が出ているんじゃないのか?」
「だな。そこが二代目、カスパル様の手腕だ」
「へぇ、カスパルは商売人としての才覚があるんだな」
俺は赤毛のカスパルの神経質そうな顔をふと思い出す。見かけによらず、というのは失礼だが意外と商才のある男だったのか、と感心する。ウォーレスは身振り手ぶりをつけて話す。
「考えてみてくれ。ガラスの商品なんて、壊れて買い換えてもらうことでしか新しい商品が売れないものだ。しかし頑丈で壊れにくいガラスの商品をつくっちまったら二度と買い替えてもらえなくなっちまうだろ」
「たしかに」
「だからよ、カスパル様は、商品を売る相手を変えたのさ」
「……普通の家庭ではなく……紋章師か」
ウォーレスは嬉しそうに手を叩き「おほー、さすが」と意気揚々と語る。
「カスパル様はミスリルグラスを一般的な街の市場で売るのではなく、紋章師たちの武器や防具に飾り付ける装飾用のガラス細工として売り出すことにしたのさ」
「ふうむ。確かに、壊れにくいという特質を生かすとなれば、より激しい消耗をする物につけるほうが使い道がある」
「そう。一般的な家庭から紋章師への装備品へと販路を変えたのさ。するとどうだ、これが見事に当たった。派手好きな紋章師達がこぞって武器や防具に着けるミスリルグラスの装飾品をこのショウブラ家の工房に注文しだした。そこからはあっという間に商売は軌道に乗った。まるで天にも昇る勢いさ」
たしかに、今思えば、紋章師達の中でも見栄えにこだわる連中は一定数いた。俺自身はそんなものに一ミリも興味はわかないのだが、こだわる奴はこだわるものだ。
宮廷魔術騎士団のトレードマークともいえる真っ赤なマント。その胸元にある留め具や腰巻のポーチホルダー、剣の鞘のデザインなんかにも。使おうと思えば様々な箇所に装着することができる。
味気ない金属製のものよりは青く輝く半透明のミスリルグラスのほうが随分と見た目が良いのは確かだ。
お洒落に気を遣うような女紋章師達には、さらに好まれるだろう。
「それが、いまじゃあな」とウォーレスは声を落とし、悲しげな表情を見せた。
「ジークベル様が亡くなり、奥様に続いて娘様も……カスパル様はがっくりときちまって部屋にこもっちまってよ、表立った取引の場にも出てくれねぇ。見てくれ。このガラス工房の坩堝を。本当は火を絶やしちゃなんねぇってのに……」
確かに。
あまり詳しくは知らないが坩堝の中は途方もない高温になると聞いたことがある。その為に一度つけた火は四六時中絶やさないらしい。火を消すタイミングというのは坩堝を交換する時くらいらしいのだが。
ウォーレスは小さくため息をついた。
「はぁ、煌々と燃え続ける坩堝の火こそが、このショウブラ家の商魂の灯火だっていうのによぉ……紋章師の旦那、なんとか、カスパル様を助けてくれ。どうか、救い出してやってくれよ。でなきゃ商売あがったりだ」
俺は大きな体を丸めて懇願するウォーレスに戸惑いながらも「できることはやってみるさ」とだけ告げた。するとウォーレスはこういった。
「そうだ。もしもカスパル様を救ってくれたら、俺からひとつ贈り物をやろう。あんたのその大きな背負い袋につける装飾品をつくってやろう、もちろん無料だぜ」
ウォーレスはそういって、眉尻を下げた。




