ヴァルツ家屋敷の地下迷宮 ⑤
俺はロジータから渡されたドミニカ・ヴァルツの古びた手記帳を眺める。
中のページは何の魔獣の皮で出来た羊皮紙かはわからないが、非常に保存状態はいいようだ。少し薄茶に変色してはいるものの、虫に食われたような穴もない。
俺はページをめくり、目の前の祭壇に関して書かれた箇所に目を落とす。
「ふうむ……」
“祭壇の聖杯……聖竜イシュルケルが、ゴモルゴ山脈の天を突く山頂に黄金の尾を打ち付けた。その場から湧き出た聖なる泉。この聖杯にはその泉からくみ上げた聖水が満ちている。疑わしきものは、この聖水の張った水鏡に顔を映したまえ。もしもその者が魔女であれば、この水鏡には、その魔女が姦淫した相手の悪魔の姿が映るであろう”
隣からリラも覗き込む。俺は見えやすいよう少し手記帳を傾ける。
「リラ、何かわかるか?」
「そうねぇ……」
俺はリラの横顔を眺める。リラは長い白銀のまつ毛をそうっと伏せると文字に目を落とす。そしてふいに視線を上げると俺の目をじっと見つめた。その視線から、なんとなく俺と同じことを考えているのが伝わってくる。リラが低くつぶやく。
「……なんだかこの祭壇を説明する文章……最初の部分だけが妙に神記的ね」
「だろ? 俺もそう感じたんだよ……聖竜イシュルケルだの、ゴモルゴ山脈だの、どちらも創世神記傳(神話のようなもの)に出てくる。これらは、神界とよばれる幻の世界に出てくるような存在だ。そんな話の後に、急に魔女だなんて卑近な言葉が続くのはどうにも不自然におもえた」
「なぞかけか何かかしら……」といいながらリラがページのある文字を指さし「ウル、なんだかこの文字、少しかすんで見える」とつぶやいた。
俺がページ見ると確かに。リラの指さす文字がかすかに滲んでいる。そしてその文字は一つではないようだ。俺たちはその文字をあげる。
ル 付 の ち を ば え
「なんでぇこりゃ……る、ふ、の、ち、ば?」
「簡単な文字入れ替えじゃないかしら。何か意味のある言葉に……」
俺とリラが黙り込んでいると、ロジータが「あっ」と叫び、目を輝かせた。
「ヴァルツよ!」
「んあ?」
「ほら! ば、る、付、の、ち、を、え」
「なんだよそりゃ」
「だ~か~ら! “ヴァルツの血を追え”ってことじゃない。やだ、アタシったら天才ね!」
「ヴァルツの血を追え……つったって、じゃ、なにをどうすんだって話だよ」
「それは……わかんないけどさ」
「ったく」
ヴァルツの血を追え。ヴァルツの血というのは血族という意味だろうか。ならば、ここにいる血族のロジータの事だろうか。しかしロジータを追えと言われてもピンとこない。
他にヴァルツの血を引くものだなんて、ここにはいない。
いや。
____まてよ。
もう一人、いた。
ヴァルツの血を引くものが。俺は祭壇前から離れて部屋の入り口をぬけて廊下に戻る。
そして、すでに骸骨になった死体の前に立った。
「ロジータ以外にヴァルツの血をひくもの……お前さんの事か?」
俺の問いかけに、片足を失った、骸は応じない。
しかし、たしかに。最初にこの死体を見た時、妙な感じがしたのだ。
これだけ時間が経っているであろう死体のそばに、奇妙なほどに鮮明な血痕が残っていたのだ。
壁にもたれる死体の足元、点々と血痕らしき赤黒いなにかが散らばっているのだ。
後から来た二人が口々に「どうしたの?」「なによ!」と俺に問いかけてくる。
俺は死体の胸元にあるヴァルツ家の家紋が刻まれたペンダントを指さす。
「ヴァルツの血を引くもの、その者の血を追う。という事ならば。コイツの血痕が続く先に……」
俺は死体の足元から点々と続いていく血痕を追った。血は転々と反対側の壁に向かっている。そして、祭壇の部屋に続く扉のあたりで左にそれ、そこでふと、途切れている。
俺はゆっくりとその場にしゃがみこむと、目を細める。
なにか気になるモノはないかと、床を指先で丁寧になぞる。
「あった」
俺の指先に触れたのは、奇妙な突起。俺はその突起を上からぐっと押してみた。
ゴォン。
と、どこかでなにかが揺れたのが分かった。
なにかの仕掛けが発動したようだ。
俺たちが祭壇の部屋に戻ると、祭壇の奥。
さらにその奥へと続く道が、浮かびあがっていた。
俺たちは顔を見合わせると、言葉少なにその道の先に進んだ。




