ヴァルツ家屋敷の地下迷宮 ④
甲冑はまるで厳かな儀式でもするかのように、粛々と次の行動に移る。
鋭い剣を慇懃に胸の前に身構えたかと思うと、狙いすましたかのような静寂の一突きをこちらに繰り出す。
____速い、こりゃ、間に、合、わ、
俺は咄嗟に身をかわす。
甲冑の突きが俺の腹に突き立つ間際。奴の剣の軌道がふいにブレた。
剣はすいっと俺の横腹をわずかにかすめ、左にそれる。
その時、なぜか、俺ではなく甲冑のほうの腹に大穴が開いた。
その鈍い破裂音が響くのと同時に、リラの声。
「ウル!! はやくその祭壇からはなれて!!」
「んあ!?」
俺は言葉にならない雄たけびを発しながら身を低く、足の裏にありったけの重心をかけて階段を蹴った。
そのまま階段の下へ飛び込むように転がり落ちる。すぐに片膝を立てて振り返ると、甲冑どもを視界にいれる。
しかし。
____これは、いったい
夢か現か。
さっきまで剣を構えて俺に襲い掛かってきた4つの甲冑は突っ立ったまま、静かにそこに佇んでいる。まるで、時間が巻き戻りでもしたかのように。
俺の傍らに駆け寄るリラが心配そうな目でこちらを見下ろす。
「ウル!! 大丈夫!?」
「お、お、お、俺の事なんかより、ロ、ロジータが!」
俺はロジータが切り伏せられた祭壇前に目をやった。
しかし、そこには真っ二つにされたはずのロジータの体はなかった。
その時、不意に真横からささやき声がする。
「……ふぅ。ウル。アタシを見くびらないで。アタシは闇の魔術をあやつる闇の紋章師なのよ。こういった暗がりの中では、めっぽう強いの。闇に紛れてその身を移す。闇の魔術“影うつり”よ」
俺のすぐ横、石床からムクムクと影が浮かび上がったかとおもうと、ひとのシルエットを形づくる。その場にはっきりと姿を浮かび上がらせたロジータはこちらを見やると舌を出し「でも、ちょっと、危なかった」と微笑んだ。
途端に、安堵の波が押し寄せる。
「なんでぇ! おどかすない! お、俺はてっきりやられちまったかと……」
「あら、ウル。そんなに取り乱すなんて、アンタ、意外と優しいのね」
「優しいのどうのという話じゃねぇだろ。ああ、心臓に悪い! おっさんの寿命を縮めるない!」
「うふふ。悪かったわ。ところで……リラ、アンタ、何ものかしら?」
睨まれたリラは慌てたように「え?」と口をおさえた。
ロジータは正体見たりといわんばかりに得意げな顔で、腕をむんずと組んだ。
「アタシが知る限りじゃ、アンタは魔法薬の調合を行う“匙の紋章師”という話だったけれど?」
「え、えぇ、まぁ……」
「でも、今、甲冑を破壊した魔術は明らかに攻撃魔術よ」
「そ、そう?」
のらりくらりとかわそうとするリラを、ロジータは逃さない。
「しかも、詠唱も何もせず。アンタは手をかざしただけ。それだけで、あの甲冑を……まるで、内からひねりつぶしたようにみえた……あんな魔術見たことないわ。アンタ、いったい……?」
咄嗟の事でついに出てしまった、リラの驚異的な魔術の技。
油断して下手に突っ込んでしまった間抜けな俺のせいだ。おじさん、ちょっと責任を感じる。
俺はふぅと一息ついて立ち上がると、リラに対する質問を阻むようにロジータに体をむけた。
ロジータは疑り深いまなざしで俺をじっと上目で睨みつける。
どういう返事をするつもりか試してでもいるかのように。
けっ、面倒なガキだ。
「ロジータ。お前さんにリラの事を話す義理はねぇな」
「ウル。アンタ、アタシの事は根掘り葉掘り聞いてくるくせに、自分達の事は話したくないとでもいうつもりなの?」
「俺の事ならなんなりと聞いてくれ。一晩中、語ってやるさ。しかしリラの事はダメだ」
「随分と箱入り娘なのね」
「ああ、そうさ。お前さんとは違ってね。そんなことよりあの甲冑を何とかしないとお宝に近寄れないみてぇだぞ?」
我ながら、強引すぎる話題の転換。
が、これぐらいあからさまな方が、こちらの意図が伝わるものだ。
わざとらしく話を変えた俺に愛想をつかしたのか、ロジータは小さくため息をついた。
そして、リラの詮索をあきらめたかのように、俺から視線を外し目の前の祭壇を見つめる。
祭壇は俺たちが最初に見た時と全く同じ状態だ。
これはおそらく、結界魔術。
あの四つの甲冑は、結界を守るための守護だろう。
「……やっかいだな。あの甲冑が結界を守る心強い守護神というわけだ。俺たちにとっちゃ疫病神でしかないが」
「そうね。あの祭壇を囲む結界を解かない限り、あの不死身の甲冑どもは何度でもよみがえり、延々とこちらに攻撃を繰り返す」
俺はちらりとリラに目をやる。
リラに結界魔術の知識がどこまであるのかはわからないが、俺たちの中ではおそらく一番精通しているだろう。リラは俺の視線に気がついたのか、ロジータの目を気にしながらもゆっくりと話した。
「ある空間を切り取り、聖域と俗域にわけるのが結界魔術」
「だな」
「……そのふたつの空間を分かつには必ず境界線が必要になる。わかりやすい境界線として、普通は魔術陣を床や壁、天井に描くものだけれど。見るかぎりこの室内には魔術陣が見当たらない。それに代わるモノもない」
リラの言う通り。
あの祭壇を取り囲むような魔術陣はこの室内のどこにも見当たらない。
だとすると、部屋のそとに魔術陣があるという事か。よく罠として使われる隠し魔術陣のようなものもあるにはあるが。
俺はリラに問いかける。
「じゃ、どこか別の場所に魔術陣があるってのかい?」
「その可能性もあるけれど。高度な結界魔術の使い手は目に見える魔術陣を使わない場合もあるの」
「……目に見えない魔術陣だって? そんなものを、どこにどうやってつくるんだ?」
リラはひとさし指をすっとのばす。
「空間よ」
「空間? 空間そのものに魔術陣を描くだってぇ?」
「そう。指でね。“空間結界”とよばれる結界魔術よ。これには相当な鍛錬が必要ね。なにせ、目には見えない魔術陣を正確に空間に描きだす必要があるのだから」
「ほえ~」
「さっきの鎧の動きを見たところ、あの四方を囲む鎧の半歩ほど内側に、おそらく正方形の結界がはられている感じね」
ただでさえ難解な古代語で描かれる魔術陣を、寸分たがわず正確に空間に描き切る。
そんな芸当が本当に可能なのだろうか。
少なくとも俺の生きてきた中で、そんな阿呆みたいな事ができる“結界の紋章師”なんぞに出くわしたことはない。
俺が宮廷魔術騎士団にいた頃、王都に仕えていた頃ですら。
そんな人物には一度もめぐりあわなかった。
「はぁ……俺には、想像もできねぇわざだが……ドミニカ・ヴァルツってのは、そうとうな変人だったってことか」
「かもね。高い空間認知能力と、相当な記憶力と緻密さが必要でしょうね。正直、そこまでの事は、私にもできない。けれど、ドミニカ・ヴァルツ、という人にはできたのかも」
「だとすると、目の前にある結界を破壊することは実質的に不可能って事じゃねぇか。床や天井に描かれた魔術陣があるのならばそれを壊すことで結界を破壊する事はできるが、空間に描かれているんじゃ、見ることも触れることもできねぇってことだろ?」
「そう。だから、単純に結界を破壊するという方法はとれない。だから」
「その結界そのものを解除する方法が必要ってことだな……」
____そんな方法があるとすれば。
俺はロジータに向き直る。
この地下倉庫に入り込めたのはロジータの持つヴァルツ家のペンダントと、彼女の血のおかげ。ドミニカ・ヴァルツは、ヴァルツ家の人間には、この地下倉庫に入りこめる隙を与えている。
だとすると、この目の前の結界を解く隙も残しているはず。ヴァルツ家の血を引くロジータがいるのならば、なんとかなるかもしれない。
「ロジータ、お前さんの持つドミニカ・ヴァルツの手記に何かヒントがないか?」
「ヒント?」
「ああ。この結界を解くヒントだ」
「どうかしら……」
ロジータは胸ポケットに手を差し込むと、おもむろに薄汚れた手記を取り出した。




