闇の紋章師、ロジータ
ルガールの森を抜け、いくつかの村を越えると見えてきた丘の先。
デジャミの言葉通り、そこには大きな屋敷がそびえ立っていた。
蔓と苔まみれのその大きな屋敷は、かつての家主を待ちわびるようにひっそりと佇んでいる。
足元に辛うじて残る道の名残。ひび割れたその道を覆い隠そうとしているかのように方々に伸びる野草の群れ。
俺たちは大馬から降り、崩れた石門の残骸を横目に荒れ果てた庭園を進んだ。
「こりゃ、まるで幽霊屋敷だな。この屋敷を管理している者がいるとしたら随分とずぼらな奴に違いない」
「ここがヴァルツ家の屋敷なの?」
「デジャミの話が本当ならば、だな」
「それにしても……誰も住まなくなって随分と経っているみたいね」
「ああ。よく崩れずに、形を保っているもんだ」
リラは何かを探すように周囲を見渡しながら俺のとなりをゆっくりと歩く。
その時、俺たちのすぐ後ろを歩くリィピの唸り声が聞こえた。
俺が、その声につられなんとなく後ろを振りかえろうとした、その瞬間。
足が何かに引っかかり、思わずつんのめる。
「おわっ!」
俺は予期せぬ障害物に立ち止まり体勢を整えた。
慌てて足元に目をやる。しかし、そこには何もなかった。
何もないところでつまずくだなんて、もうそこまで足腰が弱って来たのか。
つくづく嫌になる。
俺は無様にこけないよう、慎重に足を持ち上げようとした。
だというのに、足がまったく動かない。
まるで靴の底が、地にはりついたようにそこから剥がれないのだ。
俺は、嫌な予感に、素早くぱっとリラに視線を送る。
さもありなん。
リラも困惑の表情で俺を見上げ、つぶやいた。
「……ウル、私……足が、動かない」
「……残念ながら俺もだ。おそらく後ろのリィピも。どうやら制止の魔術を受けちまったようだ。こんなところで紋章師に出くわすとは……」
「……どうするの?」
「ふうむ……」
____少し様子を見るか。
俺たちが身構え、周囲に目を配っていると、屋敷の少し手前、いびつに伸びる木陰から人影がぽんっと転がるように飛び出した。
俺たちの動きを止めた奇襲作戦は見事だとおもったが、自ら姿をあらわすとは。
どうにも行動がちぐはぐな奴だ。
そいつは、意外なことにまだ年端もいかない少女に見えた。
少女はこちらをジロジロと見ながら、どこか得意げに歩み寄ってくる。
黒の艶めいたマントをその華奢な身にまとい、右手には棒キレのような、か細い杖を握りしめて。その杖をみると、ぼんやりと輝いて見えた。
____あの杖、魔力増幅用の魔道具か
少女は薄い唇を開いた。
「ふん! うごけないでしょ! いい気味ね! ここはヴァルツ家の敷地よ! 盗人どもは出ていきなさい!」
か弱そうな見た目に反し、実に威勢のいい声が耳にねじ込まれた。
ああ、かしましい。
少女は強気な姿勢を崩さずにさらに続けた。
「なんとかいいなさいよ!」
俺はもろ手を挙げて降参の姿勢を見せる。
「いや、すまない。俺たちは魔法薬の行商人でね。このあたりの家々をまわり魔法薬を売り歩いているんだ」
「嘘言いなさい!」
「俺の言葉が信用できないのならば、実物を見てくれ。後ろのリィピの背中にある背負い箱を調べてくれても構わない」
「……リィピ? その後ろにいるごつい半魚人のこと?」
「ああ。そうだ。リィピの背負い箱の中には色とりどりの魔法薬がつめ込まれている。ちなみに、その魔法薬をつくった張本人はこの隣にいるリラだ」
俺はリラを手で指し示した。リラは俺の期待に応え、瞬時に客人用のスマイルをつくり言葉を繰り出す。
「どうも。私、聖都市フレイブルで『リラのポーション屋さん』というお店をやっているんです。よかったらうちの商品を見ていってください。お安くしますよ」
リラの見事な商売魂を見られたはいいものの、まだ少女の警戒を解くには至らない。
「ふん! あやしいものだわ! ちょっとまっていなさい、嘘だったらただじゃおかないんだから!」
少女はこちらに疑いのまなざしを向けながらもゆっくりと回り込み、リィピの背後に近づいた。俺とリラは地に縫い付けられたように全く動かない足をそのままに、体をひねり少女の動向をひっそりとうかがう。
なんとも騒がしい少女だ。しかし、こちらを警戒しつつも、攻撃を仕かけてはこないところを見るとどうやら俺達と争う気はないらしい。
少女の姿はリィピの巨体に隠れて見えない。
なにやらガチャガチャと背負い箱をひっかきまわしているようだ。
少女のいらだった声。
「ああもう! ちょっと、なんなのよこの大きな南京錠は!」
俺がリラに目くばせするとリラは急いで腰巻から鍵を外し、こちらに来た少女に手渡した。少女はリラの手から、勢いよく鍵をぶん取ると駆け足でリィピの背に回り南京錠を開いた。
しばしの沈黙。
少女は鍵をかけなおすと俺たちの前に回り込み喧嘩腰で「ふんっ」とつぶやきながら、こちらに鍵を投げてよこした。
俺が鍵をキャッチした途端、足がふと軽くなった。見るとどうやらリラも。
とりあえずは、おれ達にかけていた魔術を解いてくれたようだ。
しかし、少女はまだ不満げな表情を崩さない。
「あなた達が魔法薬を売っているってことだけは信じてあげる」
俺は軽くなった足を交互に持ち上げ、少女から投げ受けた鍵をリラに手渡す。
そして、改めて少女を見た。
おかっぱの金の髪は眉の上で真横に切りそろえられている。その眉の下についているつぶらな瞳はまだあどけなさを残している。
俺はできる限り警戒心を抱かせないよう、ゆっくりと話す。
「ひとまず、魔術を解いてくれて礼を、」
「ところで、あなたたち紋章師よね?」
少女は俺の言葉をさえぎった。
少女の強いまなざしの奥に疑いの光は灯ったままだ。
俺は観念し正直に答える。
「ああそうだ。俺は呪いの紋章師。名はウルというんだ。お前さんは闇の紋章師かな?」
「うげっ! どうしてわかるのよ!」
「さっきの魔術は、闇の魔術である“影しばり”だろう?」
「げっげげげ! どうしてわかるのよ! やだっ! あ、あなた……なにもの?」
「こう見えて色々と経験があってね。ところで、話は変わるが……お前さん。この辺に住んでいるのかい?」
「だとしたら、どうだっていうのよ」
「いやね……最近ルガールの森で起きているという人食い館の事件をきいたんだが……その事件をしらべて、」
俺がそこまで言った途端、少女の目は大きく見開かれた。
「えええ!? なに?! あなたたち魔法薬の行商人じゃないの? やっぱり嘘つきなのね!」
「いやあ、魔法薬店をやっているのは俺の隣にいるリラでね。俺はその傍らで、いろいろな相談事を受ける身でね、それで、」
「えっ? えっ? てことは……あ、アタシと同業者って事?」
少女はあたふたと体を震わせる。
それにしても、いちいち人の話の腰を折る奴だ。会話もままならない。
しかし、いま“同業者”といったか。
少女は俺の苛立ちなどお構いなしといった感じで怒涛のようにはなし続ける。
「奇遇だわ!! アタシもルガールの森の人食い館について調べているところなのよ! 実はねアタシ、につまっていたところなの! ね、一緒に調べてみない!?」
「え? いやぁ、そういうのは、やってな、」
「アタシ、闇の紋章師ロジータよ!」
「あぁ……あのよ、だ、」
ロジータは有無を言わせず、俺の手をぎゅっと握るとぶんぶんと振り回し「よろしくぅぅぅ!」と元気よく叫んだ。