魔女
別れの間際、レオンハルトはまるで過保護な母親のような目つきで俺を見やると、口酸っぱく忠告してきた。
「ウル様、本当に、このルガールの森を突っ切っていくのですか?」
「さっきから何度もそう言っているだろ。実にしつこいやつだな」
「いくら大馬とはいえ、森を抜けるのには最低でも丸一日かかります」
「ああ」
「つまりは、この深い森の奥底で夜を迎えることになるのです」
「そうだな」
「追いはぎや危険な魔獣がうろついているというのに……」
「さっきも聞いたってば」
「わたしは、いったん森を出て迂回することをお勧めします」
繰り返される問答の中。
レオンハルトの視線がほんの一瞬、リラに移ったのが見て取れた。相変わらずわかりやすい奴だ。俺はリラに顔を向けわざとらしく告げた。
「リラ、引き返すか? レオンハルトはお前の事が心配でならないようだ」
「え、い、いや。そういうわけでは、いや……心配ではありますが、別にリラ様の事だけではなくて、ですね、わ、わたしは、皆様の事が心配なのです」
視線を泳がせて妙な釈明をはじめるレオンハルトにリラは微笑んだ。
「レオンハルト様、ご心配頂いてありがとうございます。でも大丈夫です。ウルがいるし、それにリィピもこう見えて実は、魔光器を扱える紋章師なんですよ」
「あ、そ、そうなのですか。リィピ様も……しかし」
それでもなおかつ森から出て迂回路にまわることを勧めようとしてくるレオンハルトに業を煮やしたのか、ついにリィピが口を開いた。
「リィピ、リラ、守る」
きょとんとした目をして黙り込んだレオンハルトに俺は告げる。
「なぁ、レオンハルト。俺たちは曲がりなりにも紋章師だぜ。そこらの盗賊どもにやられるほど、やわじゃあない」
「そこまでいうのならば……わかりました。しかし、最近は盗賊どものなかにも野良の紋章師が紛れ込んでいることがあります。油断は禁物ですよ。どうか、お気をつけて」
真っ赤なマントを翻し、来た道を駆けていくレオンハルトを俺たちは静かに見送った。
奴は名残惜しそうに、たびたびこちらを振り返りつつ、次第に豆粒のように小さくなり、消えた。
リラが小さくつぶやいた。
「随分と心配してくれていたけど……そんなに物騒な森なのかぁ」
「たぶん、小さい頃からこの森は危険だと言い聞かされていたんだろう。子供の頃に聞かされた教訓話ってのは、大人になってからも随分と記憶に残っているものさ」
「……この森の奥、古い館に魔女が住み着いているっていう、あの話?」
リラは俺に視線を戻すと、話を続ける。
「フィリーネさんが目撃した館というのが、魔女の住み着いている館って事なのかな?」
____悪魔の角のように、ふたつの尖塔がならぶ、霧の向こうの人食い館
「さぁ、どうだろうな。フィリーネから直接話を聞ければよかったが、あの体調じゃそれも難しそうだったからな。今は、仕方なく他をあたってみるが、体調が戻ればフィリーネにも話を聞かなきゃならん」
「そうだね。なんだか心配。フィリーネさん本当に具合が悪そうだったから。あれは体が悪いというよりも、むしろ心の方の問題だと思う」
「だろうな。フィリーネが人食い館のなかで何を見たのかはわからんが……相当にひどい体験をしたに違いない」
俺はぐっと手綱を引いて、ゆっくりと大馬を道の先へと進ませる。
レオンハルトの話だと、比較的大きなこの道を抜けていけば、自然と森の反対側の出口にたどり着くらしい。その間に何度かの分かれ道はあるようだが、きちんと看板が立てられているそうだ。
ふと、森を見上げると、太陽は真上から少し傾いている。森の夜は早い。気がつくとあっという間に闇の天幕が張り巡らされる。
「……明るい間にできる限りすすんでおかなくては」
俺が姿勢を正し鐙をぐっと踏み込んだ時、リラが小さくつぶやいた。
「でも、ウル。この森の奥に住んでいると噂されている魔女って何なのかしら……それって私たち魔術の扱える紋章師のことじゃないのかな」
「……そうともとれるな。しかしな、リラ……このエインズ王国では、魔女という言葉には特別な意味が込められている。紋章師ではなく“魔女”だからな」
俺の言葉に何かを察したのか、リラの目に不安の色が宿る。
このエインズ王国にも数々の魔女の伝説が残っている。ほんのささいなおとぎ話や、実際に起きてしまった忌まわしいできごとも含めると膨大な数に上るだろう。
リラは、こちらに問いかける。
「……魔女という言葉にはよくない意味が含まれているってこと……?」
「ああ、そうだ。お前の言う通り、紋章師だって魔術を扱える。しかしな、魔女と呼ばれる連中はそういう存在と一線を画す存在だ……奴らが紋章師ではなく魔女と呼ばれる理由。それは、やつらが悪魔に魂を売った連中だとされている点だ」
「悪魔?」
「ああ。そうだな……お前たちダークエルフ族の概念でいうと……悪い神さまとでもいうべきかな」
「悪い神さま……」
リラは一瞬、もの言いたげな表情を見せたものの、それ以上は何も言わなかった。
この森の奥底に、もしも魔女が住み着いているとしたら。
そいつはどうしてこんなところに住み着いているのか。
そいつは毎日、どうやって暮らしているのか。
その孤独な魔女は、いったい何を思うのか。
俺たちは、暗闇に飲みこまれていく森の中、大馬を走らせ先を急いだ。