魔女の棲み処
俺は足元の小さな石碑に指先を当て、でこぼことした冷たい石肌をなぞる。
落ち葉に埋もれ、わずかばかりにのぞく石碑に刻まれた今は無きヴァルツ家の紋章。
いったい何の石碑だろうか。墓標というわけでもなさそうだが。
その時、レオンハルトが魔術書の注釈のように得意げに述べた。
「この石碑は、昔の領地争いの痕ではないかと言われています」
「ほう、領地の境界線に置く石印みたいなものか……」
「はい。ただ、そのように聞いた事があるという程度の話ですがね……そもそも、このルガールの森については様々な噂が流れているのです。どれもこれも薄い霧のようにぼんやりとした話ですが」
俺は石碑から指をはなすと立ち上がる。
レオンハルトに顔を向け、ルガールの森の噂について聞いてみた。
「ほかにもこの森についての噂話があるのか?」
「はい。わたしが子供の頃に母から良く聞かされたのは……このルガールの森の奥には恐ろしい魔女の棲みつく古びた屋敷がある、という噂話です。このあたりで育った者ならば一度や二度は聞かされたことがある話です。その為このあたりに住む者たちは、この森を“魔女の棲み処”と呼んでいるのですよ」
「しかしよ。その話……ふるい言い伝えとは言い難いな」
「え?」
レオンハルトはふと眉根を寄せ「どういう意味でしょうか?」と、少し首をかたむけた。俺は周囲に立ち並ぶ木々を見回して手で示す。
「だってよ、この森は植林によってできた森なんだろう。だったら、魔女の棲み処があるというその噂話も、植林の後にうまれた噂話ってことだ」
「まぁ……普通に考えれば、そうなりますね」
「火のない所に煙はたたずっていうじゃないか。なにかその噂話のもとになる逸話のようなものがあるはずだが」
レオンハルトは腕組してしばし黙り込む。そして申し訳なさそうに口を開いた。
「正直そこまではわかりません……わたしは、ただ単に危険な森には近寄るなという戒めだと思っていました。ほら、親が自分のこどもにいう事を聞かせるためにするコワイ話のようなものって、あるではないですか」
「だとしても、魔女だなんて言葉をもちだすもんかねぇ」
「さぁ……なんとも」
レオンハルトはどこか釈然としない表情で言いよどむ。
レオンハルト。宮廷魔術騎士団員。
恵まれた大きな体躯、日に焼けた精悍な顔立ちをしているとはいえ、まだつるりとした二十歳そこそこの若造だ。
この地で育ち、紋章師養成院で専門的な教育を受けたとはいえ、この土地の過去の歴史にそれほど精通しているわけではないだろう。
なにせ、俺だって若いころに歴史学の勉強を一通りさせられたが、いまじゃ全部忘れちまっているありさまだし。
俺は切り出す。
「レオンハルト、この地の事について詳しい人物を知らないか?」
「あ、わ、わたしではお役に立てなかったですか?」
「イエス」
俺の率直な物言いに驚いたのか、レオンハルトは目を瞬いて取り乱す。
「そ、そんなにハッキリと言わなくても」
「わりぃわりぃ、冗談だよ。お前さんにはフィリーネ嬢をまもるっていう役目があるんだから、そっちを優先してくれ」
「わかりました。この地について詳しい人物となると……やはりこの教区の司祭様でしょうか。ご高齢ではありますが色々とお話してくださるかと思います」
俺は首を横に振り、条件をつける。
「いや、そうじゃない。俺が知りたいことを知っている人物だ。できれば……ヴァルツ家の子孫がいいのだが」
「ヴァルツ家の?……難しいですね。ヴァルツ家が家名を失ったのは随分前です。それこそわたしが生まれるはるか昔。ヴァルツの名は現在、使われておりませんので、誰がその家系かはハッキリとはわかりかねます」
「大体で良いんだよ、ヴァルツ家がもともと、どのあたりに住んでいたか、ぐらいで十分さ」
「ああ、それならば……」
レオンハルトはうなずいてこう告げた。
「ちょうどこのルガールの森をはさんで北西がヴァルツ家、南東がジェイン家のかつての支配地域だった筈です」
「なるほど、目指すは北西か……」
俺は近くで植物あさりをしていたリラとリィピに「さ、そろそろいくぞ」と声をかけた。